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2015年12月10日

無くなるものへの惜別11「485系あいづライナー」~さよなら列車の旅信越、会津11~

 磐越西線の気動車は会津若松へ向かいます。



 列車は次第に山の中へ入っていきます。


阿賀野川を渡り、雪原を走ります。





 途中、山都駅で反対列車と行き違いのため、4分停車しました。


 雪が舞ってます。



 遅れていた反対列車がやってきました。




 喜多方を過ぎ、会津盆地に入ると、沿線は吹雪になりましたが、会津若松につく頃には晴れ間も見えました。雪国の景色はコロコロ変わりますね。



 3分遅れで会津若松駅到着。こうやって書いてきましたが、この新津~会津若松の磐越西線の列車の印象は薄いのでした。ほとんど乗り詰めだったからかもしれません。もう14時過ぎ、お昼ご飯も食べられずに来たので、わずかの乗り継ぎ時間で駅弁売り場に急ぎ、駅弁を確保しました。



さて、これから乗るのは「あいづライナー」です。特急型の485系の車両を使っていますが、快速列車なので、乗車券のみで乗れます。一応指定券を買っておきました。



 「あいづライナー」は昔は特急「あいづ」として上野~会津若松を走った特急列車の流れをくむ列車で、新幹線接続の郡山~会津若松の列車になった後も特急列車として走ってましたが、ここ十年は快速列車に格下げされて、走っていました。それでも使用車両は特急型の485系をずっと使用されていましたが、いよいよ車両の老朽化で、2015年3月のダイヤ改正で廃止されることになったのでした。まあ快速列車は残るので、不便にはならないでしょうが、昭和の流れを汲んできた列車がなくなるということでは寂しいことではあります。



列車は定刻で走り始めました。空には青空が見えます。




さて、買った駅弁を広げようとテーブルを広げたら、こんなシールが。福島らしいですね。



 食べた弁当は「会津蔵出弁当」でした。おいしゅうございました。


猪苗代湖畔を抜けて、郡山盆地へと降りてくると、もう雪がなくなっていました。





郡山駅に無事到着です。


郡山からは新塗装になった、山形新幹線「つばさ」の車両で帰りました。



惜別の旅は別日の北陸の旅に続きますが、それは後日の話。


さよなら列車の旅信越、会津の旅、おわり。

 


  
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2015年12月05日

無くなるものへの惜別10「E4系等々」~さよなら列車の旅信越、会津10~

 2日目は歩いて、十日町駅の隣のしんざ駅へ向かいます。乗降駅を増やそうとの魂胆です。


 道端には雪が積もっています。滑らないように、おそるおそる「しんざ駅」へ。


 発車ギリギリになってしまったため、慌ててホームへ。もう列車が入っていました。




六日町駅方面の列車に乗った列車はしんざ駅を発車しました。すぐに赤倉トンネルに入ります。このトンネルは10キロ余りあり、昨日降りた美佐島駅もこのトンネル内にあります。美佐島駅を過ぎて、トンネル内で列車が止まりました。


駅でもないのに止まっていて、あれと思ったら、どうやら赤倉信号場のようです。ここで反対列車と行き違うようで、赤だった信号が青に変わりました。


先頭車両側を見ると、列車がやってきました。


特急「はくたか」が走り抜けていきました。


 この光景を見ることはもうないでしょうね。


 トンネルを抜けた列車はすぐに魚沼丘陵駅へ。ここで途中下車します。


 列車が走り去ると、白銀の世界が広がりました。



 駅前も雪の世界でした。ちなみに駅名は片岡鶴太郎氏が書いたそうです。



六日町駅で乗り換えて、JR上越線で浦佐駅へ。

この115系普通列車もそろそろ新車と変わってしまうのでしょうね。


駅前はこんな感じ。新幹線も止まる駅ですが、建物の感じは国鉄時代のにおいがしますね。




殺風景な無機質感が国鉄時代のにおいにつながっているのでしょうかね。


駅名の文字も国鉄時代そのままな感じです。新幹線の駅でもかかわらず、乗降客が少ないので、あまり手を加えていないのでしょうね。待合室もガラガラでした。



浦佐からは上越新幹線に乗ります。列車はE4系でした。



このE4系もすでに東北新幹線からは撤退し、上越新幹線からも2016年に廃止されるそうで、乗る機会もないかもしれません。乗れば10分ほどで長岡駅へ。


南長岡貨物駅が見えると、すぐに長岡駅に到着です。


乗ってきた「Maxとき」は2編成つないでおりました。

長岡駅からは普通列車で新津へ。空に青さが戻ってきました。



新津からは磐越西線の気動車で会津若松へ向かいます。



11へ続く。
  



2015年11月30日

無くなるものへの惜別9「時速160キロ狭軌特急」~さよなら列車の旅信越、会津9~



 直江津から北越急行の列車に乗ります。2両編成ですが、車内はガラガラ。でも転換クロスシートを使用しているだけでも素晴らしいです。最近は地方の鉄道でも東京と同じロングシートを使っている車両が多いですから。
 


 それはさておき、この車両は「ゆめぞら」号という車両です。北越急行ほくほく線は最近できた路線なので、トンネルが多く、景色を見ることがあまりできないのですが、それを逆手にとってトンネル内では車内に映像を映して、きれいな映像を見せるというサービスを土休日を中心にしているそうです。なかなかのアイデアですね。



 5種類の映像があるようです。もう夜の18時を過ぎているので、トンネル以外の車窓も真っ暗なので、映像の映写でも見たいところですが、この列車では行われていないので、真っ暗な車窓を見ながら列車は進みます。途中、特急「はくたか」と行き違い、今日の宿泊地、十日町を過ぎて、列車は美佐島駅へ。

 美佐島駅はトンネルの中にある駅でした。


 降りたのは私一人。すぐに列車は出ていきました。




ホームをよく見てみると、トンネルの中にホームがあって、十日町側は複線のスペースがあるように見えますね。その上の写真、反対側は単線のトンネルしかないので掘るときのシールドマシンの影響なのでしょうかね。

 そんなことを思う間もなく、ホームを出ます。このホームには監視カメラがついていて、電車が出た後、2分以上いるとアナウンスで出るように促されるそうです。



階段をあがり、外に出ます。豪雪地帯らしく、雪が積もっています。駅前には何もなく、ただ雪だけが降り続いています。



駅舎に戻ると、地上の待合室は閉鎖されていました。





階段を下りて、地下にもある待合室へ戻ります。


写真ではわかりにくいのですが、地下の部屋は左の手前にドアがあり、左の奥のドアもあって、その先がホームです。この2つのドアは同時にはあかないそうで、その理由はトンネルを走る列車の風圧による被害を防ぐためだそうです。



ちょうど、特急「はくたか」がやってきました。


列車の通過音もすごいのですが、その前後の空気音が「シューシュー」をなり続けるのが印象的でした。ただこの空気音がすごいもので、この空気音の圧力が待合室のガラスを壊すくらいの威力があるそうです。現実に試験走行の時にガラスが割れたそうで、そのため、2つのドアを同時にあかないようにして安全を守っているのだそうです。

 美佐島駅では、すべての列車でそうなっているのですが、ガラスが割れるくらいの圧力がなぜかかるかといえば、特急「はくたか」がこのほくほく線区間で時速160キロ運転をしているからなのです。新幹線以外の在来線で一番早い列車はこの「はくたか」と成田空港へ向かう京成スカイライナーなのですが、京成スカイライナーは新幹線と同じ線路幅、標準軌1435㎜なので、日本の通常の在来線幅1067㎜で早いのはこの「はくたか」になります。一般的に線路幅が広いほどスピードが出せるので、「はくたか」の160キロはすごいことなのです。

 「はくたか」が2015年3月の北陸新幹線開業と引き換えに廃止になると、この区間での160キロ運転はなくなるので、この美佐島での空気音の圧力を味わうことはできなくなります。また一つ、すごいものが消えていきますね。そしてこの北越急行ほくほく線も特急がなくなって、ローカル列車のみになります。黒字経営が赤字に転落してしまうのですが、北越急行も、それはわかっていて今までの利益を貯金していたのだそうで、当分は大丈夫そうです。



十日町へ行く列車がやってきて、ホームのドアが開きました。

今日は十日町で一泊です。足が雪でびちょびちょになりながら、ホテルに駆け込んだのでした。





10へ続く。

 
  
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2015年11月25日

無くなるものへの惜別8「直江津駅での列車たち」~さよなら列車の旅in信越、会津8~





「くびきの5号」は直江津駅に到着しました。新潟へ向かう列車を乗り捨て、北越急行線に乗り換えますが、その乗り継ぎの合間に直江津駅を散策します。

 直江津駅は信越本線と北陸本線の接続駅で昔からの鉄道の要衝でした。日本海縦貫線を走る貨物列車だけでなく、旅客列車もいろいろな列車がやってきます。

 「くびきの」号の向かい側に特急「はくたか」が入ってきました。



 「はくたか」は越後湯沢~金沢間を走る特急列車で、北陸新幹線開業後には廃止になるのですが、新幹線の愛称として残るので、逆に昇格する感じなんでしょうか?



ここ直江津はJRになってから、JR東日本とJR西日本の境界駅になりました。



谷浜方面の北陸本線だけはJR西日本の路線なのですが、この路線は新幹線開業後はえちごトキめき鉄道になってしまうので、この看板も見納めなのでしょうね。ちょうど、北陸本線の列車が発車するところだったので、撮影してみました。



国鉄時代からの車両413系でした。JR東日本に比べて財務状況の良くないであろうJR西日本は国鉄時代の車両を整備して使ってますね。普段乗る人にとっては古臭くていやでしょうが、旅行だけで乗る私個人的には古い車両は懐かしさを覚えてうれしいですね。


このホームの屋根と壁は冬の厳しさを思わせます。


このホームの端に面白いものを見つけました。この大きく書いてある「0」の数字はこの駅を基点とする起点とのことです。通常「0」がある駅は路線の始発駅しかなく、北陸本線の起点は滋賀県の米原駅、また北陸新幹線開業前の信越本線の起点は群馬県の高崎なので、この駅を起点とする路線はないのですが、説明板を見ると、信越本線では昔から高崎からの距離はこの直江津でいったん打ち切られ、ここ直江津から新潟まで新しい距離を測りなおしているそうです。線路の使用実態からいえば別々の路線なので、当然といえば当然ですが、全国的にはあまりないことなのでしょうね。理由としては明治時代に新潟県で初めて駅ができたのが、ここ直江津だそうで、ここから鉄道の敷設が始まったことと関係があるのでしょう。ちなみに昭和の初めまで東京~新潟を結ぶ主要な鉄道路線はこの信越本線しかなかったことも歴史にとどめておく必要があると思います。今のメインは高崎と長岡を結ぶ上越線(上越新幹線)ですが、この区間は谷川岳をはじめとする三国山脈を越える必要があり、昭和6年に清水トンネルが開業するまでは、この信越本線周りが東京~新潟へ行く主要な路線でした。


長野方面から普通列車がやってきました。右側の普通列車は新潟方面に向かう列車で車両のデザインが違いますね。


駅の改札口へ出てきました。各方面に向かう行き先が表示されています


駅前に出てきました。直江津駅の駅舎は日本のクルーズ客船だった「飛鳥」をモチーフにしたデザインだそうです。


ここで夕食にしようかと思ったのですが、駅前に入りたくなるような飲食店がなく、また雪で足元が濡れてしまったので、駅へ戻ろうとすると、驚きの列車が!


豪華寝台特急「トワイライトエクスプレス」でした。この日は運転日ではないはずなのですが、どうやら旅行会社貸し切りの団体専用列車のようです。
以前乗ったときはここで何本かの列車を通すために長く停車するはずなので、慌ててホームに戻ります。



いつもは乗るのがメインなので、こういう撮影はしないのですが、思わぬ拾い物で「トワイライトエクスプレス」を撮影することができました。3月の北陸新幹線開業のダイヤ改正と同時に廃止が決まっているので、もう会うのは最後かもしれません。

ホーム向かい側に特急「はくたか」が到着しました。


赤い塗装が目立つ北越急行の車両でした。この車両も北陸新幹線開業後は「はくたか」の廃止に伴い、JR西日本に譲渡されるそうで、この赤い塗装も見納めになるのでしょう。ここで乗務員が交代します。

「はくたか」を見送った後、まだ時間があったので「トワイライトエクスプレス」の編成を見回ります。


この明かりの色なんかが、高級感を出していますね。寝台列車はほとんどなくなっているので余計に、この雰囲気は貴重なものです。

最後部まで来たところで、列車が発車していきました。


テールマークが美しいですね。

これらの光景も、3月のダイヤ改正からは大きく変わってしまうのでしょうね。貨物列車は相変わらず走るのでしょうが、特急も少なくなり、寝台特急は走らなくなり、これだけあるホームも必要なくなるのかもしれません。この直江津駅自体もJRからえちごトキめき鉄道に運営を移管するそうで、以前なら考えられないことです。寂しいといえば寂しいですが、また新しい展開があるかもしれないので、楽しみでもあります。今後に期待したいところです。

そろそろ時間が来たので、北越急行の列車に乗り込みます。




9へ続く。
  
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2015年11月15日

無くなるものへの惜別7「信越本線」乗り降り(3)「脇野田駅」~さよなら列車の旅in信越、会津7~


 新井駅から乗った列車は脇野田駅へ到着しました。



脇野田駅は北陸新幹線開業後は「上越妙高」駅となる駅で、前年の2014年10月19日に少し離れた場所から移設されてきました。現在は新幹線の駅舎の横に併設されています。



以前、2012年の夏にもこの脇野田駅には来たことがあって、この時の旧駅舎と新幹線駅の工事現場を撮影していました。

こちらは旧駅舎。1921年の7月に駅として開業するために作られて、93年間使われたものだそうです。


こちらは旧脇野田駅ホームと、建設中の新幹線駅です。その新幹線駅の西側、この写真でいえば、新幹線駅の向こう側にこの在来線が移設されたことになります。

もう新幹線開業時に備えた設備になっているようで、在来線側の改札はこじんまりしていました。

JRの緑の看板がついている光景を見られるのは、あと少しですね。


新幹線側の改札口はまだシャッターが下ろされていて、殺風景でしたが、開業後はにぎわうのでしょう。



東口に降りてみました。駅前広場の整備工事中でした。



もう「上越妙高」駅の名前が掲げてありました。

以前撮影した写真から想像するにこの付近に旧駅舎があったはずですが、雪が積もっていることもあって、線路跡などもわからない状況になっていました。



西口の駅舎内も立派でした。

誰もいない光景を見ることができるのは今だけの貴重な瞬間ですね。



西口広場です。車が1台きて、おそらく見学に来た地元の人なんでしょうね。ゆっくりと駅舎内を見ていました。

北陸新幹線開業後は直江津駅に代わって、この駅がJR東日本と西日本の境界駅となります。速達型の「かがやき」号は停まりませんが、東京から2時間で来られるようになります。何より乗り換えなしで来られるというのは素晴らしいことですね。そして在来線の信越本線は越後トキめき鉄道妙高はねうまラインに代わります。かつては群馬県の高崎から碓氷峠を越えて、長野経由で直江津、新潟まで結んでいたJRの信越本線は、高崎~横川、篠ノ井~長野、直江津~新潟までの各県内の線路になってしまいましたね。今後、線路名が変更されるかもしれません。この20年で線路の状況は大きく変わってしまったなあと、時代の流れを感じてしまいました。

そして、この「脇野田駅」は開業と同時に「上越妙高駅」になり、名前がなくなってしまいます。「脇野田」の名前は駅舎内の東西の入り口をつなぐ自由通路の名前として残るそうです。それは「脇野田」の名を惜しむ地元の人々の心意気なのかもしれません。



先ほど、新井駅で撮影していた快速「くびきの5号」がやってきました。この列車で直江津まで向かいます。

8へ続く。
  
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2015年11月10日

無くなるものへの惜別6「くびきの」号~さよなら列車の旅in信越、会津6~



 二本木駅から乗った列車は春日山駅で乗り捨てました。春日山駅はホーム1面、線路1面の駅でした。




春日山駅でスタンプを押させてもらい、駅の表に出ます。



ここは戦国武将、上杉謙信の居城だった春日山城の最寄駅ということで、駅前にも上越市の春日謙信交流館がありました。



時間がないので次回回しにして列車に乗ります。



直江津方面から特急型の車両がやってきました。快速「くびきの5号」です。


この「くびきの」号は新潟駅から上越市の新井駅まで走っている快速列車ですが、グリーン車も指定席も連結している特急列車なみの設備を持つ列車で1日3往復走っています。上越市と新潟県の県庁所在地新潟市を結ぶ列車として貴重な列車でもあります。新潟県は東西に長いので、上越市から県庁所在地新潟まで行くのは大変ですね。ちなみに上越市の上越と上越新幹線の上越は意味が違うのはご存じでしょうか?上越市の上越は越後の国の中の京都に近いほうから上越、中越、下越という旧国名の名づけ方の中の上越で、上越新幹線の上越は群馬県の旧国名、上野国と新潟県の旧国名、越後国の頭文字をとった上越なのでした。


北陸新幹線開業後、この「くびきの」号は廃止になるのですが、新たな新幹線停車駅となる上越妙高駅と新潟を結ぶ特急「しらゆき」が5往復運転され、快速列車も2往復走るそうで、大幅な増発になります。特急料金を払わなければならないといえ、車両も新しくなり便利になります。その引き換えに「くびきの」号は廃止となるのでした。

列車に乗り込むと、ほとんどの乗客は降りたようで車内はガラガラでした。乗る区間はわずかですが、列車名の入った切符を残したくて指定券を購入していたので、指定席に座り、雪景色を堪能しました。

あっという間に終点新井駅に到着です。


車両を撮影すると、古き良き国鉄型特急の色が雪の白色に映えます。かつてはどこででも見ることができた国鉄色の車両はもうほとんどないので、もう見ることはできないかもしれません。



反対方向の列車が来たので、撮影もそこそこに乗り込みます。次は脇野田駅へ向かいます。

7へ続く

  
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2015年11月05日

無くなるものへの惜別5「信越本線」乗り降り(2)~さよなら列車の旅in信越、会津5~



 列車は二本木駅に到着しました。二本木駅は少なくなったスイッチバックの駅です。

 この駅で直江津方面の列車と行き違い交換をします。行き違い交換なのに同じ方向から来て、同じ方向へ出ていくというのは目新しいです。


ホームの先端まで行って、スイッチバックを行く列車を眺めます。


直江津行の列車が出発していきました。スイッチバックなので、通常なら点灯していない、前照灯が点いています。


線路上にはスプリンクラーで水がまかれています。この水は地下水だと聞いたことがあります。地下水は暖かいので、雪を解かすのだそうです。北海道なんかだと、その水も凍るくらい寒く、この方法は使えないので、地道に雪かきするしかないので大変なのだそうです。



列車はポイントを渡り、折り返し線に入っていきます。左側の線路が折り返し線。右側が長野方面の本線。左側の線路の手前、ポイントの左下へ抜けていく線路が直江津方面への本線です。



雪が強くなってきています。折り返し線に入った列車は直江津方面に抜けていきました。



続いて、乗ってきた長野行の列車が発車していきます。




今度は折り返し線には入らず、長野方面の本線に入っていきました。



この列車専用の停止位置ですね。調べてみると、柏崎からこの駅で折り返す列車でした。通常は3両編成ですが、この列車は朝のラッシュ時に走るせいか6両で走っているようで、それで専用の停止位置があるんでしょうね。


列車が行ってしまうと、ホームには誰もいなくなりました。



ホームを探検してみます。まずは駅名標。


スイッチバックの駅らしい表示です。




危険物の保管用にレンガで作られた倉庫もありました。




駅舎に入ると、駅員もいました。スタンプもおいてありますね。


スイッチバックの図も貼ってありました。



駅前は雪かきされていました。
駅周辺は人家が多いですが、休日の雪の日の午後は誰も歩いていませんでした。


駅に戻ります。
さっき南高田駅で乗り捨てた「妙高」号が長野行となって戻ってきました。



雪に向かって走っている先頭はヘッドマークも見えないくらいになっていました。



私の乗る直江津行きの列車もやってきました。


これに乗り込んで、次の駅に向かいます。

2015年3月のダイヤ改正で北陸新幹線開業と引き換えにこの駅はJRからえちごトキめき鉄道に引き継がれました。普通列車の両数が3両から2両になり、6両編成で乗り入れていた朝の列車も無くなりました。また新しい鉄道の駅も見てみたいですね。

6へ続く
  
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2015年10月30日

無くなるものへの惜別4「信越本線」乗り降り(1)~さよなら列車の旅in信越、会津4~


 
 南高田駅はホーム1面1線の駅でした。



 無人駅で駅舎代わりの小さい待合室が置かれていました。中には自動券売機が置いてあり、女子高生が1人、列車を待っていました。この日は休日の午後ですが、学校帰りでしょうか?




 駅前は静かですが、道の向かい側にはコンビニが1つありました。駅周辺は住宅地になっていて、たまに車が通ります。


 踏切の名前が気になります。


「中田原練兵場」戦前に軍隊の練兵場があったのでしょうね。後日調べてみると、高田市の高田城に陸軍の第13師団の司令部が置かれ、その周辺に練兵場などが置かれたそうで、黎明期の飛行機も着陸していたそうです。


 列車がやってきたので乗り込みます。この車両115系も、前回の長野総合車両センターで見た仲間たちのように、近いうちに廃車になるのでしょうね。



 車内の地図のこの部分も見納めかもしれませんね。

列車は一旦停止し、後退して行きます。そして、先ほども通ったスイッチバックの駅、二本木駅に到着します。

5へ続く。
  
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2015年10月25日

無くなるものへの惜別3「妙高号」~さよなら列車の旅in信越、会津3~

 長野駅からは「妙高」号に乗って北上します。



 「妙高」号は普通列車ですが、特急列車の車両189系を使用しています。この189系は長野新幹線が開業する前に信越本線を走っていた特急「あさま」号などに使われていた車両で、そのころ66,7‰と勾配が一番きつかった碓氷峠を越えるための設備を備えていた車両でした。その末裔がこの「妙高」号に使われているのでした。


 車両を見てみると、だいぶ痛みが激しくなっていました。北陸新幹線が開業したら、この車両も廃車になるのでしょうね。後日調べてみたら、この車両は3か月後の4月2日付で廃車になっていました。本当にお疲れ様でした。

 向かいのホームで撮影してから、乗車ホームへ向かいます。





 国鉄時代から続くこの形は私にとっては特急列車の代名詞ですね。普通列車になっても高級感を感じます。


 まあ車内はだいぶくたびれていますが、私はこの車内の雰囲気が大好きです。製造年を見ると、昭和51年!39年も使われてきたんですね。いい歳です。




 発車を待つ「妙高」号です。この光景も見納めですね。

 12時45分、定刻に長野駅を発車しました。発車すると、すぐ右手に長野総合車両センターが見えます。ここは廃車になって解体を待つ車両が留置されていることが多く、この日も、南武線から廃車になった205系や、かつて東海道本線を走っていた2階建てのグリーン車、いわゆるスカ色と言われると横須賀線で使われていた色を残した115系などが解体を待っていました。


「妙高」号は豊野で飯山線を分かれて山地へ入ると、雪深くなります。牟礼駅ではこんな感じです。





沿線は雪世界です。その中を「妙高」号は進んでいきます。



私のイメージで「妙高」号といえば、上野~長野間の夜行列車だったイメージが強いのですが、それは上越新幹線が開業した昭和57年から平成5年までだそうで、もともとは上野から直江津まで運行していた準急列車から始まり、最盛期は6往復まで増えた上野~長野、直江津の急行列車の名前だったそうです。名前の由来はこの先の妙高山から取っているのですから、まあ直江津まで行くのは当たり前ですね。そう考えると、今の運転区間(長野~直江津)はこの列車にピッタリな区間です。この「妙高」号も北陸新幹線開業と同時に、この区間がしなの鉄道とえちごトキめき鉄道に移管されることにより、その歴史にピリオドを打つことになりました。



妙高高原駅へ到着。ここはもう新潟県です。新幹線開業後は、ここで運営会社が分かれます。ここで外国人が数人降りていきました。スキーをしに来たのでしょうか?



妙高高原駅を超えると、列車は直江津へ向けて下っていきます。相変わらず景色は真っ白。そして雪が強く降り始めました。

そして二本木駅到着。ここは最近では数少なくなったスイッチバックの駅。後程降りますが、とりあえず停車時間があったので、写真をパチリ。結構鉄道ファンがいました。




14時05分、南高田駅に到着。ここで下車します。降りたのは私一人。列車は直江津まで行きますが、ここから信越本線乗り降りの旅をするので、列車を見送ります。



「妙高」号は雪の中へ消えていきました。

4へ続く。
  
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2015年10月20日

無くなるものへの惜別2「長野新幹線」~さよなら列車の旅in信越、会津2~



 2015年3月14日にいよいよ北陸新幹線の長野~金沢間が開業することにより、なくなるものの一つといえば、「長野新幹線」の名称です。正式名称は昔から「北陸新幹線」でしたが、1997年の長野開業時から通称として使われてきました。

大宮駅での案内板にも使われていました。



10時18分の「あさま513号」で長野へ向かいます。



大宮駅の駅弁屋で「北海たらば蟹弁当」を購入してきました。





中身はこんな感じ。美味しそうですが、この弁当を買った決め手は北海道の日高本線静内駅の弁当ということで購入したのでした。



ただ、のちに駅弁好きが作っているホームページをのぞいてみると、静内駅の駅弁は現地ではほとんど売っていなくて、もっぱらデパートやスーパーでの駅弁催事のみで販売されているようです。なんだ駅弁もどきかと思いましたが、静内駅自体は1日10本ほどの列車しか発着していないので、こういうのもやむをえませんね。日高本線自体も現在不通になっていて存亡の危機に立っているので、一度現地へ行って確かめつつ、購入してみたいものです。

ご飯を食べつつ、「あさま513号」は北上していきます。車窓には雪をまとった山々が。



あっという間に碓氷峠を抜け、長野県へ。浅間山は頂上が雲に覆われていました。




上田城を過ぎ、大宮から1時間ちょっとで長野駅へ。あっという間です。


この新しいE7系の車両も3月からは北陸新幹線で活躍するのでしょうね。





今までの主力、E2系との並びです。1997年の長野開業時に作られたこのE2系から北陸新幹線用に作られたE7系へ変わっていくことを象徴していくかのような光景ですね。

長野駅の駅名看板。


これを見るのも最後かもしれません。

駅構内には北陸新幹線の新しい愛称のポスターも貼ってありました。


「あさま」は長野どまりの新幹線の愛称として残るそうで、長野県民には一安心かもしれません。

在来線に乗り換えます。冬の真っただ中らしく、雪深い飯山線は除雪作業で一部時間帯のみ止まっていました。


  
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2015年10月15日

無くなるものへの惜別1「北斗星」~さよなら列車の旅in信越、会津1~


 2015年の1月に旅に出ました。3月に北陸新幹線が開通することに伴って、大きく鉄道地図が変わる信越、会津地方を旅してきました。新しいものができるということは、それに伴って無くなるものも当然あり、その無くなるものへ惜別を兼ねた旅となりました。

 
 まずは10時過ぎの新幹線に乗るために大宮駅へ。すると、



 3月に定期運行が廃止される上野行きの寝台特急「北斗星」が雪の影響か、30分遅れで走っているそうで、時計を見ると10時過ぎ。ちょうど来るころではありませんか。あわてて階段を下りました。撮影するので、向かい側のホームへいきます。




 機関車の前から撮影する時間はなさそうだったので、車両の横からの撮影です。台車には雪がついてますね。



 車両に付いたエンブレムはJR北海道の車両だそうで、3月以降の臨時運行時はJR東日本車両のみで運行するそうなので、この車両も廃車になるのでしょうね。



 10時06分ごろ、「北斗星」号は上野へ向けて出ていきました。特に上野駅に見に行くことはないので、定期列車としての、この列車を見ることはないのかもしれません。




2へ続く。
  
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