2016年03月03日
カシオペアの旅(下)~函館鉄道乗り歩きと「カシオペア」の旅12~
朝起きると、列車は日和田駅に停まっていました。福島県の郡山駅の一つ手前です。
時刻は7時前。本来ならば、郡山駅を6時17分発なので、30分ほど遅れています。朝の車内放送が流れてきて、東北地方の濃霧のため、徐行運転を行ったため、列車が遅れているとのこと。カシオペアツインにもモーニングコーヒーと新聞が届けられてました。
朝食は混んでいるので最後のほうに食べようと思っていたので、ラウンジカーに先に行きました。
矢吹駅を通過です。
対向列車とすれ違い。
線路を眺めるのは楽しいですね。
頃合いを見計らってダイニングカーへ。
前回の北斗星の朝食は和朝食だったので、今回は洋朝食にしました。
去年の今頃も北斗星に乗って思いましたが、田植え前のこの時期の田んぼは美しいですね。これぞ、日本的風景だなと思います。
8時過ぎているので、食事する人もまばらです。
のんびりコーヒー飲みながら、車窓を眺めておりました。おそらく、これが昔の国鉄時代からの流れをくむ食堂車での最後の食事でしょうから。
あとの時間は個室に居てもよいのですが、最後はラウンジカーでのんびり線路でも眺めることにします。かつては東北、北海道へ行く長距離特急が数多く走っていたこの線路も今は通勤通学の近郊電車が多く走るようになりました。
東大宮駅を過ぎて車両センターから国鉄時代から続く185系の特急列車を見かけました。そろそろお役御免の時期に来ている電車です。
大宮を過ぎると、線路が多数並び、行き来する列車に退屈しません。
いよいよ荒川を越え、東京都内に入ってきます。
尾久駅を向こう側には北斗星用の車両も止まっています。今夜札幌行きになるのでしょう。
空も青く、いい朝です。
10時13分。定刻より48分遅れで上野駅の下ホーム13番線に到着です。
やはり、最後尾は写真撮影の格好の被写体ですね。
ちょっと驚いたのはラウンジカーの端には推進運転用のハンドルがついていたんですね。運転士が準備しています。
このホームは機関車の付け替えができないので、さっきの尾久駅横の尾久車両センターまで機関車に押してもらって運転する推進運転をするんですね。この光景は国鉄の本当に古い時代からあったものですが、翌2016年3月のダイヤ改正による「カシオペア」廃止で定期的には終わってしまうのでしょう。
先頭の機関車も撮影しました。
この新しい電気機関車EF510はJR貨物が貨物用に作った機関車をJR東日本が旅客列車用に採用したものですが、寝台列車廃止に伴い、何両かの機関車をJR貨物に売却しているとのことで、この機関車が貨物を牽く時代も近いのかもしれません。
10時23分。「カシオペア」は回送として尾久車両センターへ推進運転で帰っていきました。
私が自分で計画を立てて、初めて夜行列車に乗ったのは1988年8月、臨時急行「八甲田81号」で、この上野駅からでした。そしてこの上野駅に夜行列車で帰ってくるのはこれで最後になるのだと思います。夜行列車と上野駅は私の旅人生の中に数えきれないほどの思い出を刻み付けてくれました。本当にありがとうございました。
函館鉄道乗り歩きと「カシオペア」の旅終わり
2016年02月28日
カシオペアの旅(中)~函館鉄道乗り歩きと「カシオペア」の旅11~
ダイニングカーは2階部分にあり、眺めがよいところでした。
今回頼んだのは「カシオペア懐石御膳」でした。
カシオペアの夕食は全席予約が必要で、フランス料理コースと懐石御膳の2種類から選べます。基本、依然食べた北斗星の料理とほぼ共通だという情報だったので、北斗星での食べ比べの結果、懐石御膳にしました。料理はこれ。
これにご飯とお吸い物が付き、ほかにも揚げたての天ぷらも来ました。勢ぞろいした時の写真はこんな感じ。だいぶ食べてしまっていますが。
ちなみに以前乗った北斗星の懐石御膳はこれ。
確かに内容は同じ気もしますが、北斗星のほうが豪華かもしれませんね。まあ時期も違いますし、こういうのを比べるのは野暮かもしれません。車窓を眺めながら食事がとれるのですから、これが一番の価値です。
お酒も別注文で日本酒の男山と、カシオペアワインを飲みました。カシオペア専用のワインがあったんですね。
約1時間ほど堪能して、デザートの和菓子で締め。
ダイニングカーを辞して、ラウンジカーへ。車窓が見えないせいか、ガラガラでした。
車端の壁には鉄道友の会のブルーリボン賞がついていました。15年前の受賞なんですね。
自分の部屋に戻ります。面白いことに車内販売が来ると、音とランプで教えてくれるんですね。個室ばかりの列車の一つの知恵ですね。
20時からシャワーの時間なのでシャワー室へ向かいます。意外に忙しいスケジュールです。
私の乗っている10号車にシャワー室がついていました。
6分間使用可能です。ほかの列車にもついている標準的なものですね。
21時06分、列車は函館駅に到着しました。さっそく先頭の機関車を撮影します。
ここで機関車が非電化用のディーゼル機関車DD51から青函トンネル専用の電気機関車ED79に交代します。
切り離された後の最後尾。テールマークがきれいです。
函館駅では6分停車ですぐに出発です。ED79の先頭も撮影したかったのですが、案の定、先頭はホームを出ていました。なので車内ラウンジカーから機関車をパチリ。面白いことに機関車の裏側には「はまなす」のヘッドマークが!
この機関車を使う列車は3列車しかないので、横着したのかもしれません。
21時を過ぎたので、パブタイムで再びダイニングカーへ。ピザとサッポロクラシックビールを注文して、暗い車窓を眺めながら、軽い夜食にしました。不思議なことに写真を撮らなかったのですが、なぜか伝票の写真が。
列車営業支店は寝台列車亡き後、新幹線関係で残るんでしょうかね?
青函トンネルに入り、いよいよ北海道ともお別れです。
2000年代の後半から寝台列車が毎年のようになくなってきたことに焦って、今ある全部の寝台列車に乗るようにしてきましたが、それもこのカシオペアで終わります。もう一度、全車ロビーカーの北斗星に乗りたいですが、臨時化してしまい、寝台券をとるのはおそらく無理でしょう。今後もサンライズには乗るでしょうが、一応の完乗ということで達成感と一抹の寂しさを感じます。まあ、新しい旅もすればいいし、寝台ならば海外でも乗ればよいのですけどね。
そんなことを思いながら、眠りについたのでした。
12へ続く。
2016年02月25日
カシオペアの旅(上)~函館鉄道乗り歩きと「カシオペア」の旅10~
札幌駅に着いて、いよいよ最後のメインイベント「カシオペア」に乗ります。
16時02分頃に列車が入ってきました。向かいのホームで撮影してみました。
乗車するホームに戻り、車両のテールマークを撮影しようとしたら、最後尾に警備員がいて撮影できないようにしていました。ホーム端なので危ないのはわかるのですが、これでは鉄道ファンだけではなく一般の旅行者にも不評ではないでしょうか?
こちらが私が乗る10号車。
もう機関車を撮影する時間はないので、車両に乗り込みます。予約したのはカシオペアツインです車端の1番です。この部屋は3名乗ることができますが、今回は乗ろうとした友人と予定が合わず、1人で乗ることになりました。以前は1人用のチケット「カシオペアシングルユース券」が発売されていたようですが、今はないので、一人で乗ろうが複数人で乗ろうが、あまり料金は変わらないようです。
部屋に落ち着くと、すぐに発車です。16時12分札幌駅を定時に発車しました。
札幌を出て、札幌貨物ターミナル付近にJR北海道所属の北斗星車両が留置されていました。今走っている臨時の北斗星はJR東日本の車両のみで構成されていて、ロビーカーが半室ではなく1両まるまるついている編成になっています。このJR北海道の車両は近いうちに廃車になって壊されていくのでしょう。
感傷に浸る間もなく、シャワー券を買いにダイニングカーへと向かいます。個室ばかりの「カシオペア」ですが、一部を除いて部屋にシャワーがついていないので、シャワー室利用のシャワー券が必要ですが、車内の乗客数に比べて、シャワーの数が少ないので売り切れになる可能性が高いとのこと。発売開始のアナウンスが流れたので、すぐに買いに行きシャワー券を入手しました。
ウエルカムドリンクにジュースと翌日のモーニングドリンクチケットをいただきました。
シャワーはないですが、個室内にはトイレもありました。
夕食まで時間があるので、最後尾のラウンジカーへ向かいます。ラウンジカーは混んでいましたが、何とか椅子に座れて、日本一長い直線区間を撮影することができました。
現在乗車している室蘭本線の沼ノ端~白老間、約28キロは日本一長い直線区間になっているそうです。この区間の最後部から線路を見ることはほとんどないので、貴重な体験でした。
東室蘭駅を過ぎると、白鳥大橋が見えてきました。ちょうど夕暮れが見えれば、海越しの夕日が見える美しい区間に入るのですが、残念ながら曇ってしまいましたね。
ちなみにラウンジカーはこんな感じ。
18時20分頃、列車は伊達紋別駅に到着。ここで函館行きの特急「スーパー北斗14号」に追い抜かれるため、少し停車します。札幌駅で取れなかった最後尾のテールマークを撮影に向かったら、残念ながら、最後尾はホームにかかっていませんでした。
今度は先頭の機関車を撮ろうとしたら、機関車もホームからはみ出していました。機関車2両+客車12両の長さの列車は北海道ではこの列車くらいしかないのですから、やむをえないのですが、残念な限りです。
最後尾のスイートは北海道行きの下りは全面展望を味わえますが、上りは機関車の前になってしまうのが悲しいところです。
スーパー北斗が追い抜いていきました。
「カシオペア」も出発です。そろそろ18時半、私の夕食タイムが始まるので、ダイニングカーへ向かいます。
11へ続く。
2016年02月21日
札幌散歩~函館鉄道乗り歩きと「カシオペア」の旅9~
札幌駅に降り立ったのはまだ朝の6時過ぎ。昭和の日の祝日ということもあって、札幌駅構内は閑散としていました。
寝台に乗ったとはいえ、夜行列車明けの朝はだいぶ体にこたえます。学生の頃は宿代を浮かすために北海道で夜行列車で10連泊位したものですが、もう体がもちませんね。今日行きたいと思っている北海道博物館は9時半開館なので、それまでの時間をすすきのにある、行きつけのサウナで過ごすことにして、すすきのまで歩きます。
札幌駅前も閑散としていて、きれいに撮影できました。
赤レンガの旧北海道庁。
大通公園も人がまばらですね。
そして札幌市電の「西4丁目」停留所。
札幌市では「西4丁目」と「すすきの」の間を結ぶ札幌市電をつないで環状線にしようという構想があり、そろそろ工事に着工しそうだということで、この光景も見納めになるかもしれません。そうこうするうちに電車がやってきました。
その後、2015年の12月20日に環状部分が開業し、札幌市電は環状線となりました。
すすきののサウナで休憩し、すすきの交差点のマクドナルドで朝食にしました。マクドナルドから1枚。
さて今日の目的地は北海道博物館。4月18日に開館したばかりということで楽しみです。まずは地下鉄東西線で新さっぽろ駅へ。現在札幌の市営バスは民間に譲渡され、なくなりましたが、きっぷは地下鉄からの乗り継ぎ割引きっぷが買えました。
新札幌駅からJR北海道バスに乗って北海道博物館へ。
入り口にはナウマンゾウとマンモスゾウの骨格が展示されていました。
こちらがナウマンゾウ。
こちらはマンモスゾウ。
北海道の歴史をはじめ、様々な展示が面白かったですが、鉄道関係の展示もありました。
「はまなす」のヘッドマークと深名線のサボが展示されていました。
この日は屋上が開放されていて、屋上からは札幌市内が一望できました。冬が終わり、春が始まる北の大地という感じですね。
1
近くの百年記念塔もきれいに見れました。
百年記念塔は以前は入れたらしいですが、現在は危険のため、立ち入り禁止だそうです。北海道百年を記念して作られた野幌森林公園の中には北海道博物館、百年記念塔とともに北海道開拓の村もあるので、以前行ったことがあるのですが、改めて寄ってみました。
入り口は昔の札幌駅を縮小復元したものだそうで、良い雰囲気を出しています。
全部見る時間がないので、いくつか見たいところを見てきました。
まずは旧札幌農学校寄宿舎が復元されていたので、入ってみました。
その後、北海道大学の恵迪寮となり、近年まで使われていたそうです。
そして置戸にあった森林鉄道の機関庫が再現されていました。
開拓の村内では馬車鉄道もはしっていました。
そろそろ時間になってきたので、森林公園駅まで歩いてきました。
記憶にはないのですが、記録を確認すると、以前にこの駅には乗り降りしたことがありました。
札幌駅へ向かいます。
10へ続く。
2016年02月18日
最後のB寝台上段に乗る~函館鉄道乗り歩きと「カシオペア」の旅8~
「はまなす」の乗る前に写真を撮ろうと、先頭に行ったところ、立ち入り禁止でした。
列車の後ろ側は何両分もあいているのに、意地悪な感じがします。まあ停止位置を後ろにずらすのは手続きや信号の移設なども必要なのでしょうし、以前は入れたはずなので、そろそろ廃止前の混雑に備えた対応なのでしょう。撮れる写真はこんな感じ。
でも青の車体は美しさを感じます。
「北斗星」にもありましたが、はまなすにもエンブレムがついていました。これはJR北海道の良き時代の名残なのでしょう。
この行き先の札幌の文字も懐かしさを覚えます。
後ろの車両、テールマークも旅情を感じさせますね。
ちょうど秋田からの「つがる9号」が向かいのホームに到着しました。
青函連絡船が健在のころはこの夜中の時間に上野から特急「はつかり」、大阪から特急「白鳥」がこの青森駅に到着して青函連絡船の夜間便に接続して、早朝の函館乗り換えで札幌まで特急網がつながっていました。「はつかり」は新幹線に代わり、「白鳥」も金沢、新潟、秋田で分割されましたが、今もかろうじて特急「つがる」が「はまなす」に接続して、本州、北海道間の連絡を取っています。
さてそろそろ、発車時間です。
車内に入ると、ゴールデンウィーク直前ですが、そんなに混んでなませんでした。
ドリームカー
カーペットカー
自由席、ガラガラでした。
ドリームカーの車両の端にはミニラウンジがありました。いつもは飲んでいる人が数人で歓談していることが多いのですが、今日は無人でした。
今夜の私のB寝台上段です。これが私の人生の中で開放型B寝台の乗りおさめかなと思い、ここ何年も乗っているB寝台は下段ばかりだったので、上段に乗ることにしました。本当は下段のほうがベッドの幅が広く、出入りもしやすいのですが、今後の旅で2段寝台、それも上のほうに乗ることは国内では最後でしょうし、そんなに海外の寝台列車に乗ることはないでしょうから、記念です。
下段の方はそのまま寝ておられたので、手早くシーツを敷き、酔っていていたこともあってすぐに寝ました。
ふと気が付くと、函館駅に到着するところでした。約40分停まるので、降りて撮影します。
電気機関車ED79は青函トンネル通過用にほかの電気機関車から改造された機関車だそうで、赤い車体が特徴的でした。北海道新幹線が開業すると、青函トンネル内は新幹線の電圧になるので、この在来線の電圧で走っているED79は使えなくなり、廃車になるのかもしれません。
ここからは非電化区間を走るので、ディーゼル機関車DD51をつなぎます。函館山も遠くに見えて函館らしい風景です。
函館駅を出発して再度B寝台に潜り込みます。再び目が覚めると苫小牧駅に到着してました。
下段の人が降りていきました。当然のことながら途中駅での利用もあるのですね。
起きて、空いた下段の寝台に座って、外を眺めます。札幌に近づくと左手に釣り堀が見えてきました。いつも札幌到着直前に見えてくる光景で、「トワイライトエクスプレス」や「北斗星」などの寝台列車に乗った時にも同じ光景を見て、もう終わりだなあという寂しさと感慨を感じたのですが、今回も少し寂しさを感じました。札幌行きの夜行列車に乗ることはないかもしれないからでしょうか?別に昼間の列車に乗っても見ることはできるんですけど、そのときに見るときの感情は今とはまったく違うと思います。
6時08分、1分遅れで札幌駅に到着しました。「トワイライトエクスプレス」などと違い、撮影する人も少なく、じっくり撮ることができました。
9へ続く。
2016年02月14日
青森でマグロを食らう~函館鉄道乗り歩きと「カシオペア」の旅7~
函館駅では時間があったので、2階のホールをのぞいてみました。ちょうど寝台特急の写真展をやっていました。
函館発17時07分のスーパー白鳥38号で青森へ南下します。列車は夕日に照らされて止まっていました。
霞がかった津軽海峡には函館山と青函連絡船亡き後、津軽海峡を行きかう津軽海峡フェリーが見えました。
17時53分、青函トンネルに入りました。
テーブルの裏側にはトンネルに入る時間と出る時間が書いてありました。これは便利ですが、新幹線開業後はなくなるのかもしれません。
青函トンネルを抜け、津軽今別駅を通過します。ちょうど、同じ場所にできる奥津軽いまべつ駅には北海道新幹線のH5系が止まっていました。
新中小国信号場を過ぎるとJR東日本に入ります。ちょうど行きとは逆の写真が取れました。北海道旅客鉄道株式会社の表示の裏が行きの写真にある東日本旅客鉄道株式会社になります。
18時57分、青森到着。もう暗くなっていました。
22時18分発のはまなすまで時間があるので、夕食にします。行ったのはここ。
大間のマグロを出すと聞いて、「いなげや」さんにやってきました。
まずはビールとあんこうともあえ。
大間のマグロ盛り合わせ。
左上から、のうてん、ほほにく、脳の中、右上から中トロ、かまトロだそうです。(違ったらごめんなさい)
刺しイカ田子あえ
まぐろ目玉酒蒸し
ご主人と話してみれば、私の住んでいる近所に昔は店を出していたそうで、その時はうなぎやだったとのこと。その縁でうな重も頼んじゃいました。
日本酒もいただき、とてもおいしゅうございました。
ちょっと長居をし過ぎて、青森駅に戻ったのは22時ころ。写真撮るにはぎりぎりです。つい飲みすぎました。
青森発の夜行列車はこの急行「はまなす」しかないのですが、改札口ががらんとしていました。
この「はまなす」がなくなれば、青森駅の夜はもっと静かになります。青函連絡船が本州と北海道を結ぶルートのメインだったころは毎日のように夜行便でも旅客の積み残しがあって、たくさんの人々がこの駅で一夜を過ごしたそうです。今でもだいぶ静かですが、来年の3月で細々と続いてきた歴史の流れは断ち切られるのでしょうね。一抹の寂しさを感じます。
ホームに向かいます。
8へ続く。
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2016年02月11日
渡島大野と新函館北斗と~函館鉄道乗り歩きと「カシオペア」の旅6~
木古内駅から約40分で函館にやってきました。函館駅横の函館運転所には寝台特急を引っ張るディーゼル機関車が何両も止まっていました。この光景を見られるのももあと1年切っているのですね。この時点で「北斗星」は8月廃止、「カシオペア」も夏以降の運転が未定の状況でした。
13時42分の函館駅に到着。ホームの向かい側には札幌行きの「北斗9号」が止まっていました。昔ながらの183系車両とのことで懐かしい限りですが、この183系は老朽化して事故や火災などが頻発しているので、近々廃車になりそうです。おなごり乗車も一回くらいしたいものですが。
函館駅には北海道新幹線のH5系ののイメージが展示されていて、開業への期待感を盛り上げているようです。
駅前のラッキーピエロで昼食用のハンバーガーを購入して函館駅へ戻ってきました。
森行きの普通列車に乗り込み、出発です。
車内でいただいたのはラッキーガラナ。
ホタテバーガー
生姜焼きバーガーでした。
到着したのは渡島大野駅。
ローカル駅とは思えない新駅になっていました。
ここは来年の春の新幹線開業と同時に「新函館北斗」と改称して新幹線の駅になるのでした。函館側には函館行きの「はこだてライナー」用のホームも設置されていました。
まだ新幹線側は壁に覆われて何も見えませんでしたが、
入り口付近の吹き抜けなどはばっちり見えました。
外に出てみると、「新函館北斗」駅の駅舎ができておりました。
駅の端には旧駅舎であろう残骸の跨線橋と危険物倉庫が残っておりました。
駅前は広大な駐車場になっているほかは何もなく殺風景な新駅です。開業したらもっと賑わうのでしょうか?それとも通過駅だけになるのでしょうか?
駅から歩いて数分のところに大野駅前郵便局がありました。おそらくここも来春には「新函館北斗駅前」郵便局に代わるのでしょうね。
開業一年前とはいえ、駅の工事だけ進んでいて、町の工事は全く進んでいない感じでした。これからの発展期待したいところです。
駅に戻って、さっきの跨線橋の残骸を観察してみました。
今の駅の少し札幌側にホームがあったようです。
函館行きの列車に乗り、時間があったので、途中の大中山駅で下車。
駅前通りを突き当たった国道5号には松が植えてありました。別名赤松街道と呼ばれたりするところだそうです。美しい風景ですね。
函館へ戻り、ここから一気に青函トンネルを南下します。
7へ続く。
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2016年02月07日
廃駅とお寺と資料館~函館鉄道乗り歩きと「カシオペア」の旅5~
次の目的地へ向かうために木古内駅へ戻りたいのですが、現在9時40分。次の木古内行きは10時59分。これに乗ると、木古内に11時31分。これでは乗り換えに間に合わないので、いったん反対方向の五稜郭駅まで行きます。
すぐに木古内駅に泊まる特急列車「スーパー白鳥20号」に乗りました。これだと木古内着は11時00分。都合のよい時間です。
気軽に反対方向に行って、特急列車で戻るなんて芸当は特急にただで乗れるフリー切符だからできるのであって、普通なら料金考えるとできない気もします。
木古内駅からは江差病院行きのバスに乗ります。このバス路線に乗るのは2回目。前回は奥尻ムーンライトマラソンの旅の帰りに乗って以来です。そしてこのバスは2014年5月に廃止になったJR江差線の代替バスでした。これに乗ります。前回は沿線市町村のゆるキャラを描いたラッピングバスでしたが、今回は普通のバスでした。
バスからはまだ線路の残っている旧江差線(右の線路)が見えました。
降りたのは鶴岡禅燈寺でした。
まずは渡島鶴岡駅跡へ。待合室の入り口は板が打ち付けられていました。
ちなみに現役時代はこんな感じ
今でも踏切以外の部分には線路が残っていました。
踏切が使われていないという看板は物悲しいものがあります。
渡島鶴岡駅で有名だったものがありました。
この地のお寺、禅燈寺の敷地内を江差線が横切り、踏切があるという場所でした。
ここは今でも残っていました。
「踏切注意」の看板も残っており、この写真だけ見れば、今でも列車が横切りそうですね。
ここ渡島鶴岡は明治以降に山形県の鶴岡市の人々が入植したことから名付けられたそうです。ここにはある程度の人が住んでいたようで、2010年までは鶴岡小学校があったそうですが、閉校になり今では木古内町には小学校が1つしかないそうです。その校舎はまだ新しいので、それを使用した木古内町の郷土資料館「いかりん館」が2015年3月、つい先月に開館したとの情報があったので、今回わざわざやってきたのでした。
今風の小学校の外観ですね。中にはこの館の由来、咸臨丸のものと推定される「いかり」が展示されていました。
ちょうど資料館の人が案内してくれたので聞いてみると、幕末、江戸幕府の使節団とともに太平洋を渡った咸臨丸が、明治に入り輸送船として北海道開拓の人々を運んでいる最中に朝通った泉沢駅付近のサラキ岬で座礁し、沈没したのだそうです。そのサラキ岬付近から発見された「いかり」とのことで、何分明治初期の混沌とした時代の話なので詳しい状況等がわからず、断定はできないものの、おそらく咸臨丸のものであろうということでした。まだ調査中だそうです。
他には木古内町で発掘された土器や、少し前の生活用品が展示されていました。この史料館、学校をそのまま使用していて、フリースペースなんかは本当に学校です。
まだ整理されていないようですが、江差線関係の資料もありました。
木古内駅への帰りのバスがないので、歩いて帰ろうかと思っていたのですが、資料館の人の好意で木古内駅まで送っていただけました。本当に助かりました。
木古内駅からは、またフリーパスを生かして、特急で函館に向かいます。
6へ続く
2016年02月04日
江差線乗り歩き(下)~函館鉄道乗り歩きと「カシオペア」の旅4~
泉沢駅から一駅、釜谷駅へやってきました。
釜谷駅は貨車を改造した駅舎でした。
貨車駅舎には「日本国有鉄道」の銘板がついていました。
駅舎に入ると、机の前に編み物をしている女性が座っていて、切符を売っていました。ここでは函館、木古内行きの2種類の切符が販売されていました。話好きの女性で、第三セクター転換後も切符を販売するそうで、一安心です。時間が少ないので話もそこそこに切り上げて、お礼を言って出ましたが、またいらっしゃいと歓迎してくれてありがたかったです。駅舎を出ると、列車がやってきました。
木古内へ通う中学生を含め。3人が乗り込み、2駅戻ります。さっきの泉沢駅では、おじいさんが国鉄職員時代の癖なのか、ホームに出てきて、列車を見送っていました。委託なので、運転関係のことはしなくてよいはずですが、鉄道員の誇りなのか、背筋を伸ばした姿は熱いものを感じました。
次の札苅駅で降ります。降りたのは私一人でした。この札苅駅も無人ですが、朝の時間だけ切符を売っていると聞いたので駅舎に行ってみましたが誰もいませんでした。
駅舎は泉沢駅と同じ作りですね。
Wikipediaを見ると、この札苅と泉沢の両駅は同じ1988年の12月10日に駅舎改築をしたそうで、同じ作りで改築したのでしょう。その年の3月に青函トンネルが開業して、この線が一番輝いていた時期かもしれません。ちなみにこの駅は現在道内最南端の無人駅だそうです。
時刻表を見ると、ちょうど特急列車が通過する時間なので、ホームに戻ります。
ちょうど函館始発の「スーパー白鳥14号」が通過していきました。この光景も来年3月までですね。
駅から歩いて国道228号に出ました。
国道沿いは家も立ち並んでいます。バス停もあり、1日6本ほどありましたが、時間帯にビックリ。
函館行きは7時08分始発で終バスが14時23分。逆方向の始発が12時00分で最終が18時19分。このバスはつまり函館方向に用事がある人のみに便利な時刻設定なのでした。
駅舎に戻ると、年配の女性が一人座っていました。話を聞くと、駅裏に住んでいるらしいのですが、鍼灸に行くのだそうで、駅の裏へ行くには車で送迎するにはすごい遠回りなので、駅まで歩いてきて、迎えを待っているそうです。切符の話を聞いたら、もともとは泉沢駅と同じように鉄道を辞めた人が委託されていたそうですが、その人がなくなり、今は娘さんが継いでいるとのことで、冬はストーブに火を入れるために来るが、春以降は来ないみたいだねとのこと。来るときは私が乗ってきた列車くらいまでは中学生の通学の見守りでいるのだそうです。
泉沢駅でも聞きましたが、本当は委託の仕事は基本掃除のみでよいそうですが、手数料稼ぎに切符を売ることができるそうで、それで売っている駅がたまにあるのですが、その切符自体は買取なので、手数料なんてものは微々たるものなんでしょうね。昔は回数券11枚を10枚分の切符で購入してばら売りして1枚分の利益を得ていたなんて話も聞いたことがあります。そう考えると、切符を売る手間を考えれば、わざわざ来て売る気にはならないんでしょうね。現に今ここにいるのはフリー切符を持っている私と鍼灸に行く女性だけですしね。
ちなみに木古内町には小学校、中学校は1つしかないため、通学は電車になるようです。高校もあったらしいのですが、2011年に廃校になって、近くの高校は函館か知内になるそうです。函館はともかく、知内になぜと聞いてみたら、知内町は農業で栄えているからだそうです。あとで調べてみたら町立高校だそうで2度びっくりですが。
そんな話をしているうちに鍼灸の迎えが来て、女性は行ってしまい、私一人になりました。時間が来てさっき乗った列車の折り返し列車がやってきました。
1両編成の列車の車窓からは津軽海峡が見えます。
最後の未訪駅、茂辺地に降りると、駅裏には桜がきれいに咲いていました。ようやく北海道にも桜前線が到達したようです。
茂辺地駅にも駅舎がありました。
駅舎内には切符売り場もありましたが、泉沢駅のような感じではなく、ドアの前に机を出して簡易の売り場になっていました。
ここには、清川口、七重浜、五稜郭、函館までの4種類の切符が販売されていました。ここは北斗市なので、市役所のある清川口があるのはわかりますね。聞けば朝の時間帯、7時から10時までと13時の列車到着時に切符を売るそうです。やはり旅客の流動は函館方向を向いているのですね。
ここは集落になっていて郵便局もありました。
次の列車まで1時間あいているので、バスがあればバスで移動しようかと思ったのですが、国道沿いのバス停の時刻は合いませんでした。残念。国道は海沿いを走っていて、津軽海峡越しに函館山がうっすらと見えました。
茂辺地駅へ戻ると、ちょうど貨物列車が通過していました。
本当に貨物列車は頻繁に走っていますね。これで江差線の降りていない駅はなくなりました。
5へ続く。
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2016年01月31日
江差線乗り歩き(上)~函館鉄道乗り歩きと「カシオペア」の旅3~
2日目は朝6時前にホテルを出て、木古内駅へ向かいます。
奥の新幹線側だけでなく、手前の在来線側の木古内駅も改修工事中です。始発6時03分の函館行きに乗るために、送迎の車が次々と来ています。学生が多いですね。この始発に乗れば、函館には7時04分着。もう少し遅いと良いのでしょうが、この次の列車の函館着は8時17分で、学校には間に合わないのでしょうね。
駅に近づくと、ブルートレインが通過していきました。3月に定期運転が廃止になった寝台特急「北斗星」が臨時運転している日でした。ちょっと早くいけば、撮影できたのに!そういえば、以前江差行きの始発に乗るときにも同じ体験をしていました。なかなか進歩しません。
木古内発の函館行きに乗り、まずは泉沢駅へ。今日の初めの目的は木古内~函館でまだ降りていない駅に降りることです。2016年3月の北海道新幹線開業で、この区間は第三セクターの道南いさりび鉄道に転換されることが決まっていて、その前に全駅降りてしまおうという算段です。
泉沢駅到着。向かい側には行き違いの貨物列車が止まっていました。この線は本州と北海道を結ぶ貨物輸送の大動脈で、これは新幹線が開業しても変わらないので、この線が廃止になることはないでしょう。長い貨物列車に対応するため、この駅に限らず、各駅線路が長くとられています。
駅舎に入ると、切符売り場がありましたが。記念に切符を買おうかと思ったら駅員さんはいません。大学生の子供を送りに来たという地元の人に聞いたら、2番列車から来るかもねということで、先に駅周辺を散歩することにします。
駅前をまっすぐ行くと、国道228号にぶつかり、その先は津軽海峡でした。春の陽光がキラキラしています。
国道228号はガラガラでした。まあこの先は松前町経由江差町までなので、そんなに需要はないのかもしれません。それでも、北海道地元のコンビニ、セイコーマートがありました。
6時から24時までだそうですが、コンビニがあるのはありがたいです。缶コーヒーを買って温まりました。
この区間は貨物列車が頻繁に通ります。
貨物列車は長いため、踏切をまたいだまま、停車します。待っている人がいれば、大変でしょうが、幸か不幸か、誰も待っていませんでした。
本州方面行の貨物列車が通過していきました。
駅に戻ると、駅員さんがいました。実際は社員ではなく委託を受けたおじいさんでした。聞けば、先ほどの地元の人が連絡してくれたそうで、早めに来てくださったそうです。ありがたい限りです。何種類かの切符を購入しました。切符はあらかじめ機械で出している切符に日付を入れる切符で、泉沢から、木古内、清川口、七重浜、五稜郭、函館までの5種類があるそうです。購入しながら、問わず語りを聞きます。もともとは国鉄の職員だそうで、やめてから30年間、委託を受けて駅の整備と切符の販売などをしているそうです。冬は駅舎内にストーブをつけるため、1番列車から来るそうですが、4月からは2番列車くらいから来るそうです。
駅の整備ついでに花を植えているらしく、ホームが花で満開でした。さっきの地元の人も子供を送った後、このホームの花々を見ていたのでした。JR北海道には花の駅長さんという制度があるそうで営業部長名の感謝状もありました。
JR北海道の不祥事の影響はここにも来ているようで、経費節減のためか、花の駅長さん制度で出ていた肥料代が今年からで出なくなったとのこと。また跨線橋の屋根も雨漏りしてきているけれども、管理駅である木古内駅に言っても、なかなか直してくれないなんて言う話も聞きました。こういうのは難しいものです。
来年、第三セクターに変わったら、辞められるそうで、切符を購入できるのも最後かもしれませんね。
50分の滞在時間もあっという間に過ぎて、おじいさんに御礼を言って、ホームに向かいます。
来た2番列車は2両編成でした。さっきの1番列車は3両編成だったので、通学の需要は多いのかもしれません。そして次の駅に向かいます。
4へ続く。
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2016年01月28日
トンネルくぐって木古内へ~函館鉄道乗り歩きと「カシオペア」の旅2~
中小国信号場を過ぎると新幹線の高架橋が見えてきました。今乗っているこの区間は新幹線開業後は貨物列車が在来線からトンネル内の新幹線との共用区間へ入る取り付け部分になるので、あるかわからない臨時列車がない限り、私たちは今後乗ることのできない区間になるのでしょうね。
ポイントを渡って新幹線との共用区間に入ってきました。ポイント部分は屋根がついています。
ここからは線路が3本になっています。間もなく津軽今別駅に着きました。
この津軽今別駅は依然降りたことがありますが、一日特急2往復しか止まらない駅で、函館行きはこの列車が最終列車です。新幹線開業後は「奥津軽いまべつ」駅に変わるそうで、この地方の中心になるかもしれません。
15時49分、青函トンネルに入りました。
トンネルは入ってしまえば、ただの暗闇で夜と変わりません。最近はほとんど気にせずに乗ることが多かったですが、トンネルの歴史に思いをはせながら乗り続けます。
15時57分頃、竜飛定点の明かりが見えました。ここはトンネル火災の時の避難場所ですが、以前は竜飛海底駅としてトンネル見学ができました。開業直後の1988年夏と、新幹線工事に伴って廃止になる直前の2013年秋に見学したことがあります。詳細はまた別の機会にでも。
ここからは海底の下を走ります。当たり前に乗っていますが、すごいことですね。あの津軽海峡の下をくぐっているのですから。
16時09分頃、吉岡定点を通過。ここも以前は吉岡海底駅として開設され、1度降りたことがあるのですが、竜飛海底駅の記憶が強くて、詳細が思い出せないんですよね。
16時19分、トンネルを出て北海道へ上陸しました。最近廃止になったばかりの知内駅を通過しました。
北海道側の新幹線との共用区間との分離地点まで来ました。ポイントは屋根の下にあるのでわかりやすいですね。
16時27分に3分遅れで木古内駅に到着しました。
新幹線の木古内駅はだいぶ完成していました。
今日は木古内泊なので、ちょっと観光します。
まずは中央公民館へ。
ここに鉄道ギャラリーがあるとのことで訪ねてみました。
こんな感じでしたが、気になったのは駅の写真でした。
これが木古内駅、今の駅舎の前らしいので、初めて見る駅舎で参考になりました。
そして廃止になった江差線吉堀駅の駅舎。
廃止時は貨車を改造した駅舎だったので、こんな駅舎だったのかと驚きでした。
新幹線の木古内駅を外から見ると、いわゆる新幹線っぽい駅ですね。
近くの薬師山まで歩いて登りました。木古内市街が一望できるんですね。芝桜もきれいでした。
木古内駅へ戻ると、バスが2台待っていました。手前が急行の松前行き、後ろが江差から来たバスで、両方とも鉄道代行バスでした。
そしてみそぎ浜へ。
毎年1月にここで「寒中みそぎ祭り」をやって海に入るそうです。考えるだけでも大変そうです。
ご当地名物?のコロッケをいただいて、木古内泊です。
3へ続く。
タグ :鉄旅
2016年01月24日
春の東北を北上す~函館鉄道乗り歩きと「カシオペア」の旅1~
2015年のゴールデンウィーク、道南へ旅に出ました。目的は翌年の春に北海道新幹線新函館北斗まで開通するのと引き換えに第三セクターに転換するJR江差線の降りたことのない駅を探訪し、また同時になくなる寝台特急「カシオペア」にお別れ乗車を兼ねて初めて乗ることです。
まずは東北新幹線「はやぶさ」で新青森へ向かいます。
昼食は春に開業したばかりの上野東京ラインの開業記念弁当をいただきました。
中身は茨城県産のものが多く使われていました。おいしゅうございました。
車窓から見える関東平野はもう田植えの季節になっています。
この時期の東北の車窓を見るのは楽しみで、北上するごとに季節が戻っていく感じがするのが楽しいですね。白河の関を越え、福島に入ると、まだサクラが咲いています。
乗車して2時間、盛岡を出ると、岩手山が見えてきました。まだ雪が積もっていて早春の雰囲気を醸し出していますね。
14時43分、新青森駅に到着。
ここから函館行きの特急「白鳥17号」に乗り換え、北上します。この「白鳥」も2016年の新幹線開業で廃止になるとのことで、今回の旅で乗りおさめになるかもしれません。
この485系の車両も白鳥の廃止とともに引退になりそうです。この車両は昭和53年製なので走り始めてから37年、度重なるリニューアルをしてきたといっても、もうだいぶな年です。これが最後のお勤めなんでしょうね。国鉄特急の代名詞として日本中で使われ、子供たちの人気の的だったこの車両も「白鳥」の廃止で日本中から定期特急の運用がなくなるということで、これも大きな時代の節目の出来事かもしれません。
6分で青森に到着。ここで進行方向が変わるため、9分ほど停車します。青森駅のホームには変わらず「連絡船」の文字が。
1988年の青函トンネル開業で廃止になった青函連絡船への乗り換え案内の跡ですが、これだけきれいに残っているのはうれしいことですが、逆に言えば、27年間、ほとんど人に踏まれていないということかもしれません。青森駅は出口と連絡船乗り場が逆方向なので、連絡船廃止後は、だれも連絡船乗り場方向に行く乗客なんていないのでした。
青森駅を出発すると、左手の青森運転所に寝台列車が留めてありました。これは急行「はまなす」の車両ですね。もう日本では見ることができなくなる光景の一つですね。
私の購入した切符はみなみ北海道フリー切符で、東京からの往復乗車券と蟹田以北の南北海道のJRの特急自由席が乗り放題なのでした。これに「はやぶさ」の指定席特急券と「白鳥」の乗り継ぎ指定席特急券を蟹田まで購入しました。蟹田からは自由席に移ろうということでしたが、車内改札に来た車掌から、蟹田から混むかもしれないから到着前に移ったほうが良いよとアドバイスされ、さっそく移りました。別に最初から自由席でもよかったのですが、「白鳥」の名前が入った切符がほしかったので、あえて半額で安く済む乗り継ぎ特急券で購入したのでした。
蟹田で登りの「スーパー白鳥28号」と行き違いました。あちらの車両は新幹線開業後、札幌~旭川の特急に移るそうです。
新中小国信号場を越えると、JR東日本からJR北海道へ移ります。会社名が書いてある位置がちょうど会社間境界だそうで、うまく撮影することができました。
2へ続く。
まずは東北新幹線「はやぶさ」で新青森へ向かいます。
昼食は春に開業したばかりの上野東京ラインの開業記念弁当をいただきました。
中身は茨城県産のものが多く使われていました。おいしゅうございました。
車窓から見える関東平野はもう田植えの季節になっています。
この時期の東北の車窓を見るのは楽しみで、北上するごとに季節が戻っていく感じがするのが楽しいですね。白河の関を越え、福島に入ると、まだサクラが咲いています。
乗車して2時間、盛岡を出ると、岩手山が見えてきました。まだ雪が積もっていて早春の雰囲気を醸し出していますね。
14時43分、新青森駅に到着。
ここから函館行きの特急「白鳥17号」に乗り換え、北上します。この「白鳥」も2016年の新幹線開業で廃止になるとのことで、今回の旅で乗りおさめになるかもしれません。
この485系の車両も白鳥の廃止とともに引退になりそうです。この車両は昭和53年製なので走り始めてから37年、度重なるリニューアルをしてきたといっても、もうだいぶな年です。これが最後のお勤めなんでしょうね。国鉄特急の代名詞として日本中で使われ、子供たちの人気の的だったこの車両も「白鳥」の廃止で日本中から定期特急の運用がなくなるということで、これも大きな時代の節目の出来事かもしれません。
6分で青森に到着。ここで進行方向が変わるため、9分ほど停車します。青森駅のホームには変わらず「連絡船」の文字が。
1988年の青函トンネル開業で廃止になった青函連絡船への乗り換え案内の跡ですが、これだけきれいに残っているのはうれしいことですが、逆に言えば、27年間、ほとんど人に踏まれていないということかもしれません。青森駅は出口と連絡船乗り場が逆方向なので、連絡船廃止後は、だれも連絡船乗り場方向に行く乗客なんていないのでした。
青森駅を出発すると、左手の青森運転所に寝台列車が留めてありました。これは急行「はまなす」の車両ですね。もう日本では見ることができなくなる光景の一つですね。
私の購入した切符はみなみ北海道フリー切符で、東京からの往復乗車券と蟹田以北の南北海道のJRの特急自由席が乗り放題なのでした。これに「はやぶさ」の指定席特急券と「白鳥」の乗り継ぎ指定席特急券を蟹田まで購入しました。蟹田からは自由席に移ろうということでしたが、車内改札に来た車掌から、蟹田から混むかもしれないから到着前に移ったほうが良いよとアドバイスされ、さっそく移りました。別に最初から自由席でもよかったのですが、「白鳥」の名前が入った切符がほしかったので、あえて半額で安く済む乗り継ぎ特急券で購入したのでした。
蟹田で登りの「スーパー白鳥28号」と行き違いました。あちらの車両は新幹線開業後、札幌~旭川の特急に移るそうです。
新中小国信号場を越えると、JR東日本からJR北海道へ移ります。会社名が書いてある位置がちょうど会社間境界だそうで、うまく撮影することができました。
2へ続く。
タグ :鉄旅