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Posted by TI-DA at

2015年03月29日

円通院と帰京の旅~早春の松島に遊ぶ旅3~




 瑞巌寺から歩いて近くの円通院へ向かいます。伊達政宗の孫、伊達光宗の菩提寺だそうです。19歳で亡くなったので、その菩提を弔うために父、2代藩主伊達忠宗が建てたそうです。円通院で貰ったパンフレットには聡明な光宗を恐れた江戸幕府が毒殺したのでないかという説があると書かれていましたが、実際の原因は不明です。ただ、こういう説が出るのは、その当時の伊達家の勢力を恐れた江戸幕府の様々な圧力、陰謀があったのは事実なのでしょうね。実際、この跡を継いだ弟の綱宗が暗愚だとして21歳で3代藩主から隠居させられ、その後の仙台藩は山本周五郎作「樅の木が残った」で有名な伊達騒動に巻き込まれていきます。



 その光宗を祀った「三慧殿」に行きます。この建物の中には宮殿型の厨子が。


 黄金を貼ってある立派なものです。この厨子に描かれている図案は西欧風の「洋バラ」や「水仙」、ダイヤやスペードなど、トランプに使われる模様が使われています。これは伊達政宗が遣欧使節を送った支倉常長が持ち帰った模様だといわれています。




厨子の中には光宗の像が飾られていました。



鎖国の時代、西欧の模様を使ったこの厨子はもちろん公にすることはできなかったので、幕府に対しては伊達家の霊廟と申し立てて、江戸時代の間、公開されることはなかったそうです。そうまでして、この厨子を作った光宗の父、伊達忠宗の子を失った無念さが伝わってきますね。そう考えると、弟の3代藩主、綱宗が暗愚だったというのは、それを演じたのかもしれないという別の見方ができるのかもしれません。




本堂は光宗が江戸で納涼用に使用していた建物を移築したものだそうです。


伊達家関係の江戸時代の建物はこれしか残ってないという貴重な建物ですが、なぜか地元松島町の指定文化財にとどまっています。



円通院を出て、松島海岸駅へ向かいます。途中、伊達政宗の長女、五郎八姫(いろはひめ)の墓のある天麟院の前を通りましたが、時間がなく次回回しとなりました。


帰りの仙石線の列車は「マンガッタンライナー」でした。石巻市にある、石ノ森章太郎のミュージアム「石ノ森萬画館」にちなんだ車両なんでしょうね。





仙台からは東北新幹線「やまびこ」で帰りますが、車両は「はやぶさ」のE5系と「こまち」のE6系でした。快適に帰りました。



帰りは仙台駅に来ると、いつも買う弁当屋「こばやし」の弁当を買って帰りました。



今回は「牡蠣と炙り煮あなご弁当」でした。好きなものが2品も入っていて大満足でした。



 早春の松島に遊ぶ旅 これにて終わり。
  


Posted by さがるまーた at 18:00Comments(0)2015,3 早春の松島に遊ぶ旅

2015年03月26日

瑞巌寺~早春の松島に遊ぶ旅2~



 
瑞巌寺へやってきました。来たのは小学6年生以来の久々の訪問でした。

入るとガイドさんが本堂入口までの案内はどうですか?と声をかけてきました。不通なら断るところですが、今回は同行者がいて、なんとなく安く感じたこともあり、お願いすることにしました。

ガイドさんは参道から外れ、山側の道に案内します。まずはここ。



「鰻塚」です。大正時代に地元の松島湾で取れたウナギの供養に建てたものだそうです。後ろに見える、石壁に掘り込まれた供養塔はこの先も続いています。


この瑞巌寺は平安時代に延福寺という天台宗のお寺として開基されたそうで、その修行の場としてこの石壁に掘られた場所が使われたそうで、トイレや台所などの後もありました。その後、禅宗などにかわり、江戸時代初めに伊達政宗の復興で臨済宗妙心寺派のお寺となったそうです。


瑞巌寺は現在、国宝の本堂を改修中とのことで、当然入ることはできませんが、その代わりに通常非公開の庫裡等に入ることができるそうで、もちろん入ります。個人的はこちらの方がありがたいですね。




まずはこれも国宝である庫裡へ。ここはお寺の台所です。


屋根に装飾が施されているのが、江戸時代初期の桃山様式を残していますね。



この寺自体は修行の場なので、通常ならば、今でもここで煮炊きをしているそうです。釜などが置かれているはずの土間は、公開している時期今の時期のみ靴箱が置かれていましたが、天井を見ると、すすで黒光りしていて、煙を逃がせる構造になっていました。




これは「雲版」もともとは禅宗のお寺で合図のために打ち鳴らす器具とのことで、瑞巌寺の前の禅宗の寺だった時代に使われていたものだそうです。宮城県の重要文化財で刻銘から1326年に作られたとみられているとのこと。食事ができたら鳴らしているのかもしれませんね。

 瑞巌寺の本堂には伊達家の歴代当主の位牌が安置されているのですが、今は工事しているので、庫裡に移されていました。




初代仙台藩主、伊達政宗と2代忠宗の位牌は奥の大書院に安置されていました。左が政宗、右が忠宗の位牌です。


 大書院には御本尊の聖観世音菩薩も安置されていました。


工事中の本堂です。完成したらまた見に来たいものです。

庫裡を出て、お寺のわきの道を上がります。



階段を上がると、

そこは陽徳院御霊屋(寶華殿)でした。陽徳院は伊達政宗の正室、愛姫の墓堂です。平成18年から3年かけて創建時の姿に復元されたとのこと。


黒と黄金のコントラストが美しいですね。

ここには以前から来たいと思っていたのですが、通常は非公開なので見ることはできませんでした。現在は本堂が工事中なので、特別公開ということで見ることができました。本堂の工事が終わると、もう見ることができないとのことで貴重な体験でした。お寺の人曰く、今度の公開は数十年後の本堂の再改修時じゃないかとのこと。



参道に戻ってくると、こんな表示が。以前が参道の両側には杉並木が並んでいましたが、東日本大震災の津波が参道の奥のこの場所まで来たそうで、その塩害で参道の左側の木々が相当切られていました。





参道から海が見えました。海に近いお寺なので、本堂が津波に襲われなくてよかったなと思います。

次のお寺へ向かいます。

3へ続く。
  


Posted by さがるまーた at 18:00Comments(0)2015,3 早春の松島に遊ぶ旅

2015年03月22日

松島へ~早春の松島に遊ぶ旅1~


 2015年の3月、会社の慰安旅行で1泊2日で松島へ行ってきました。1日目は秋保温泉に泊まりました。ホテルのロビーには雛飾りが。


この時期に旅行すると、大体どこでも雛祭りが行われていて、ひな人形が飾られていたりします。季節を感じさせてくれますね。


2日目は仙台へ戻り、JR仙石線で松島海岸駅へ。
JR仙石線は仙台と石巻を結ぶ路線ですが、東日本大震災の津波の影響で現在、松島海岸の先の高城町~陸前小野で運転を見合わせているため、松島海岸駅~矢本で代行バスを運転しています。松島海岸駅で降りると、ホーム一杯に代行バスに乗り換える乗客であふれかえっていました。まあ仙石線がもともと私鉄から始まったため、ホームが小さいのも原因の一つですが。


その中で撮った写真がこれ。乗ってきた列車と反対方向の仙台、あおば通行きの快速列車です。不通になっていた仙石線も5月30日に全線運転再開することになったとのことで、それは良かったのですが、仙台から石巻までの直通快速列車は東北本線の仙台駅を出て、松島海岸駅の先で仙石線に連絡線で渡り石巻まで仙石線を走るため、そのかわりに仙石線仙台発の快速電車は廃止になるそうで、この列車ももう見られなくなるのですね。


駅前に出ると、代行バスの停留所がありました。バスは観光バスタイプの1台で済んでましたね。




歩いて、五大堂へ。



伝承によれば、平安時代の807年に征夷大将軍の坂上田村麻呂が建立したのが始まりだそうで、この建物は1604年伊達政宗が再建したとのこと。東日本大震災でも大丈夫だったようです。この五大堂にわたる橋はすかし橋と言われていて、下が見えるようになっています。



五大堂から見た松島です。



東日本大震災で松島地区はほかの地区に比べて、比較的被害が少なかったそうです。それはこの松島の島々によって津波の威力が分散、緩和されたのではないかと言われています。

それを知って観ると、この景観はきれいだけではないものを感じます。

2へ続く。
  


Posted by さがるまーた at 18:00Comments(0)2015,3 早春の松島に遊ぶ旅

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