2016年04月24日
山間の秘境駅(下)~宮崎鉄道乗り歩き5~
深角駅をでて、次の影待駅跡へ向かいます。この影待駅跡は行くのが難しいかなと思っていました。よく考えてみれば、駅というものは通常誰でも行けるはずのものですが、廃駅になって10年近く、もちろん地図にも乗っていない状況で秘境駅ということもあり、行くことができないのではないかと危惧していました。さいわい、廃駅後も多くの方が訪れていたようで、行き方などが掲載されているサイトもあり参考させていただきました。
高千穂駅からこの先の日之影温泉駅までの間は昭和47年に建設された区間で、それまでの昭和初期に開通した区間と違って、川沿いではなく山の中腹を登りながら、高千穂まで高度を稼いでいく区間でした。そのため、前回行った深角駅、そして今から行く影待駅は山の中腹に設置された駅で、乗降客が少ない駅だったそうです。それでも2003年度には1日13人の乗車人数だったそうで、3人だった深角駅よりも多かったようです。
山の上を走っている国道218号からも行けるそうですが、今回は下の川沿いから上がっていこうということで、山の上の国道から谷の五ヶ瀬川沿いの県道237号に降りました。
三叉路の長谷川入り口バス停付近から上がれるそうで、下の写真の右奥に高千穂線の長谷川橋梁がかかっていたそうですが、今は撤去されてしまっていました。この撤去で、高千穂あまてらす鉄道はこの先日之影温泉駅まで行くことはできなくなってしまいました。まあ使わない橋をメンテナンスもせずに放置しておくと、崩壊して下の道路や人家に被害の出る可能性があるのでやむをえませんね。
下から見上げると、橋梁を外したトンネルの入り口が見えました。
逆側はこの写真。
橋脚が残っていました。
入り口は人家の入り口のような場所から入ります。
山を登っていくと、電灯と橋脚が見えてきました。
さらに上がっていくと、ちょうど切通の場所へ出ました。左側が登山してきた道、右側が線路敷きで奥のトンネルのとの間に長谷川橋梁があったようです。
手前にもトンネルがあり、そのトンネルの上の土被りを歩いていくと、三叉路にぶつかります。どうやら左は山の上の国道218号からの道、右側が影待駅への道のようです。
さらに歩いていくと、山側に柵のある空間が見えてきました。どうやら駅への道は合っているようですが、とにかく道がわかりにくいです。かろうじて人の歩いた跡があって、その跡を歩いていきます。
ようやく線路跡付近まで出ると、空間が開けました。右下が線路跡正面がホームのあとのようです。
ホーの上に立ちました。奥が高千穂駅方面です。
逆側、延岡駅方面です。この左側の壁には廃線後も数年間は駅名標や時刻表があったようですが今は解体されてしまったようです。
延岡側へ歩いてみます。ふと振り返ってみて、この光景以前見たことあるかもと思い出しました。記憶違いかもしれませんが、最初で最後になった1994年3月の乗車の時、この駅の発車の光景をふと思い出したのです。前夜の夜行列車での座席での仮眠のため、高千穂線区間はほとんど舟をこいでいたのですが、ふと目が覚めた瞬間に、この右側の壁を見た記憶がありました。こういう構造の駅は他にはないので、多分ここなのだと思います。もう20年以上前の話、真偽の確かめようもないですが、一度はこの区間の線路に乗った場所が荒れ果てた今、再訪しようとは、あの頃は思いもしませんでした。
線路の向こう側の崖下は川です。
高千穂側のトンネルまで歩いてみました。線路ははがされていますが、今でもトンネルはきちんと残っています。
トンネル内には廃駅?ノートが置かれていて、まだ人は来るようですね。トンネルの向こうはフェンスで閉じられていて、その向こうは橋跡とトンネルが見えました。
秘境駅に探訪できて、ほっとするとともに、意外に時間がかかってしまったので、この先の各駅の訪問の大変さをも思いました。そろそろ12時過ぎて、昼食です。日之影温泉駅へ向かいます。
6へ続く。
2016年04月21日
山間の秘境駅(上)~宮崎鉄道乗り歩き4~
旧高千穂線は高千穂橋梁を越えると、約3キロの大平山トンネルを通って、深角駅に向かいます。私も車で深角駅へ向かいます。
途中、天翔大橋まで来ました。橋手前の簡易郵便局で旅行貯金をして、橋を渡ろうとしますが、地図を見ると高千穂線の対岸に行ってしまうので、結局戻ってきました。この天翔大橋は農道扱いだそうですが、立派な橋が架かっています。高千穂は谷が深く、橋は必要ですが、これだけの大きな橋は農道としては立派すぎる気もしますね。
山の上の国道218号を通って、その途中に深角駅へ入る入り口を発見!入ります。廃線になって10年近くになるのに、深角駅への看板があるのは驚きです。手作りなのは不思議な感じがします。
道を下っていくと、小屋が見えます。おそらく深角駅のようです。その前に重機があるのはビックリしました。下流の延岡市付近では駅跡の解体が始まっているようなので、この深角駅も解体されるかもしれません。
良く見ると、壊しているのではなく土砂の置き場のようです。
ホームに立ちます。線路が全く見れませんが左下の梯子がかかっているところがホームの縁です。
小屋は待合室で時刻表や写真が貼られていました。
時刻表は平成16年(2004年)3月の改正の時刻が残っていました。ちょうど九州新幹線の新八代~鹿児島中央が部分開業した時のダイヤ改正ですね。延岡駅での接続列車には、今は亡き博多~宮崎空港を結んでいた「ドリームにちりん」も入っていました。
駅名標も残っていました。深角駅は現役時代1日3人という高千穂線の駅の中で最も少ない乗車人数だったそうです。確かに駅周辺には家がほとんどなく、今でも駅跡の下に畑と小屋がありましたが、ほかには見当たりませんでした。
待合室の写真には桜の写真が飾られていました。
駅名標の奥には桜の木が植わっていました。のちに聞けば、春になるとこの場所で地元の人たちが花見をするそうです。春になると地面の草を刈ってきれいにするのでしょうね。仮説のトイレも置いてあるので本格的です。
駅近くにも線路が残っていました。
歩いていくと、次の影森駅方面に橋梁がありました。
橋梁わきの銘板には「深角橋りょう」の名がありました。昭和45年なのでほぼ46年前に着工して、半年で完成させたようです。
この深角駅まで高千穂あまてらす鉄道を延伸させるという計画があるそうです。春にここまで列車が来て、桜がみられると良いなと思います。
さらにもう一つの秘境駅、影待駅へと進みます。
5へ続く。
2016年04月17日
雲海橋と高千穂橋梁~宮崎鉄道乗り歩き3~
高千穂駅を出て、高千穂鉄道各駅をたどりながら、延岡まで下っていきます。まずは次の天岩戸駅まで行きますが、何しろ廃線をたどるので、もう地図には載っていない駅を探すのは至難の業ですね。とりあえずわかりやすく残っているであろう日本で一番高かった高千穂橋梁を探そうと道路側の大きな橋、雲海橋へやってきました。
雲海橋からもう一つ橋が見えました。この雲海橋もそうですが、深い谷をまたいでいるのでした。おそらくあの橋が高千穂橋梁でしょう。高千穂橋梁は現役時代、水面からの高さが105メートルと日本一高い鉄道橋でした。天岩戸駅はこの橋梁のそばにあるとのことでその方向に行ってみます。
天岩戸神社方向に向かいます。途中には高千穂線の橋が現役時代のようにかかっています。
実際、高千穂あまてらす鉄道のスーパーカートで使用しているので、線路は現役です。
注意深く、天岩戸駅方面の道を探していたら、ちゃんと「天岩戸行き←」とかいた看板が残っていました。まだ現役のようです。
道をたどっていくと、天岩戸駅前に来ました。
ホームが残っていましたが、立ち入り禁止でした。実際使われているので安全のためなんでしょうね。でもホームくらいは入りたいですけど。
天岩戸駅の駅名標も残っています。
ホームの先には高千穂橋梁が続いています。
入り口にはフェンスでふさがれています。
橋の向こうもふさがれていますね。
今日は休みでしたが、高千穂あまてらす鉄道がスーパーカートを走らせていて、この天岩戸駅まで運行していて、天候が悪くなければ高千穂橋梁の上まで往復できるということで、一度乗ってみたいものです。構想ではこの先の日之影温泉まで伸ばしたいとのことですが、残念ながら途中の橋が壊されてしまったので難しそうです。でも次の深角駅までは線路は繋がっているので、そこまで行けると良いでしょうね。
天岩戸駅などは次回回しにして、次の深角駅へと向かいます。
4へ続く。
2016年04月14日
国見ケ丘と高千穂駅~宮崎鉄道乗り歩き2~
2日目は早起きして出かけます。行った先はここ。
ここ国見ケ丘は神武天皇の孫、建磐龍命(たていわたつのみこと)が九州統治の際に立ち寄って、国見をしたという伝説の丘です。雲海で有名ですが、秋の早朝が主で、冬には出ないそうで、残念ながら、この日も出ませんでした。
帰りに高千穂峡へ寄りますが、駐車するところが見つけられず、このくらいしか撮れませんでした。
そして高千穂神社へ。
高千穂は天孫降臨の地と伝えられているので、その伝説と結びついている神社のようで境内は静寂な雰囲気でした。
いったんホテルに戻り、朝食を食べて出発です。今日の目的は2005年の台風による被害で運転を休止して、そのまま廃止になった高千穂鉄道の廃線跡をたどることなので、まずは高千穂駅の跡へ。
高千穂駅はまだ残っていました。高千穂鉄道の線路跡を利用した高千穂あまてらす鉄道の駅として利用されているようです。高千穂鉄道には一度だけ乗ったことがありました。もう20年以上前の1994年3月のことでした。そのときは博多からの夜行列車「ドリームにちりん」で一夜を明かし、延岡駅で乗り換えて、始発の高千穂行きに乗り、高千穂駅まで来ました。そのころ写真はフィルムで今に比べて高価だったので、ほとんど撮影しておらす、とったのは1枚だけでした。それがこの写真です。
今と変わらない感じがしますが、駅の屋根の色が変わっていますね。以前のほうがシンプルな感じでしたね。
駅の反対側はこんな感じ。この写真を見た感じでは電車が走ってきそうです。
駅前まで行ってみます。入り口には高千穂鉄道時代の看板が残っていました。
高千穂駅へ来ました。今は高千穂あまてらす鉄道の事務所として使われているようですが、今日は定休日でおやすみでした。
駅近くの公民館を利用するおばちゃんたちが無造作に駅前に車を止めていきます。もし営業していたら、絶対にありえない光景で、廃駅の悲しさを感じます。上の写真もその車を避けて撮影しました。駅前には高千穂鉄道時代のものがいくつか飾られていて、悲しさをさらに感じさせます。
この高千穂駅舎も老朽化のため、2015年度中には解体されるという情報が流れていました。以前からそういう話はあったそうですが、これから行く下流の駅跡などの解体も始まっているとのことで、余計に真実味があるのかもしれません。
今、高千穂線の線路を使用している「高千穂あまてらす鉄道」は軽トラックを改造したスーパーカートを使用して隣の天岩戸駅とその先の川面からの高さが日本一高かった高千穂橋梁まで行くことができます。今日は休みで残念でした。また次回にでも行ってみたいと思います。
駅前には高千穂鉄道の本社がかつてありました。
外された跡が残る高千穂鉄道旅行センターの文字が哀愁を感じさせます。
駅名標を撮影して、次へと進みます。
3へと続く。
2016年04月10日
高千穂への道~宮崎鉄道乗り歩き1~
2016年の1月、宮崎へと旅してきました。もともとは去年の秋に購入して2日分使い残した「旅名人の九州満喫きっぷ」の期限が切れるので、九州のどこかへ行こうかと思っていたのですが、あまり行ったことのない場所というのと、2005年に廃線になった高千穂鉄道の廃線跡を訪ねてみたかったので、宮崎県内の鉄道乗り歩きという旅に挑戦してみました。
まずはJALで宮崎へ。ちょうど、このころは国の補助金が出ていて、往復JALで1泊ホテル付のプランで27000円とオフシーズンとはいえ、安くなっていました。競合しているソラシドエアの影響かもしれませんが。
飛行機は小さなブラジル製のエンブラエル170型でした。70席前後しかない小さな飛行機で、最近はJAL系の飛行機でも見られるようになりましたね。
昼食は空弁の「ヨネスケの天むす」を食べました。
2時間ほどで宮崎空港へ。遠くにシーガイアのビルが見えますね。
宮崎空港の表示はLEDではなく、まだ文字をパタパタして表示していました。そういえば鹿児島空港ではもう使われなくなり、ギャラリーで展示されていました。
個人的にはこちらのほうが好きですけどね。
宮崎空港は「宮崎ブーゲンビリア空港」に変更されていました。こちらのほうは好きではないですけどね。
宮崎といえば、フェニックス。道路にも植えられています。
空港でレンタカーを借りて、高千穂へ向かいます。高速に乗る前にちょっと寄り道。
着いたのは「蓮ヶ池駅」。ちょうど特急列車が通過していきました。
隣は団地で宮崎中心部への通勤に便利な気がしますが、ほとんどの人は車を持っているんでしょうね。ここでもICカードが使えるのはすごいです。
そして「みやざき歴史文化館へ」
ここは宮崎市の施設で宮崎の歴史がわかりやすく展示されていました。宮崎県は江戸時代は小藩と幕府領が入り組んでいて、宮崎を代表する大名というのはあまりいないですね。
文化館の周りは古墳時代のお墓の遺跡、蓮ヶ池横穴群がありました。
付近には池もあり気持ちの良い場所でした。またここの道は小学生の通学路らしく、下校途中の小学生たちが「こんにちは」とあいさつしてくれて、気持ちの良さも倍増ですね。
国道219号線に入り、西都市内へ。
ここは西都原古墳群があるので、はにわのモニュメントがありました。歴史のある場所です。
そして東九州道へ。日向灘が見えました。
高速道路はやはり早いですね。約1時間ほどで延岡市内へ。着いたのは旧高千穂鉄道高千穂線の西延岡駅跡へ。まだしっかり残っていました。
まだ線路が敷かれていて、今にも列車が来そうな雰囲気ですが、ここに列車が来ることはありません。駅付近を過ぎると、線路は切れていました。延岡駅から4キロのキロポストが残っておりました。
駅前には石造りの倉庫が残っていて、歴史を感じさせます。ここから農産物を列車で出荷したのかもしれませんね。
見終わるともう夕暮れ。途切れた線路と相まって、寂しさが募りました。
今日の宿は高千穂なので、ここから車を飛ばします。現在途中まで、高速道路規格の無料道路「九州中央自動車道」になるであろう「北方延岡道路」ができていて、その先も国道
218号バイパスが通っているので、約1時間で高千穂まで着きました。ほとんど山の上を通っているようで、これでは川沿いを走る高千穂線は残っていても利便性では勝てないでしょうね。
夕食はスーパーで購入してホテルで食べました。スーパーの横にしっかりした本屋があったのには感激!しました。いつもは何も買いませんが。「秘境駅」の本とこの地の出身で高千穂あまてらす鉄道の代表取締役でもある高山文彦氏の本を購入しました。
高千穂のホテルで1泊。
2へ続く。
まずはJALで宮崎へ。ちょうど、このころは国の補助金が出ていて、往復JALで1泊ホテル付のプランで27000円とオフシーズンとはいえ、安くなっていました。競合しているソラシドエアの影響かもしれませんが。
飛行機は小さなブラジル製のエンブラエル170型でした。70席前後しかない小さな飛行機で、最近はJAL系の飛行機でも見られるようになりましたね。
昼食は空弁の「ヨネスケの天むす」を食べました。
2時間ほどで宮崎空港へ。遠くにシーガイアのビルが見えますね。
宮崎空港の表示はLEDではなく、まだ文字をパタパタして表示していました。そういえば鹿児島空港ではもう使われなくなり、ギャラリーで展示されていました。
個人的にはこちらのほうが好きですけどね。
宮崎空港は「宮崎ブーゲンビリア空港」に変更されていました。こちらのほうは好きではないですけどね。
宮崎といえば、フェニックス。道路にも植えられています。
空港でレンタカーを借りて、高千穂へ向かいます。高速に乗る前にちょっと寄り道。
着いたのは「蓮ヶ池駅」。ちょうど特急列車が通過していきました。
隣は団地で宮崎中心部への通勤に便利な気がしますが、ほとんどの人は車を持っているんでしょうね。ここでもICカードが使えるのはすごいです。
そして「みやざき歴史文化館へ」
ここは宮崎市の施設で宮崎の歴史がわかりやすく展示されていました。宮崎県は江戸時代は小藩と幕府領が入り組んでいて、宮崎を代表する大名というのはあまりいないですね。
文化館の周りは古墳時代のお墓の遺跡、蓮ヶ池横穴群がありました。
付近には池もあり気持ちの良い場所でした。またここの道は小学生の通学路らしく、下校途中の小学生たちが「こんにちは」とあいさつしてくれて、気持ちの良さも倍増ですね。
国道219号線に入り、西都市内へ。
ここは西都原古墳群があるので、はにわのモニュメントがありました。歴史のある場所です。
そして東九州道へ。日向灘が見えました。
高速道路はやはり早いですね。約1時間ほどで延岡市内へ。着いたのは旧高千穂鉄道高千穂線の西延岡駅跡へ。まだしっかり残っていました。
まだ線路が敷かれていて、今にも列車が来そうな雰囲気ですが、ここに列車が来ることはありません。駅付近を過ぎると、線路は切れていました。延岡駅から4キロのキロポストが残っておりました。
駅前には石造りの倉庫が残っていて、歴史を感じさせます。ここから農産物を列車で出荷したのかもしれませんね。
見終わるともう夕暮れ。途切れた線路と相まって、寂しさが募りました。
今日の宿は高千穂なので、ここから車を飛ばします。現在途中まで、高速道路規格の無料道路「九州中央自動車道」になるであろう「北方延岡道路」ができていて、その先も国道
218号バイパスが通っているので、約1時間で高千穂まで着きました。ほとんど山の上を通っているようで、これでは川沿いを走る高千穂線は残っていても利便性では勝てないでしょうね。
夕食はスーパーで購入してホテルで食べました。スーパーの横にしっかりした本屋があったのには感激!しました。いつもは何も買いませんが。「秘境駅」の本とこの地の出身で高千穂あまてらす鉄道の代表取締役でもある高山文彦氏の本を購入しました。
高千穂のホテルで1泊。
2へ続く。