2010年12月28日
最果てを想う~2010年夏の旅⑥~
旅の最終日は未踏の地、積丹半島へレンタカーで向かいます。
積丹半島に入ると、奇岩が続きます。国道は途中からトンネルへ入ります。トンネルが切れたところに休憩スペースがありました。山がちの地形が続きます。
その反対側を見ると、道が行きどまった感じのする一角がありました。
近くを見ると慰霊碑があり、
読んでみて、あっと驚きました。
1996年の2月10日に慰霊碑の先にあった豊浜トンネル上部の岩盤が崩落し、ちょうどトンネルを走行中だったバスと乗用車が押しつぶされ、20人が亡くなるという事故がありました。当時、人命救助優先の為になかなか爆破が上手くいかず、何日もかかったことを思い出しました。それがここだったんですね。実際の現場はこの先にあり、今では船でしか行けないそうです。
さらに北上します。
最北の地、積丹岬灯台へ到着。空が青いです。
灯台の下あたりに島武意海岸があります。日本の渚百選に入っているそうです。
そして昼食。
札幌の友人ご推薦の「みさき」へ。
生ウニ丼セットでした。3000円なり。
そして神威岬へ。すぐに見て出ようかと思っていたのですが、ここは予想外でした。岬の付け根から先端まで徒歩20分はかかる長さにびっくり。でも絶景でした。
まずは入口。
昔は女人禁制だったようですが、今は大丈夫です。
目指す岬は遥か先です。
10分くらい歩いてから振り返ると絶景です。
ようやく岬の先端に着くと、神威岩が迎えてくれました。
さて帰り道。
結構な起伏のある道ですが、味がありましたね。
岬から今度は半島を1周すべく、西海岸を南下します。
少し離れた場所から岬を見てみます。
細長い岬でした。
途中「盃郵便局」をすぎ、
無事1周できました。
帰り道、昨日行った「小沢駅」からでていた旧国鉄岩内線の駅の跡「幌似駅」をみました。
復元されたものらしいですが、夕陽に照らされてちょっと感動しました。
この後、飛行機に乗るために超特急で空港まで帰りましたとさ。
≪2010年夏の旅おわり≫
積丹半島に入ると、奇岩が続きます。国道は途中からトンネルへ入ります。トンネルが切れたところに休憩スペースがありました。山がちの地形が続きます。
その反対側を見ると、道が行きどまった感じのする一角がありました。
近くを見ると慰霊碑があり、
読んでみて、あっと驚きました。
1996年の2月10日に慰霊碑の先にあった豊浜トンネル上部の岩盤が崩落し、ちょうどトンネルを走行中だったバスと乗用車が押しつぶされ、20人が亡くなるという事故がありました。当時、人命救助優先の為になかなか爆破が上手くいかず、何日もかかったことを思い出しました。それがここだったんですね。実際の現場はこの先にあり、今では船でしか行けないそうです。
さらに北上します。
最北の地、積丹岬灯台へ到着。空が青いです。
灯台の下あたりに島武意海岸があります。日本の渚百選に入っているそうです。
そして昼食。
札幌の友人ご推薦の「みさき」へ。
生ウニ丼セットでした。3000円なり。
そして神威岬へ。すぐに見て出ようかと思っていたのですが、ここは予想外でした。岬の付け根から先端まで徒歩20分はかかる長さにびっくり。でも絶景でした。
まずは入口。
昔は女人禁制だったようですが、今は大丈夫です。
目指す岬は遥か先です。
10分くらい歩いてから振り返ると絶景です。
ようやく岬の先端に着くと、神威岩が迎えてくれました。
さて帰り道。
結構な起伏のある道ですが、味がありましたね。
岬から今度は半島を1周すべく、西海岸を南下します。
少し離れた場所から岬を見てみます。
細長い岬でした。
途中「盃郵便局」をすぎ、
無事1周できました。
帰り道、昨日行った「小沢駅」からでていた旧国鉄岩内線の駅の跡「幌似駅」をみました。
復元されたものらしいですが、夕陽に照らされてちょっと感動しました。
この後、飛行機に乗るために超特急で空港まで帰りましたとさ。
≪2010年夏の旅おわり≫
2010年12月26日
落ち穂拾いはどうでしょう。~2010年夏の旅⑤~
列車は小樽に着きました。
今日は夜に札幌で友人に会うので、それまで行ったことのない場所をいくつかまわります。
まずはバスで手宮へ。手宮は小樽の中心部より北側へバスで10分くらい行ったところにあります。
降りたバス停の近くに手宮洞窟保存館がありました。
ここは日本でも珍しい洞窟の壁に古代の彫刻が彫られているという場所です。
解析した結果がこれ。
これは文字ではなく絵であろうという事でした。
そして向かいにある小樽市総合博物館。
ここが今日の落ち穂拾いのメインイベントです。いろいろ展示されていますが、メインは北海道で活躍した鉄道車両が屋外展示されています。この場所は明治初期に手宮駅があり、明治の始めに北海道内陸部から運んでくる石炭積み出し基地としてにぎわった場所だったそうです。
奥に見えるのが機関車庫で明治18年に造られたもので現存する最古のものとのこと。現在は国指定の重要文化財だそうです。
車庫の中でかわいい車両を発見!
キハ03 1という1両編成の気動車です。昔ローカル線用に作られて部品はバスのものを使用してコストを抑えた作りらしいです。
北海道鉄道開通起点の碑です。ここから北海道の鉄道が始まったんですね。
北海道の鉄道で活躍した車両が沢山展示されていました。
珍しかったのはこの車両。
現金輸送車です。なかはこんな感じ。
現金が入っていたんですね。面白いのは警備員が泊まるための部屋も併設されていました。
そして小樽から札幌へ。
到着したその足で旧北海道庁へ。
樺太関係の資料が展示されているとのことで来たのですが、それ以外にもいろいろ展示があって興味深いものでした。
その後、地下鉄に乗って南平岸へ。
行きたかったのはここ。
平岸高台公園。知る人ぞ知る公園です。右側に写っている北海道テレビ放送のバラエティ番組「水曜どうでしょう」のロケ地としての有名な公園で、「水曜どうでしょう」好きな私としては一度来てみたい所でした。テレビで見るより小さな公園だったので、ちょっと意外でした。
そういえば、札幌へ戻る途中真っ赤な夕焼けでしたね。
今日は夜に札幌で友人に会うので、それまで行ったことのない場所をいくつかまわります。
まずはバスで手宮へ。手宮は小樽の中心部より北側へバスで10分くらい行ったところにあります。
降りたバス停の近くに手宮洞窟保存館がありました。
ここは日本でも珍しい洞窟の壁に古代の彫刻が彫られているという場所です。
解析した結果がこれ。
これは文字ではなく絵であろうという事でした。
そして向かいにある小樽市総合博物館。
ここが今日の落ち穂拾いのメインイベントです。いろいろ展示されていますが、メインは北海道で活躍した鉄道車両が屋外展示されています。この場所は明治初期に手宮駅があり、明治の始めに北海道内陸部から運んでくる石炭積み出し基地としてにぎわった場所だったそうです。
奥に見えるのが機関車庫で明治18年に造られたもので現存する最古のものとのこと。現在は国指定の重要文化財だそうです。
車庫の中でかわいい車両を発見!
キハ03 1という1両編成の気動車です。昔ローカル線用に作られて部品はバスのものを使用してコストを抑えた作りらしいです。
北海道鉄道開通起点の碑です。ここから北海道の鉄道が始まったんですね。
北海道の鉄道で活躍した車両が沢山展示されていました。
珍しかったのはこの車両。
現金輸送車です。なかはこんな感じ。
現金が入っていたんですね。面白いのは警備員が泊まるための部屋も併設されていました。
そして小樽から札幌へ。
到着したその足で旧北海道庁へ。
樺太関係の資料が展示されているとのことで来たのですが、それ以外にもいろいろ展示があって興味深いものでした。
その後、地下鉄に乗って南平岸へ。
行きたかったのはここ。
平岸高台公園。知る人ぞ知る公園です。右側に写っている北海道テレビ放送のバラエティ番組「水曜どうでしょう」のロケ地としての有名な公園で、「水曜どうでしょう」好きな私としては一度来てみたい所でした。テレビで見るより小さな公園だったので、ちょっと意外でした。
そういえば、札幌へ戻る途中真っ赤な夕焼けでしたね。
2010年12月24日
山線を乗り降り ~2010年夏の旅④~
朝、長万部温泉の旅館で目が覚めました。
24時間入れるので温泉につかり、6時12分の列車に乗るため、駅に向かいます。
駅に行く途中で、駅構内を撮影。
昔は鉄道のジャンクションだったために、鉄道の町と言ってもいいくらいの大きな駅でしたが、現在はだいぶ縮小されています。それでも線路が何本もあり、この駅始発の列車が何本もあります。
反対側も撮影。線路が二手に分かれていますが、右側は東室蘭、苫小牧を経て札幌へ向かう室蘭本線、海岸沿いを走るので通称、海線と呼ばれています。私が乗るのは左側の通称、山線です。この線の方が最短距離で札幌へ向かいますが、山が多くスピードが出ないため、現在はローカル線扱いです。
小樽行きの列車は4両編成。ローカル列車としては長い編成です。とりあえず後ろの方の車両に席をとりました。一番後ろの車両は回送とのことです。途中の熱郛で切り離されるのだそうです。
早速、窓をあけて朝の空気を吸い込みます。最近では少なくなりましたが、北海道の鈍行列車ではまだまだ窓が開けられるのでうれしいです。列車は少しずつ登っていきます。
朝もやの夏らしい風景も見られました。
各駅で高校生たちが乗りこんできました。
長い編成の理由がわかりました。もう8月も終わり、北海道の学校の夏休みの終わりは早いんですね。
最初の下車駅は蘭越。
ここで降りたわけは切符にありました。
日本のJRで唯一、硬券の乗車券を発売している駅がここ蘭越駅なのでした。かつては硬券の乗車券はどこでも発売していましたが、自動改札に通らないとか、印刷所が無くなるとか、管理が大変などの理由でどんどん無くなり、今ではこの駅だけになってしまいました。この駅も数種類しかないので、無くなれば終わりになるでしょう。私も最後の記念に購入しました。
無事購入し、次の列車まで1時間あります。このままいるのはもったいないので、国道に出ます。近くにあったバス停で時刻を確認すると、あら嬉しや。すぐにバスが来るじゃないですか。
それも1日2本という貴重なバスでした。
小樽行きのニセコバスに乗り込みます。
このまま、小樽まで行きたい気もしましたが、JRのフリー切符を持っているので、JRに乗らないと損です。次の昆布駅で下車することにしました。所要10分、310円でした。
昆布駅は別に海に近くはありません。海草の昆布とは関係ないそうで、名前の由来は「トコンポ・ヌプリ(小さなコブ山)」からの当て字だそう。
時間があるので、散歩すると足湯を発見!
早速足を入れてみました。
まだ朝9時前。早起きして得した気分です。
さて、時間が来て列車に乗ります。だんだん車窓に蝦夷富士、羊蹄山が見えてきました。
次に降りたのは銀山駅。
何もない山の上の駅でした。
山の上にあるだけに、景色が遠くまで見えます。
景色はいいけれど、列車に乗るのに坂を登るのは大変らしく、駅には誰もいませんでした。町の中心部は下の方にあるようです。
反対列車が来たので1駅もどり、小沢駅へ。ここは昔、海岸の街、岩内まで岩内線という鉄道が走っていて、ここも鉄道の街だったようですが今は無人駅。時の流れを感じます。
線路をまたぐ跨線橋にかつての重厚さが残っています。
中にはこんなものが。
この絵はかつていた国鉄職員が書いたものらしく「小沢駅職員一同」と文字が入っているのが歴史を感じます。
この駅にはもう一つ、歴史を感じるものがありました。
駅前の売店に「トンネル餅」が売っていました。
中味はすあま(甘い餅のようなもの)で、そんなに美味しいものではない気がしますが、昔は貴重な甘味だったんでしょうね。
1両しかない小樽行きの列車に乗り込み、トンネル餅をほおばりながら、パッケージに描いてあった昔走っていたであろう蒸気機関車の旅に思いをはせました。
列車は小樽へ向かいます。
24時間入れるので温泉につかり、6時12分の列車に乗るため、駅に向かいます。
駅に行く途中で、駅構内を撮影。
昔は鉄道のジャンクションだったために、鉄道の町と言ってもいいくらいの大きな駅でしたが、現在はだいぶ縮小されています。それでも線路が何本もあり、この駅始発の列車が何本もあります。
反対側も撮影。線路が二手に分かれていますが、右側は東室蘭、苫小牧を経て札幌へ向かう室蘭本線、海岸沿いを走るので通称、海線と呼ばれています。私が乗るのは左側の通称、山線です。この線の方が最短距離で札幌へ向かいますが、山が多くスピードが出ないため、現在はローカル線扱いです。
小樽行きの列車は4両編成。ローカル列車としては長い編成です。とりあえず後ろの方の車両に席をとりました。一番後ろの車両は回送とのことです。途中の熱郛で切り離されるのだそうです。
早速、窓をあけて朝の空気を吸い込みます。最近では少なくなりましたが、北海道の鈍行列車ではまだまだ窓が開けられるのでうれしいです。列車は少しずつ登っていきます。
朝もやの夏らしい風景も見られました。
各駅で高校生たちが乗りこんできました。
長い編成の理由がわかりました。もう8月も終わり、北海道の学校の夏休みの終わりは早いんですね。
最初の下車駅は蘭越。
ここで降りたわけは切符にありました。
日本のJRで唯一、硬券の乗車券を発売している駅がここ蘭越駅なのでした。かつては硬券の乗車券はどこでも発売していましたが、自動改札に通らないとか、印刷所が無くなるとか、管理が大変などの理由でどんどん無くなり、今ではこの駅だけになってしまいました。この駅も数種類しかないので、無くなれば終わりになるでしょう。私も最後の記念に購入しました。
無事購入し、次の列車まで1時間あります。このままいるのはもったいないので、国道に出ます。近くにあったバス停で時刻を確認すると、あら嬉しや。すぐにバスが来るじゃないですか。
それも1日2本という貴重なバスでした。
小樽行きのニセコバスに乗り込みます。
このまま、小樽まで行きたい気もしましたが、JRのフリー切符を持っているので、JRに乗らないと損です。次の昆布駅で下車することにしました。所要10分、310円でした。
昆布駅は別に海に近くはありません。海草の昆布とは関係ないそうで、名前の由来は「トコンポ・ヌプリ(小さなコブ山)」からの当て字だそう。
時間があるので、散歩すると足湯を発見!
早速足を入れてみました。
まだ朝9時前。早起きして得した気分です。
さて、時間が来て列車に乗ります。だんだん車窓に蝦夷富士、羊蹄山が見えてきました。
次に降りたのは銀山駅。
何もない山の上の駅でした。
山の上にあるだけに、景色が遠くまで見えます。
景色はいいけれど、列車に乗るのに坂を登るのは大変らしく、駅には誰もいませんでした。町の中心部は下の方にあるようです。
反対列車が来たので1駅もどり、小沢駅へ。ここは昔、海岸の街、岩内まで岩内線という鉄道が走っていて、ここも鉄道の街だったようですが今は無人駅。時の流れを感じます。
線路をまたぐ跨線橋にかつての重厚さが残っています。
中にはこんなものが。
この絵はかつていた国鉄職員が書いたものらしく「小沢駅職員一同」と文字が入っているのが歴史を感じます。
この駅にはもう一つ、歴史を感じるものがありました。
駅前の売店に「トンネル餅」が売っていました。
中味はすあま(甘い餅のようなもの)で、そんなに美味しいものではない気がしますが、昔は貴重な甘味だったんでしょうね。
1両しかない小樽行きの列車に乗り込み、トンネル餅をほおばりながら、パッケージに描いてあった昔走っていたであろう蒸気機関車の旅に思いをはせました。
列車は小樽へ向かいます。
2010年12月19日
はるばる来たぜ 北の街 ~2010年夏の旅③~
1年ぶりに北の街、函館へ来ました。前回は桜前線を追ってきましたが、今回は流れるようにやってきました。もう函館は数えきれないほど来ているので、落ち穂拾い的な観光になります。
まずは歩いて「箱館高田屋嘉兵衛資料館」へ。
司馬遼太郎「菜の花の沖」で有名な高田屋嘉兵衛は函館に拠点を置いて貿易をしていたそうで中にはいろいろ展示してありました。
そして、赤レンガで有名な金森倉庫群付近。
函館観光ではメジャーな場所ですが、一人旅では、とんと縁がないので初めてでした。函館山と合いますなあ。
続いての訪問地は「北海道第一歩の地」です。明治時代、北海道は青森からの船で渡って来た人々が、この地に上陸していって開拓されたのでした。その歴史は青函トンネルができて青函連絡船が廃止になる昭和63年まで続いたのでした。そう、奥に青函連絡船「摩周丸」が展示されています。
またぷらぷら歩くと、「新島襄海外渡航の地」碑を発見。
同志社大学を作った新島襄はこの地からアメリカへ密航を図ったとのこと。
群馬安中藩の藩士だった新島が当時日本の果てであった函館まで来て密航するというのはすごい決断だったのでしょうね。
さらにぷらぷら歩きます。橋をわたり函館湾を埋め立てた緑の島へ来ました。まだ公園としては未完成ですが、ちょっと思い入れのある場所でした。約10年前のテレビドラマ「愛をください」(原作、脚本を函館出身の辻仁成が手掛けた)で菅野美穂と伊藤英明が主題歌を歌いながら歩いてくるというシーンでこの島が使われていて、夕暮れの空とあいまって、いいシーンになってました。深い思い入れではないけれど、ロケ地に来られて、ちょっとしたいい気分でした。
今度は市電に乗って五稜郭へ向かいます
函館には市電が似合います。
ちょうどお昼なので、ここで昼ごはん。
函館しかないハンバーガー屋さん「ラッキーピエロ」です。最近はこの地に来るたびに食べております。今回は昔の函館の人が食べていたと思われるシーフードを使用した「箱館奉行所バーガー」
と、生姜焼きバーガーでした。
さて、今回の函館のメインイベント、箱館奉行所へやってきました。
箱館奉行所は幕末の北海道の行政をつかさどった場所で、最近復元されたばかりという場所でした。
全部が復元されたわけではなく、正面の一部だけなのですが、木で作られているので気持ちの良い建物でした。また展示も、幕末の北海道の様子がよくわかり充実していました。
函館駅へ戻って、駅前のこんな博物館に寄りました。
駅前の空き店舗を活用した博物館で、北海道の鉄道関連の品が展示されていました。
最後にもう一つ。
函館に来てかならず行く場所がここ。
市営の谷地頭温泉です。ここは本物の温泉で朝から夜まで開いているので、よく入りに来ます。きれいな建物になっていましたね。
いつもなら、函館泊になるのですが、今日はもう一本列車に乗ります。
夕食は立ち売りの弁当屋さんに残っていた「かにめし」でした。
まずは歩いて「箱館高田屋嘉兵衛資料館」へ。
司馬遼太郎「菜の花の沖」で有名な高田屋嘉兵衛は函館に拠点を置いて貿易をしていたそうで中にはいろいろ展示してありました。
そして、赤レンガで有名な金森倉庫群付近。
函館観光ではメジャーな場所ですが、一人旅では、とんと縁がないので初めてでした。函館山と合いますなあ。
続いての訪問地は「北海道第一歩の地」です。明治時代、北海道は青森からの船で渡って来た人々が、この地に上陸していって開拓されたのでした。その歴史は青函トンネルができて青函連絡船が廃止になる昭和63年まで続いたのでした。そう、奥に青函連絡船「摩周丸」が展示されています。
またぷらぷら歩くと、「新島襄海外渡航の地」碑を発見。
同志社大学を作った新島襄はこの地からアメリカへ密航を図ったとのこと。
群馬安中藩の藩士だった新島が当時日本の果てであった函館まで来て密航するというのはすごい決断だったのでしょうね。
さらにぷらぷら歩きます。橋をわたり函館湾を埋め立てた緑の島へ来ました。まだ公園としては未完成ですが、ちょっと思い入れのある場所でした。約10年前のテレビドラマ「愛をください」(原作、脚本を函館出身の辻仁成が手掛けた)で菅野美穂と伊藤英明が主題歌を歌いながら歩いてくるというシーンでこの島が使われていて、夕暮れの空とあいまって、いいシーンになってました。深い思い入れではないけれど、ロケ地に来られて、ちょっとしたいい気分でした。
今度は市電に乗って五稜郭へ向かいます
函館には市電が似合います。
ちょうどお昼なので、ここで昼ごはん。
函館しかないハンバーガー屋さん「ラッキーピエロ」です。最近はこの地に来るたびに食べております。今回は昔の函館の人が食べていたと思われるシーフードを使用した「箱館奉行所バーガー」
と、生姜焼きバーガーでした。
さて、今回の函館のメインイベント、箱館奉行所へやってきました。
箱館奉行所は幕末の北海道の行政をつかさどった場所で、最近復元されたばかりという場所でした。
全部が復元されたわけではなく、正面の一部だけなのですが、木で作られているので気持ちの良い建物でした。また展示も、幕末の北海道の様子がよくわかり充実していました。
函館駅へ戻って、駅前のこんな博物館に寄りました。
駅前の空き店舗を活用した博物館で、北海道の鉄道関連の品が展示されていました。
最後にもう一つ。
函館に来てかならず行く場所がここ。
市営の谷地頭温泉です。ここは本物の温泉で朝から夜まで開いているので、よく入りに来ます。きれいな建物になっていましたね。
いつもなら、函館泊になるのですが、今日はもう一本列車に乗ります。
夕食は立ち売りの弁当屋さんに残っていた「かにめし」でした。
タグ :北海道
2010年12月17日
寝台特急で北へ ~2010年夏の旅②~
大阪の実家でゆっくりして、翌日の夕方、大阪駅にやってきました。
いまから寝台特急列車で北へ向かうのです。私が小さな頃は当たり前のように夜行定期列車がありましたが、ここ近年は両手の指に収まるほどしか運転されなくなってしまいました。学生の頃は貧乏旅行しかしなかったので、寝台のついている列車なんてほとんど乗ったことはありませんでした。いま思えば乗っておけばよかったななんて思います。
17時30分ころ、大阪駅の11番ホームは結構な熱気に包まれていました。カメラや携帯を持った男どもが数多く待っておりました。
これから、東北の果て、青森まで行く寝台特急「日本海」が入ってくるのを待っているのです。私が熱心な鉄道ファンだった小学生の頃の上野駅はもっとすごかった気がしますが、やはり夏休みとはいえ、こういう人気は嬉しかったりします。ようやく発車10分くらい前に今では珍しくなった機関車を先頭にブルーの客車が入ってきました。
みんな撮影するので、時間をずらして撮影すると、もう発車時間です。あわてて乗りこむと、ドアが閉まりました。
17時47分、青森行き寝台特急「日本海」はゆっくりと動き始めました。
私が乗るのはB寝台。2段ベッド向かい合わせの下段ですね。
早速、夕御飯を食べることにしました。やはり寝台特急には駅弁という事で、神戸淡路屋の「ひっぱりだこ飯」にしました。なぜ大阪駅で買ったのに神戸の駅弁なんだって?それは大阪駅の駅弁屋が倒産しちゃったのでした。駅弁の世界も大変なのですな。
さて「ひっぱりだこ飯」、まず容器が面白い。陶器でできていて、ちょうど良い大きさ。
持って帰って今でも入れ物に使っています。
そして中味。
中はタコ汁で煮た御飯でした。
さて腹ごなしに車内を散歩。
一番後ろまで行くと、流れ去る景色がバッチリ見えます。
左は琵琶湖ですね。
列車は北陸路にはいり3時間。加賀温泉駅に到着。機関車1台で多数の客車を引っ張る寝台列車は電車に比べて遅いので、ここで後からくる「サンダーバード」号に抜かれるのですが、踏切事故か何かの影響で、遅れているとのことでしばらく停車。
ここで後ろのテールマークを撮影しました。日本海がデザインされていました。
ようやく「サンダーバード」号が到着。抜いて行きました。
ここらで寝ることにしました。
翌日おきると、列車は大雨か何かの影響でだいぶ遅れていました。車窓には田園風景が広がっています。
定刻より38分遅れて9時12分青森駅に着きました。
大阪からずっと引っ張ってきた機関車お疲れさまでした。
寝台車も別の機関車に引っ張られて車庫に戻ります。結構手間かかるんですね。
青森駅にはこんなポスターが。
12月の新幹線の開業に合わせて廃止になる在来線の定期の発売中止のお知らせでした。私が初めて青森駅に来たのは1988年。ちょうど青函連絡船が廃止になった頃でした。あれから22年。あの頃の風景とは少しずつ変わっていくのですね。
さて、これから列車を乗り継いで函館へ向かいます。
いまから寝台特急列車で北へ向かうのです。私が小さな頃は当たり前のように夜行定期列車がありましたが、ここ近年は両手の指に収まるほどしか運転されなくなってしまいました。学生の頃は貧乏旅行しかしなかったので、寝台のついている列車なんてほとんど乗ったことはありませんでした。いま思えば乗っておけばよかったななんて思います。
17時30分ころ、大阪駅の11番ホームは結構な熱気に包まれていました。カメラや携帯を持った男どもが数多く待っておりました。
これから、東北の果て、青森まで行く寝台特急「日本海」が入ってくるのを待っているのです。私が熱心な鉄道ファンだった小学生の頃の上野駅はもっとすごかった気がしますが、やはり夏休みとはいえ、こういう人気は嬉しかったりします。ようやく発車10分くらい前に今では珍しくなった機関車を先頭にブルーの客車が入ってきました。
みんな撮影するので、時間をずらして撮影すると、もう発車時間です。あわてて乗りこむと、ドアが閉まりました。
17時47分、青森行き寝台特急「日本海」はゆっくりと動き始めました。
私が乗るのはB寝台。2段ベッド向かい合わせの下段ですね。
早速、夕御飯を食べることにしました。やはり寝台特急には駅弁という事で、神戸淡路屋の「ひっぱりだこ飯」にしました。なぜ大阪駅で買ったのに神戸の駅弁なんだって?それは大阪駅の駅弁屋が倒産しちゃったのでした。駅弁の世界も大変なのですな。
さて「ひっぱりだこ飯」、まず容器が面白い。陶器でできていて、ちょうど良い大きさ。
持って帰って今でも入れ物に使っています。
そして中味。
中はタコ汁で煮た御飯でした。
さて腹ごなしに車内を散歩。
一番後ろまで行くと、流れ去る景色がバッチリ見えます。
左は琵琶湖ですね。
列車は北陸路にはいり3時間。加賀温泉駅に到着。機関車1台で多数の客車を引っ張る寝台列車は電車に比べて遅いので、ここで後からくる「サンダーバード」号に抜かれるのですが、踏切事故か何かの影響で、遅れているとのことでしばらく停車。
ここで後ろのテールマークを撮影しました。日本海がデザインされていました。
ようやく「サンダーバード」号が到着。抜いて行きました。
ここらで寝ることにしました。
翌日おきると、列車は大雨か何かの影響でだいぶ遅れていました。車窓には田園風景が広がっています。
定刻より38分遅れて9時12分青森駅に着きました。
大阪からずっと引っ張ってきた機関車お疲れさまでした。
寝台車も別の機関車に引っ張られて車庫に戻ります。結構手間かかるんですね。
青森駅にはこんなポスターが。
12月の新幹線の開業に合わせて廃止になる在来線の定期の発売中止のお知らせでした。私が初めて青森駅に来たのは1988年。ちょうど青函連絡船が廃止になった頃でした。あれから22年。あの頃の風景とは少しずつ変わっていくのですね。
さて、これから列車を乗り継いで函館へ向かいます。
タグ :鉄旅
2010年12月11日
いにしえの奈良へ ~2010年夏の旅①~
2010年夏の終わり、旅に出ました。目的はいろいろありました。
まずは帰省がてら平城遷都1300年祭へ。
2010年は710年に奈良に都が移ってから1300年ということで、奈良ではイベントが多数行われていました。
まずは新幹線で京都へ。京都駅で近鉄に乗り換えました。駅にはこんな方が出張してきていました。
早速、西大寺で降りて平城宮跡へ。昔は考古学者になろうと思っていて小学生のころから何度も平城宮跡に足を運んでいましたが、今回は久しぶりに来ました。
まずは平城宮跡資料館へ。
小学生だった25年前からだいぶ展示内容も充実していましたね。
そして今回の目玉、第一次大極殿へやってきました。大極殿は天皇が政治の中心だったこの時代に国家的儀式などを行うセレモニー会場として作られたもので、大きさは壮大でした。その大極殿を今回復元したという事で見に来ました。
中に入ると、天皇の高御座(たかみくら)が復元されていました。高御座は天皇が即位の大礼をはじめとした儀式のときに座る場所で、今でも京都御所にあり、今の天皇の即位の礼でも使われています。
高御座の前から正面を見ると、こんな風に見えます。
奈良時代はこの広場から遠くに見える朱雀門までの間に多くの官僚たちが並び、様々な儀式が行われたのですね。こういう景色を見ることができるのは感動的です。同じ場所から今の奈良市街を見てみます。
左端に若草山と東大寺大仏殿が見えます。
天井はこんな感じ。朱色が目にしみます。
細かいところまで復元してあり、手すりにはこんなものも。
発掘調査が進み、いろいろ整備されていました。
こちらは官庁街の建物。宮内省(今でいう宮内庁)の建物。
前から行ってみたかった東院庭園。ここで様々な催しが行われたのでしょうね。
そして、これが平城宮の正門、朱雀門。お初です。
1998年に復元されたというので、たぶん私は12年以上ぶりくらいの訪問だと気がつきました。
やはり史跡だからか、イベントにも関わらず、パビリオンが少なかったのですが、数少ない展示パビリオンがこれ。
平城宮歴史館と遣唐使船の復元建物でした。中では奈良時代の歴史と仏教の正式な戒律を伝えた唐の高僧、鑑真の苦難の道のりを映像で伝えていました。
久しぶりの奈良は私が小学生の時に通い詰めた時とはだいぶ変わりつつありました、時の流れを感じました。
まずは帰省がてら平城遷都1300年祭へ。
2010年は710年に奈良に都が移ってから1300年ということで、奈良ではイベントが多数行われていました。
まずは新幹線で京都へ。京都駅で近鉄に乗り換えました。駅にはこんな方が出張してきていました。
早速、西大寺で降りて平城宮跡へ。昔は考古学者になろうと思っていて小学生のころから何度も平城宮跡に足を運んでいましたが、今回は久しぶりに来ました。
まずは平城宮跡資料館へ。
小学生だった25年前からだいぶ展示内容も充実していましたね。
そして今回の目玉、第一次大極殿へやってきました。大極殿は天皇が政治の中心だったこの時代に国家的儀式などを行うセレモニー会場として作られたもので、大きさは壮大でした。その大極殿を今回復元したという事で見に来ました。
中に入ると、天皇の高御座(たかみくら)が復元されていました。高御座は天皇が即位の大礼をはじめとした儀式のときに座る場所で、今でも京都御所にあり、今の天皇の即位の礼でも使われています。
高御座の前から正面を見ると、こんな風に見えます。
奈良時代はこの広場から遠くに見える朱雀門までの間に多くの官僚たちが並び、様々な儀式が行われたのですね。こういう景色を見ることができるのは感動的です。同じ場所から今の奈良市街を見てみます。
左端に若草山と東大寺大仏殿が見えます。
天井はこんな感じ。朱色が目にしみます。
細かいところまで復元してあり、手すりにはこんなものも。
発掘調査が進み、いろいろ整備されていました。
こちらは官庁街の建物。宮内省(今でいう宮内庁)の建物。
前から行ってみたかった東院庭園。ここで様々な催しが行われたのでしょうね。
そして、これが平城宮の正門、朱雀門。お初です。
1998年に復元されたというので、たぶん私は12年以上ぶりくらいの訪問だと気がつきました。
やはり史跡だからか、イベントにも関わらず、パビリオンが少なかったのですが、数少ない展示パビリオンがこれ。
平城宮歴史館と遣唐使船の復元建物でした。中では奈良時代の歴史と仏教の正式な戒律を伝えた唐の高僧、鑑真の苦難の道のりを映像で伝えていました。
久しぶりの奈良は私が小学生の時に通い詰めた時とはだいぶ変わりつつありました、時の流れを感じました。