2017年07月08日
竹原、呉、落穂ひろいの旅(下)~2016旅の詰め合わせ8~
二日目は竹原の町並み保存地区から始めます。今はだいぶ内陸に入り込んだ保存地区ですが、江戸時代までは海と繋がっていた場所でした。保存地区付近の川には船着き場にある雁木と常夜灯が残っています。
竹原の街並み保存地区はイベントなどがない通常の日はのんびりできる場所で、ちょうど天気も良く楽しい散歩になりました。
照蓮寺の桜はだいぶ散っていましたが、まだ少し残っていました。
境内で写真を撮っていると、地元の人が本堂のわきに銅鑼のような楽器があるよと教えてくれました。障子に隠れていて、通常は見えないけど、あそこを開ければ大丈夫だよと進めてくれたので、見せていただきました。古い時代のものですが、地元の人の親切にほっこりしました。
古い映画「時をかける少女」にも出てきたお好み焼き屋「ほり川」で昼食をいただきました。
そして、列車に乗って忠海駅へ。
以前は切符を売っていましたが、窓口は閉まっていました。
掲示を見れば、3月いっぱいで終了とのことでした。
もともとJRの直営ではなく、竹原市が受託していた簡易委託だったようです。ICカードの普及でだんだん窓口販売は減っていくようです。
歩いて向かったのは石風呂温泉岩乃屋です。
横には床浦神社で、目の前は瀬戸内海。多くの島が見えます。
ここが珍しい風呂で、天然のアマモ(海藻)を使用する最後の石風呂だそうです。海のそばにある立地も素敵です。
ここは更衣室兼休憩所のようです。天井を見ると、岩をくりぬいた感じが出てます。
この木扉の奥が風呂、風呂といっても蒸し風呂なのでサウナの熱いものと思えばよいでしょう。手前が暑くて、奥がぬるい部屋ですが、どちらも通常のサウナ以上の温度のようでした。
中で何回も風呂に入り、汗をかきます。とても暑い時間です。
風呂から出て外に出ると、風が気持ちの良い時間でした。多くの島からの船が戻ってきました。
ふと、その奥を見ると呉線の黄色い電車が駆け抜けていきます。
なかなか見られない光景でした。
呉線で三原へ出ました。そして広島空港経由で東京へ帰りましたとさ。
(終)
竹原の街並み保存地区はイベントなどがない通常の日はのんびりできる場所で、ちょうど天気も良く楽しい散歩になりました。
照蓮寺の桜はだいぶ散っていましたが、まだ少し残っていました。
境内で写真を撮っていると、地元の人が本堂のわきに銅鑼のような楽器があるよと教えてくれました。障子に隠れていて、通常は見えないけど、あそこを開ければ大丈夫だよと進めてくれたので、見せていただきました。古い時代のものですが、地元の人の親切にほっこりしました。
古い映画「時をかける少女」にも出てきたお好み焼き屋「ほり川」で昼食をいただきました。
そして、列車に乗って忠海駅へ。
以前は切符を売っていましたが、窓口は閉まっていました。
掲示を見れば、3月いっぱいで終了とのことでした。
もともとJRの直営ではなく、竹原市が受託していた簡易委託だったようです。ICカードの普及でだんだん窓口販売は減っていくようです。
歩いて向かったのは石風呂温泉岩乃屋です。
横には床浦神社で、目の前は瀬戸内海。多くの島が見えます。
ここが珍しい風呂で、天然のアマモ(海藻)を使用する最後の石風呂だそうです。海のそばにある立地も素敵です。
ここは更衣室兼休憩所のようです。天井を見ると、岩をくりぬいた感じが出てます。
この木扉の奥が風呂、風呂といっても蒸し風呂なのでサウナの熱いものと思えばよいでしょう。手前が暑くて、奥がぬるい部屋ですが、どちらも通常のサウナ以上の温度のようでした。
中で何回も風呂に入り、汗をかきます。とても暑い時間です。
風呂から出て外に出ると、風が気持ちの良い時間でした。多くの島からの船が戻ってきました。
ふと、その奥を見ると呉線の黄色い電車が駆け抜けていきます。
なかなか見られない光景でした。
呉線で三原へ出ました。そして広島空港経由で東京へ帰りましたとさ。
(終)
2017年07月04日
竹原、呉、落穂ひろいの旅(上)~2016旅の詰め合わせ7~
2016年の4月に広島県の竹原、呉へミニ旅行をしてきました。
まずは羽田空港へ。羽田空港では前日起きた熊本地震の影響で熊本行は条件付き運航になっていました。
7時発の広島行は通常運航で広島空港へ。
まずはバスで呉市広へ。
安芸阿賀駅前でバスを乗り捨て、JR呉線で新広駅へ
さらにレンタカーを借りて、今日は広島最南端を目指します。まずは音戸の瀬戸へ。
ここまでは以前も来ていたのですが、今回はこの先も郵便局に寄って、旅行貯金と風景印を集めながら南下します。ここら辺の郵便局は古くに開局したらしく、前の道が狭いところが多くて車で行くには骨が折れます。まあ大体、車の道は旧市街から離れているので。
すごかったのは宇和木簡易郵便局。
雰囲気のあるいい感じの建物ですが、この前の道はこの狭さ。
場所すらわからず、車を近くの家の門の横に止めて、家の人に場所を聞き、車を置かせてもらって訪問しました。おばあさんがやっていて、近いうちに移転するとのこと。その時におばあさんも交代するみたいな話をしておりました。後日、2017年2月に移転のお知らせが出ておりました。
宇和木の港からは音戸と江田島を結ぶ、早瀬大橋が見えました。大昔はここは呉方面との連絡船があったのかもしれませんね。そのときは郵便局のあった通りもにぎわっていたのかもしれません。
さらに南下します。途中をすっ飛ばして、まずは最南端、鹿島へ。
ここでは段々畑を眺めます。もう少し大きいのかなと思ったのですが、なかなかの眺めでした。
この地にもコミュニティバスは走っていて、なんか感動しました。
帰り道にも郵便局によりながら、戻ります。ここは尾立簡易郵便局は酒屋さんが兼業していて、この辺りが歴史ある雰囲気の街並みだなと聞いてみたら、以前はこの辺りは船の交易などで栄えていたのだそうです。
この後、またすっ飛ばして音戸から、広経由で別の島、下蒲刈島の蘭島閣美術館へ。
館内を見学した後、近くの豪華な建物観瀾閣へ。
中は入れないとのことですが、周りから写真を撮っていると、近所の人がいろいろと教えてくれました。
これを作ったのは榊谷仙次郎という人で、明治10年にこの島で生まれ、満州で土木業を行い、満州土木建築業協会理事長を勤めたとのこと。昭和10年に別荘としてこの建物を建てたそうで、当時の人々は竜宮城のようだと言っていたそうです。今では国の登録有形文化財になっているそう。
レンタカーを返し、今日の宿泊地、竹原へ電車で向かいます。呉線にも新しい227系の電車が入っていました。
竹原駅に降りたら、駅は無人でした。
駅前のホテルに泊まり、夕食は鉄板焼などをいただきました。
(下へ続く)
まずは羽田空港へ。羽田空港では前日起きた熊本地震の影響で熊本行は条件付き運航になっていました。
7時発の広島行は通常運航で広島空港へ。
まずはバスで呉市広へ。
安芸阿賀駅前でバスを乗り捨て、JR呉線で新広駅へ
さらにレンタカーを借りて、今日は広島最南端を目指します。まずは音戸の瀬戸へ。
ここまでは以前も来ていたのですが、今回はこの先も郵便局に寄って、旅行貯金と風景印を集めながら南下します。ここら辺の郵便局は古くに開局したらしく、前の道が狭いところが多くて車で行くには骨が折れます。まあ大体、車の道は旧市街から離れているので。
すごかったのは宇和木簡易郵便局。
雰囲気のあるいい感じの建物ですが、この前の道はこの狭さ。
場所すらわからず、車を近くの家の門の横に止めて、家の人に場所を聞き、車を置かせてもらって訪問しました。おばあさんがやっていて、近いうちに移転するとのこと。その時におばあさんも交代するみたいな話をしておりました。後日、2017年2月に移転のお知らせが出ておりました。
宇和木の港からは音戸と江田島を結ぶ、早瀬大橋が見えました。大昔はここは呉方面との連絡船があったのかもしれませんね。そのときは郵便局のあった通りもにぎわっていたのかもしれません。
さらに南下します。途中をすっ飛ばして、まずは最南端、鹿島へ。
ここでは段々畑を眺めます。もう少し大きいのかなと思ったのですが、なかなかの眺めでした。
この地にもコミュニティバスは走っていて、なんか感動しました。
帰り道にも郵便局によりながら、戻ります。ここは尾立簡易郵便局は酒屋さんが兼業していて、この辺りが歴史ある雰囲気の街並みだなと聞いてみたら、以前はこの辺りは船の交易などで栄えていたのだそうです。
この後、またすっ飛ばして音戸から、広経由で別の島、下蒲刈島の蘭島閣美術館へ。
館内を見学した後、近くの豪華な建物観瀾閣へ。
中は入れないとのことですが、周りから写真を撮っていると、近所の人がいろいろと教えてくれました。
これを作ったのは榊谷仙次郎という人で、明治10年にこの島で生まれ、満州で土木業を行い、満州土木建築業協会理事長を勤めたとのこと。昭和10年に別荘としてこの建物を建てたそうで、当時の人々は竜宮城のようだと言っていたそうです。今では国の登録有形文化財になっているそう。
レンタカーを返し、今日の宿泊地、竹原へ電車で向かいます。呉線にも新しい227系の電車が入っていました。
竹原駅に降りたら、駅は無人でした。
駅前のホテルに泊まり、夕食は鉄板焼などをいただきました。
(下へ続く)
2017年02月10日
小海線で行く「君の名は。」展の旅(下)~2016、旅の詰め合わせ7~
小淵沢を出た小海線の列車は中央本線と別れ、一路登り勾配の線路を登っていきます。
甲斐小泉駅に到着。
この甲斐小泉駅から下車する予定の松原湖駅までの区間はJR線の中でも最も標高の高い区間を走るところでこの間の各駅は日本の標高の高い駅1位から9位に位置しています。ここ甲斐小泉は第7位です。
しばらく林の中を走ります。林の切れ間からは富士山が見えました。
清里駅へ到着。昭和の終わりごろから平成にかけては若者の人気のスポットだったところですが、今はシーズンオフなこともあって静かです。それでもアジア系の外国人家族が降りてました。
この辺りから雪がちらつき始めます。だいぶ登ってきたのですね。ちなみに清里は標高は第2位。
いよいよ登ってきた旅はクライマックスです。駅としては次の野辺山駅が標高第1位ですが、その手前の踏切が
地点としてはJRの日本最高地点になります。
右前方の木の標柱に「JR鉄道最高地点1375m」と書かれています。
野辺山駅に到着。JR最高駅です。
そのあとはゆっくりと下っていき、松原湖駅へ到着。ここも標高第9位の駅です。「君の名は。」展が開かれている小海町高原美術館へは次の小海駅からバスがあるのですが、松原湖駅近くからでも乗れるとのことで、初降りの松原湖駅で降りたのでした。
松原湖駅は簡単な待合室のあるだけの無人駅でした。
駅前の側溝のふたに見覚えがあったので驚きました。
これはアプト式レールの再利用ですね。アプト式というのはスイスの高山鉄道でよく見られますが、二本のレールの間にギザギザのレールを敷いて、列車にも設置されている歯車とかみ合わせて急勾配を昇り降りする方式で、昭和38年まで国鉄信越本線の横川~軽井沢で使われていました。おそらくアプト式が廃止になった後の再利用で、この地に持ってこられて使われたのでしょうね。今でも大井川鉄道でアプト式は使われていますね。
思わぬ発見に気をよくしました。
駅前のバス停から町営バスで小海町高原美術館に向かいます。通常はそんなに使われることのないバスなのでしょう。マイクロバスがやってきましたが、ほぼ満員でした。途中で乗ってきた地元のおばあちゃんがびっくりしてました。「君の名は。」展効果なのでしょう。
25分ほどで美術館に到着。ここは美術館だけでなく、八峰の湯という温泉とレストランも併設されていました。ほとんどが車で来ているのでしょうが、美術館をゆっくり見たいので、とりあえず昼食でソースカツ丼をいただきました。
その後、小海町高原美術館で「君の名は。」展見学。企画書やビデオコンテなど興味深い展示でした。なぜこの地で「君の名は。」展が行われているかといえば、作品の監督である新海誠さんの出身地だからとのことです。
温泉にも入り、2時間後のバスで小海駅へと向かいます。小海駅はJAや診療所、ショッピングセンターもある複合施設でした。有人駅でみどりの窓口もありました。
ここには小海町だけではなく、近くの北相木、南相木村の村営バスも乗り入れる交通の要所ですね。
小海駅からの列車は最新鋭のハイブリッド式気動車キハE200形でした。
沿線はだんだん平地になってきました。
それにつれて、乗客も増え、新幹線との乗換駅、佐久平駅では立ち客も出ました。1時間ほどで終点小諸駅に到着です。
小諸駅の外観自体は昔と変わっていませんでしたが、小諸は北陸新幹線開業で割りを食った地区の一つです。
新幹線開業までは上野行きの直通特急列車が走っていた地域の中心的な街だったのに、新幹線開業後は佐久平駅のある佐久市にその賑わいをとられて、さびれてしまうという場所になりました。城下町である伝統を生かして、頑張ってほしいものです。
小諸駅からはしなの鉄道で軽井沢駅へ。ここは青春18切符は使えないので、480円で切符購入です。途中で浅間山が見えました。
浅間山は信濃追分駅からも見えました。ちなみにこの駅は標高第10位の駅です。今日は標高1位から10位までの駅をすべて通りました。
30分弱で軽井沢駅に到着。隣には碓氷峠で活躍したEF63機関車も展示してありました。
この先、高崎方面へは新幹線以外の路線は途切れています。1997年の当時の長野新幹線開業時に軽井沢~横川の峠越え区間は廃止になりました。それまでJR最急勾配だった66,7‰を登り降りしていたこの区間は昭和38年までは松原湖駅前にあったレールを使ったアプト式で、そのあとは先ほど展示されていたEF63機関車をつないだ粘着運転で運行されてました。
現在はJRバスの運行に代わっています。
駅前広場外れのJRバスの乗り場へ向かいます。結構混んでいました。
16時20分、横川行は出発します。通常は碓氷バイパスを経由するそうですが、週末で混んでいるそうで旧道経由で行くそうです。この旧道はカーブが多く、酔いそうになりましたが、廃止になった線路の近くを通るので、それは興味深く、いつか自転車で降りながら、廃線探訪をしたいものです。
17時前に横川駅へ到着。もう日暮れです。
こじんまりとした横川駅は特急列車がたくさん走っていた新幹線開業前を変わらない大きさの駅でしたが、駅前にあった松原湖駅と同じ、アプト式のレールの再利用した側溝のふたはなくなっていました。
そしてここも日野春駅と同じように出札窓口はなくなり、切符は自動券売機のみになっていました。
昔を懐かしむものは以前から飾ってあるアプト式の模型くらいでしょうか?
あとはこんな小駅になっても、店を出している「おぎのや」の売店も横川駅の栄光の名残でしょうか?
感激して有名な「峠の釜めし」を購入しました。
何かしら昔の名残を探してみたら、ありました。
この建物、財産標を見たら「大正1年」になってました。
明治18年開業した歴史ある駅の名残ですね。今でもこの詰所は清掃員用に使われているようで到着した列車の車内清掃を行っていました。通常はこの程度の駅ではないものですが、過去の栄光と経緯であるのでしょうね。
高崎行きに乗りこみます。ロングシートでしたが、釜飯をいただきました。
高崎からはグリーン車に乗って東京まで帰りましたとさ。
小海線で行く「君の名は。」展の旅(終)
甲斐小泉駅に到着。
この甲斐小泉駅から下車する予定の松原湖駅までの区間はJR線の中でも最も標高の高い区間を走るところでこの間の各駅は日本の標高の高い駅1位から9位に位置しています。ここ甲斐小泉は第7位です。
しばらく林の中を走ります。林の切れ間からは富士山が見えました。
清里駅へ到着。昭和の終わりごろから平成にかけては若者の人気のスポットだったところですが、今はシーズンオフなこともあって静かです。それでもアジア系の外国人家族が降りてました。
この辺りから雪がちらつき始めます。だいぶ登ってきたのですね。ちなみに清里は標高は第2位。
いよいよ登ってきた旅はクライマックスです。駅としては次の野辺山駅が標高第1位ですが、その手前の踏切が
地点としてはJRの日本最高地点になります。
右前方の木の標柱に「JR鉄道最高地点1375m」と書かれています。
野辺山駅に到着。JR最高駅です。
そのあとはゆっくりと下っていき、松原湖駅へ到着。ここも標高第9位の駅です。「君の名は。」展が開かれている小海町高原美術館へは次の小海駅からバスがあるのですが、松原湖駅近くからでも乗れるとのことで、初降りの松原湖駅で降りたのでした。
松原湖駅は簡単な待合室のあるだけの無人駅でした。
駅前の側溝のふたに見覚えがあったので驚きました。
これはアプト式レールの再利用ですね。アプト式というのはスイスの高山鉄道でよく見られますが、二本のレールの間にギザギザのレールを敷いて、列車にも設置されている歯車とかみ合わせて急勾配を昇り降りする方式で、昭和38年まで国鉄信越本線の横川~軽井沢で使われていました。おそらくアプト式が廃止になった後の再利用で、この地に持ってこられて使われたのでしょうね。今でも大井川鉄道でアプト式は使われていますね。
思わぬ発見に気をよくしました。
駅前のバス停から町営バスで小海町高原美術館に向かいます。通常はそんなに使われることのないバスなのでしょう。マイクロバスがやってきましたが、ほぼ満員でした。途中で乗ってきた地元のおばあちゃんがびっくりしてました。「君の名は。」展効果なのでしょう。
25分ほどで美術館に到着。ここは美術館だけでなく、八峰の湯という温泉とレストランも併設されていました。ほとんどが車で来ているのでしょうが、美術館をゆっくり見たいので、とりあえず昼食でソースカツ丼をいただきました。
その後、小海町高原美術館で「君の名は。」展見学。企画書やビデオコンテなど興味深い展示でした。なぜこの地で「君の名は。」展が行われているかといえば、作品の監督である新海誠さんの出身地だからとのことです。
温泉にも入り、2時間後のバスで小海駅へと向かいます。小海駅はJAや診療所、ショッピングセンターもある複合施設でした。有人駅でみどりの窓口もありました。
ここには小海町だけではなく、近くの北相木、南相木村の村営バスも乗り入れる交通の要所ですね。
小海駅からの列車は最新鋭のハイブリッド式気動車キハE200形でした。
沿線はだんだん平地になってきました。
それにつれて、乗客も増え、新幹線との乗換駅、佐久平駅では立ち客も出ました。1時間ほどで終点小諸駅に到着です。
小諸駅の外観自体は昔と変わっていませんでしたが、小諸は北陸新幹線開業で割りを食った地区の一つです。
新幹線開業までは上野行きの直通特急列車が走っていた地域の中心的な街だったのに、新幹線開業後は佐久平駅のある佐久市にその賑わいをとられて、さびれてしまうという場所になりました。城下町である伝統を生かして、頑張ってほしいものです。
小諸駅からはしなの鉄道で軽井沢駅へ。ここは青春18切符は使えないので、480円で切符購入です。途中で浅間山が見えました。
浅間山は信濃追分駅からも見えました。ちなみにこの駅は標高第10位の駅です。今日は標高1位から10位までの駅をすべて通りました。
30分弱で軽井沢駅に到着。隣には碓氷峠で活躍したEF63機関車も展示してありました。
この先、高崎方面へは新幹線以外の路線は途切れています。1997年の当時の長野新幹線開業時に軽井沢~横川の峠越え区間は廃止になりました。それまでJR最急勾配だった66,7‰を登り降りしていたこの区間は昭和38年までは松原湖駅前にあったレールを使ったアプト式で、そのあとは先ほど展示されていたEF63機関車をつないだ粘着運転で運行されてました。
現在はJRバスの運行に代わっています。
駅前広場外れのJRバスの乗り場へ向かいます。結構混んでいました。
16時20分、横川行は出発します。通常は碓氷バイパスを経由するそうですが、週末で混んでいるそうで旧道経由で行くそうです。この旧道はカーブが多く、酔いそうになりましたが、廃止になった線路の近くを通るので、それは興味深く、いつか自転車で降りながら、廃線探訪をしたいものです。
17時前に横川駅へ到着。もう日暮れです。
こじんまりとした横川駅は特急列車がたくさん走っていた新幹線開業前を変わらない大きさの駅でしたが、駅前にあった松原湖駅と同じ、アプト式のレールの再利用した側溝のふたはなくなっていました。
そしてここも日野春駅と同じように出札窓口はなくなり、切符は自動券売機のみになっていました。
昔を懐かしむものは以前から飾ってあるアプト式の模型くらいでしょうか?
あとはこんな小駅になっても、店を出している「おぎのや」の売店も横川駅の栄光の名残でしょうか?
感激して有名な「峠の釜めし」を購入しました。
何かしら昔の名残を探してみたら、ありました。
この建物、財産標を見たら「大正1年」になってました。
明治18年開業した歴史ある駅の名残ですね。今でもこの詰所は清掃員用に使われているようで到着した列車の車内清掃を行っていました。通常はこの程度の駅ではないものですが、過去の栄光と経緯であるのでしょうね。
高崎行きに乗りこみます。ロングシートでしたが、釜飯をいただきました。
高崎からはグリーン車に乗って東京まで帰りましたとさ。
小海線で行く「君の名は。」展の旅(終)
2017年02月03日
小海線で行く「君の名は。」展の旅(上)~2016、旅の詰め合わせ6~
2016年に大ヒットしたアニメ映画「君の名は。」は私も見に行きましたが、面白い映画でした。その展示会が長野県の小海町で行われているとのことで、ちょうど青春18きっぷの使い道に困っていたこともあって、クリスマス近くの日に行ってきました。
新宿からスーパーあずさ1号に乗ります。新宿までの山手線は新型235系でした。
7時発のスーパーあずさ1号でまずは甲府まで向かいます。
スーパーあずさに使われているE351系も近いうちに新しい車両に代わるとのことでお別れ騒ぎの前にゆっくり乗っておきたいなと思っていたので、良かったです。
スーパーあずさ1号の車内の乗客は近年の登山ブームを反映してか、登山客が多くいました。年末の週末なのにやはりブームなんですね。新宿を出て、中央線沿線の風景を見ながら新宿駅で買ったお弁当を広げます。
小淵沢の駅弁屋「丸政」が作った「特急あずさ号誕生50周年記念弁当」です。弁当の形も当時の特急電車の形とデザインにしてましたね。
中身は沿線の山梨と長野にゆかりのものを使用していました。
とてもおいしゅうございました。
1時間30分で甲府駅に到着。時間があったので駅前に出て武田信玄像を見ます。
甲府からは各駅停車で小淵沢へ。
車内はボックスシートではなく東京と同じロングシートでした。旅行気分が出ませんが仕方ありません。
特急でも小淵沢駅に停まりますが、せっかくの青春18きっぷが使えないので、甲府からは各駅停車です。
だったら東京から各駅停車で行けばいいじゃないかと言われそうですが、各駅停車で行くと、今度は小淵沢から小海線への接続が悪く到着が午後になってしまい帰宅が夜中になってしまいそうなので、結果的に甲府になったのでした。
列車は途中、日野春駅で特急列車退避のため、10分ほど停まるとのことで、以前降りた駅ではありますが、降りてみました。
青春18っぷを見せて駅前に降り立ちます。以前と変わらぬ駅舎が迎えてくれました。
この日野春駅で驚いたのが、この表示!
改札係員がいるのに切符を発売しないとは!最近はこのような駅が増えてきました。自動券売機は時間限定でありますし、まあ私が買うのは趣味なので、大きく文句を言うことは差し控えますが、定期券などは買えないと地元の人は困るのではないでしょうか?ひょっとすると定期券を買う人もいないのかもしれません。大人は車で動くのでしょうし、高校生は学校で出張販売などをやれば、それで済むのでしょうから。それだけ鉄道にとって厳しい時代になったのかもしれません。
日野春から15分ほどで小淵沢に到着。小海線に乗り換えます。小海線のホームには見慣れない色の列車が。
どうやら昔の気動車のイメージを模して、塗り替えられたようです。
本来はこの色です。
9時57分小諸行きの小海線列車が小淵沢駅を発車しました。
(下)へ続く。
2016年03月31日
「踊り子」号初乗りと初島の旅(下)~2016、旅の詰め合わせ5~
30分弱で初島到着です。
初島は周囲4キロほどの小さな島で、リゾートホテルなどがある島です。熱海港の沖合10キロメートルくらいの場所にあり、古くから人が住んでいて、源実朝の和歌にも詠まれるなど、風光明媚な場所だったようです。とりあえず、2時間後の船で熱海に向かうとして、島1周することにしました。
まずは初木神社へ。ここの境内には昭和天皇が皇太子だったころに来た記念碑が建てられていました。碑文を書いたのが東郷平八郎だということでした。
続いて、初島海洋資料館へ。
この島の近海は深くなっていて、独立行政法人の「海洋研究開発機構」が機器を設置して継続的に観測しているそうです。
1周道路を歩いていると、リゾートホテルが見えてきました。ここはエクシブ初島だそうです。
初島灯台までやってきました。
ここは一般公開をしていました。
この灯台の上からは、大島、利島が見えました。
ここは灯台に関する資料も展示してありました。
道を歩いていると、沿道には松が植えてありました。なぜか懐かしさを感じます。よく時代劇の東海道には松が植えてありますが、その影響でしょうか?
しょぼい感じですが、ここが江戸城修築用の石の採取跡とのこと。江戸時代初期から江戸城築城の石垣の石はこの初島をはじめ、東伊豆付近から採掘されて、船で江戸まで運ばれたそうです。
ようやく1周すると、もう13時前。漁港前の食堂街には、おいしそうな海鮮の料理が各店貼ってあって、迷ってしまうのですが、どこの食堂もいっぱいで13時25分の船に乗るまでに食べられそうにありません。一軒だけ座れそうな店があったのですが、こういう店は経験上ハズレの店なので躊躇したのですが、この島で食べるのであれば、やむをえません。えいやと入りましたが、やはりはずれで、応対の女性がギラリと嫌な顔して、こっちを見ました。低姿勢で1人ですがとお願いして座らせてもらい、一番早そうなイカ丼を頼みました。ほどなくして出てきました。
ほどほどのお味で、さっとイカ丼を食べて出ます。値段は1100円。まあこんなものでしょう。こういう店は常連とそれ以外の人の応対が月とスッポンくらい違うのですが、常連との会話を聞いてみたら、リゾートホテルの宣伝がうまいようで、春休みということもあって、各店大賑わいのようです。まあ気軽に東京からも来れて、ちょっと遠くに来た気になれる場所だからでしょうか?
もう2度と来ないかもしれませんが、さっさと船に乗って初島を離れます。
熱海行きはさっきの船より新しい「イルドバカンス プレミア」号でした。約30分で熱海港到着です。
すぐに連絡バスに乗り継いで熱海駅へ。熱海駅は古い駅を壊して工事していました。右側のは新しい駅舎のようです。工事中で狭いこともあって、駅は大賑わいです。
熱海駅にはいろいろな列車が発着しています。伊豆急と「スーパービュー踊り子」です。
JR東海の車両です。ここはJRの会社境界駅なのでした。
踊り子号も来ました。
私は帰りは左の普通列車でのんびり小田原へ。
根府川付近では海が見えました。
小田原から小田急線で帰ります。途中、3月の26日のダイヤ改正でなくなる小田急の区間準急列車を撮影しようと思い立ち、下車。
4660
今回の小田急線のダイヤ改正は急行や快速急行の停車駅や接続列車のある駅は便利になりますが、それ以外の駅は不便になると友人が嘆いていました。ダイヤを組むのは難しいものですね。
そのまま帰宅しましたとさ。
「踊り子」号初乗りと初島の旅終わり。
2016年03月27日
「踊り子」号初乗りと初島の旅(上)~2016、旅の詰め合わせ4~
桜の開花した3月の下旬、1泊2日で友人と伊東に行ってきました。温泉でゆっくりするのが目的でしたが、その前後の旅の様子をアップしたいと思います。
まずは品川からJRの特急「踊り子」で伊東へ。以前伊豆急線内で「スーパービュー踊り子」に乗ったことはありましたが、「踊り子」に乗るのは初めてです。
車両は国鉄時代からの車両185系です。以前特急「草津」なんかでも乗ったことはありましたが、座席などはリニューアルされているとはいえ、30年以上使われている車両です。
友人と酒飲みながら乗っていたので、あっという間に伊東駅に到着。最後の車両に乗っていたので、写真撮影します。ヘッドマークが鮮明ですね。最近ではヘッドマークがない車両も多くなりましたが、あると旅気分が出ますね。
ちょうど行き違いで伊豆急の列車が出ていきました。伊豆急は東急系の会社なので、車両も東急のおさがりを使用しているのですかね。
伊東駅は古き良き観光地の駅としての面影を残していました。
その日はタクシーで宿へ。温泉につかって1泊です。
あけて翌日、伊東駅までタクシーで来て、ここで友人と解散して、自由行動です。
町をぶらりとしながら、伊東港へ。途中に旅館から資料館になった「東海館」が見えました。時間がなく、今回はパスしましたが、次回でも入ってみたいものです。
11時前に伊東港へ。ここから沖合の島、初島へ向かいます。
初島は熱海市の所属なので、熱海港との船便が多く、伊東港は1日2便で、11時の便が始発でした。初島経由で熱海港まで切符を買うと2400円でした。結構なお値段です。
ちなみにここから大島行の船も出ているようです。35分で行くんですね。
初島行の「イルドバカンス3世」号がやってきました。
11時過ぎに伊東港を出港。
空が曇りのせいか、展望デッキは私だけでした。船は初島へ向かっています。
(下)へ続く。
2016年03月13日
風っこツアーin袋田の旅~2016 旅の詰め合わせ3~
友人に誘われて、日帰りで茨城県の袋田まで出かけてきました。
まずは上野発8時の「ひたち3号」で水戸へ。
この列車は今シーズン初の偕楽園停車の列車でした。偕楽園駅にはテレビカメラもありました。
水戸からは「風っこストーブ奥久慈号」で袋田駅へ。
駅のポスターには臨時列車になっていましたが、この日はその前の週で団体列車扱いで運転してました。今回は友人がツアー申込をしてくれたとのこと。
水郡線ホームには茨城県のマスコット「ハッスル黄門」様も来ていました。
実際の列車名は「風っこストーブ地酒祭号」みたいですね。
風っこ号には初めて乗るので楽しみです。吹き抜けになっているのかと思ったら、はめ込み式の窓がはめ込まれていて寒い時期には大助かりです。
あとで撮りましたが、車内はこんな感じ。木の感じが素敵です。
席にはおつまみとおでんがきました。
北斗星号の食堂車でも出ていた木内酒造の日本酒が飲めるそうで、何杯もおいしくいただきました。
1時間強で袋田駅へ。歓迎幕が出ていました。
驚いたことに袋田駅は簡易委託の駅になっていて、機械発券で切符を売っていました。駅スタンプも国鉄時代の「わたしの旅スタンプ」がありましたが、印面がすり減って見えなくなっていました。
駅前には大子町のキャラクター「たき丸」が来ていました。
送迎バスで休憩できるホテルへ。すぐに昼食になりましたが、列車に乗って散々飲んで食べてからの昼食は食べにくいですね。ホテル側の都合なのでしょうが、食事券を配って、自由な時間に食べてもらったほうが良い気がします。
食後は腹ごなしに袋田の滝へ。
冬なのでだいぶ水量が少ない感じでした。
ホテルに戻って、休憩して、行きと同じ行程で水戸へ戻ります。帰りも日本酒をだいぶ飲ませていただき、日本酒と梅酒のお土産までもらって楽しい旅になりました。
帰りは品川行きの「ひたち」で帰りました。水戸で品川の文字は新鮮でしたね。
風っこツアーin袋田の旅 終わり
2016年03月10日
長崎ランタンフェスティバルと軍艦島の旅(下)~2016、旅の詰め合わせ2~
長崎2日目の朝。
午前中は軍艦島ツアーで軍艦島に行きます。まずはタクシーで常盤2号桟橋へ。この時期はランタンフェスティバルの影響でツアーも大人気で、4社あるうちの大手の船会社は満席で残っていた会社のツアーに申し込みました。この会社は小さい会社で、受付を船内でやるというので入って受付したら、この受付の兄ちゃんの接客業とは思えない高圧的な態度。これは一緒に行った会社の同僚みんなが憤慨していました。まあ危険も伴う部分もあるので、強くお願いしなければならないこともあるのでしょうが、それにしてもこれはないという態度でした。そして船内の椅子。3人でやっとなのに、4人掛けで詰めろとまた高圧的な態度でうんざり。デッキ側の椅子に私は移動しました。
船は港を出て軍艦島へ。私は軍艦島へは3回目なので、慣れたものですが、この会社の船は小さいため、軍艦島に近づくまでは椅子から立つことは基本的に駄目だそうで、今までの会社の船は出港からデッキの屋上で風を感じながら見学できたので、テンションダダ下がりでした。
出港して目に付いたのは大きな船。三菱重工業長崎造船所が建造しているクルーズ客船。今2隻建造しているようで、近くの香焼工場で建造しているもう1隻は火災などの不審火が続いているようで、少し心配ですが、こちらも建造に遅れが出ているようです。
戦艦武蔵も建造した歴史ある造船所なので、頑張ってもらいたいところです。
40分ほどで軍艦島に到着。上陸時間は各社の協定で決められているようで、しばらくは島の入り口とは逆側を周遊します。屋上デッキから撮影できるそうですが、その屋上デッキに上がるのも、前後の座席で別れるそうで、会社の同僚とは別れてしまいました。これも初めに言ってもらえばいいのに。船上での集合写真は残念ながら撮れませんでした。
さて、私たちの番です。小さな船の唯一よかったのは、小さいがゆえに島近くまで近づけることでした。
めがねと呼ばれる裏側の入り口。ここは昔は船着き場だったそうですが、閉山直前のころはゴミ捨て場になっていたとのこと。赤い看板は立ち入り禁止の長崎市の看板だそうです。立ち入り禁止なのに防波堤には多くの釣り人がいるのは不思議ですが、島の周りの防波堤は国土交通省の管轄なので、そこで釣りをするのは自由だそうです。以前はそこから、廃墟好きの人々が島に入っていったのでしょうが、これだけ有名になって観光地化すると、今は難しいでしょうね。でも周りだけでも歩いてみたい気がします。
黄色い釣り人の後ろ側の建物は16号棟と呼ばれる住宅棟。1918年建設というのでもう建設から98年という日本で2番目に古い高層鉄筋アパートだそうです。そして一番上に見える社は端島神社の神殿です。拝殿もあったそうですが木造であったために、長年の間に崩壊し、コンクリート造りの神殿のみ残ったそうです。
北側から見た軍艦島です。
正面に見えるのは端島小中学校だそうです。近づいいてみると結構傷んでいて、屋上部分が崩壊しそうです。
ようやく時間が来て、上陸です。上陸してみるところは以前と同じで、安全な島の端を歩くので、どうしても建物からは遠ざかってしまうのは残念です。実際に見てみると、少しずつ修繕も始まっているようです。
さっきの端島小中学校の裏側。屋上は崩落していますね。
他にもたくさん写真を撮ったのですが、詳しくはまた別の機会に。
上陸して終点の場所はここ。正面は30号棟という住宅棟で、日本で最古で現存する鉄筋コンクリート造アパートだそうです。
1916年に作られたそうで、今年で100年ですね。昔は半永久的だとコンクリートの寿命も今ではだいぶ短いなんて言われますが、それでも100年こうやって持っているのはすごいことです。願わくば、もう少し近づいて見学したいものです。
40分ほど見て、船で長崎市街に戻ってきました。残念だったのは船会社の係員の態度。受付の高圧的な兄ちゃんは島内でも高圧的にせかすせかす。各社協定で上陸時間がきまっているので、責任感もあるのでしょうが、言い方が悪すぎます。ほかの方は穏やかで悪くなかっただけに残念です。私は次回からはこのシーマン商会のツアーは使わないでしょうね。
さて中華街でみんなで昼食にしました。私は角煮丼にしました。ちなみにエビはもらいものです。
昼の中華街もきれいでしたよ。
大浦天主堂とグラバー園を観光して、
長崎空港から帰京しました。
長崎ランタンフェスティバルと軍艦島の旅終わり
2016年03月06日
長崎ランタンフェスティバルと軍艦島の旅(上)~2016、旅の詰め合わせ1
2016年2月、会社の旅行で長崎に行ってきました。そこで出会ったものをあれこれ紹介します。
羽田からソラシドエアで長崎空港へ。冬の富士山が見えました。
2時間ほどで大村湾に浮かぶ長崎空港へ。
長崎空港からリムジンバスで市街地へ。まずは出島観光へ。
出島は江戸時代、鎖国の時代にオランダ人を住まわせておいた居留地で扇形をした場所でした。今は復元工事中です。これは模型です。
歩いて中華街へ。
ランタンフェスティバルの明かりがともり始めました。
結構な人出です。
会場の一つ、湊公園へ。
長崎名物ハトシをいただきました。
そして唐人屋敷会場へ。唐人屋敷は中国人版の出島というべきもので江戸時代、ここに中国人が集まられたのだそう。
今は福建会館など一部が残っているのみですが、観光できてよかったです。
この日は稲佐山のホテルに泊まりました。長崎の夜景が一望できましたね。
函館、神戸と並び、日本三大夜景と言われていますね。私は函館の夜景が海によって明かりの形がはっきりわかるので好きですが。
ホテルで宴会をして、たらふく飲みました。
(下)へ続く