古代古墳とさよなら西の183系~夜行列車乗り継ぎの旅15~
実家でゆっくりして、帰省最後の日です。東京の自宅にただ帰るのはつまらないので、少し寄り道して帰ります。
まずはJR京都線に乗り、摂津富田へ。そして高槻市営バスに乗ります。ここでは持っていたICOCAが使用可能だったので、3月から始まる全国ICカード共通利用後は私の持っているPASMOでも使えそうです。ICカードは便利ですね。
着いたのは今城塚古代歴史館。
隣接している今城塚古墳やこの地の歴史に関する資料が展示してあり、古代、この地に大規模な埴輪工房があったなど、新しい知識を得ることができました。
そして隣の今城塚古墳に向かいます。読み方はいましろづかこふんと読むそうです。
この古墳は現在は公園になっていて、入ることができます。そして発掘調査の成果をうまく復元、展示しています。かつては2重の堀があり、その中の堤には埴輪祭祀の跡が発掘され、復元されています。
これらの埴輪は、死後の世界でも死者が不自由なく暮らせるようにということなんでしょうね。ほかの古墳でもあったのでしょうが、風雨にさらされ、今は残っていないということです。
堤を1周します。
堀の際には、埴輪が立っていたのですね。
一部の堀は空堀ですが、前方後円墳の方墳の形がよくわかります。
空堀の部分から墳丘の中にも入ってみます。
この辺りに死者をまつる石室があったと思われますが、発掘調査の結果、1596年の慶長伏見地震で墳丘自体が崩壊し、石室もその時につぶれてしまったのではないかとのこと。この地震では豊臣秀吉の伏見城も天守閣が崩壊し、秀吉も危うく難を逃れたといわれていたりします。そのほか戦国時代はこの墳丘に砦が築かれたりしたそうで、こういったことが荒廃の原因だったりします。
墳丘へ上る道。今では誰でも上がることができます。地域の人々の散歩の場所だったりします。
実はこの今城塚古墳は古代の継体天皇の墓ではないかと言われています。この継体天皇は今の天皇家につながるほぼ確実な祖先ではないかと言われている天皇で、聖徳太子の祖父になります。天皇の墓は基本は宮内庁管理の天皇陵になり、継体天皇陵は近くの別の古墳が治定されていますが、出土した埴輪の年代や文献に載っている場所などを考えると、歴史学的には今城塚古墳が真の継体天皇陵であるとされています。まあ実際石室もなく、これだけ踏み荒らされている今城塚古墳を天皇陵にするのは宮内庁は躊躇しているのでしょうが、お墓を違う場所に指定しているのは、なかなか難しい問題です。
さて、そのあと京都駅へ移動しました。
京都駅では山陰線ホームへ。
入ってくる特急列車を撮影しました。
183系の特急列車。3月のダイヤ改正でなくなるとのことで、おなごり撮影です。私が小さいころの国鉄の電車特急といえば、この形の電車でした。いろいろな細かい形式が違うにせよ。形はこの形でした。まだまだこの外観の特急列車はありますが、また一つ消えていくのを惜しんで撮影です。
このあと、551の豚まんを買って、新幹線で帰京します。
伊吹山は雪をかぶってましたね。本当に寒そうです。
品川に到着。
これにて帰省と夜行列車乗り継ぎの旅、終了!
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