2011年05月29日
ヨロンマラソン~奄美群島南下紀行⑤~
ヨロンマラソン当日、それまでと天候ががらりと変わり、快晴でした。ヨロンマラソンで晴れというのは珍しいそうで前日に引き続き幸運です。
8時にフルマラソンからスタートして、10時に私の走るハーフマラソンがスタートでした。ちょうど泊まっている宿の前が給水所になっていて、出発前にフルマラソンの走者を応援しました。集落全体で応援してくれるので、子どもたちも集まっていました。
時間になり、スタート地点に向かいます。ここはハーフのスタート地点。
完走後にふるまわれるウニスープのウニです。
10時になり、いよいよスタートです。
この島はなかなかのアップダウンです、2キロ超えたあたりから海が見えてきました。
海沿いの眺めは良く、遠くに昨日までいた沖永良部島が見えます。
1キロごとに距離票が建っていて励みになります。
眺めの良い場所を多く通ります。
途中で山羊汁が出ました。
また走りだします。
日頃の不摂生がたたって、後半は(前半もほとんど)歩いてしまいました。
ようやく終点近くです。
今までのワースト記録で到着。
宿へ帰って、昼食とビールです。
この日は暑い日でした。
浜で行われた完走パーティも大いに盛り上がりました。
きれいな夕陽でした。
宿に帰り、夜中3時まで飲み続け、大いに盛り上がりました。話を聞いていると、ヨロンマラソンは旅好きの多いマラソン大会のようでした。
8時にフルマラソンからスタートして、10時に私の走るハーフマラソンがスタートでした。ちょうど泊まっている宿の前が給水所になっていて、出発前にフルマラソンの走者を応援しました。集落全体で応援してくれるので、子どもたちも集まっていました。
時間になり、スタート地点に向かいます。ここはハーフのスタート地点。
完走後にふるまわれるウニスープのウニです。
10時になり、いよいよスタートです。
この島はなかなかのアップダウンです、2キロ超えたあたりから海が見えてきました。
海沿いの眺めは良く、遠くに昨日までいた沖永良部島が見えます。
1キロごとに距離票が建っていて励みになります。
眺めの良い場所を多く通ります。
途中で山羊汁が出ました。
また走りだします。
日頃の不摂生がたたって、後半は(前半もほとんど)歩いてしまいました。
ようやく終点近くです。
今までのワースト記録で到着。
宿へ帰って、昼食とビールです。
この日は暑い日でした。
浜で行われた完走パーティも大いに盛り上がりました。
きれいな夕陽でした。
宿に帰り、夜中3時まで飲み続け、大いに盛り上がりました。話を聞いていると、ヨロンマラソンは旅好きの多いマラソン大会のようでした。
2011年05月22日
ヨロンマラソン前夜祭~奄美群島南下紀行④~
14時12分フェリーあけぼのは与論島の与論港に到着。
港には歓迎の踊りが待っていました。
港に降りると、ミス与論から記念品をいただきました。中には与論小学校の小学生が書いてくれた手紙と貝殻が入っていました。こういうのは嬉しいですね。
与論島はおととし観光で来ましたが、今回はヨロンマラソン出場の為にやってきました。去年は出場しませんでしたが、沖縄伊平屋島のムーンライトマラソンに出場しているメンバーつながりで今回は参加できました。20回を迎えるヨロンマラソンですが、一昨年に島一番の大きなホテル「与論島観光ホテル」が閉鎖してから、宿の確保が難しいようです。以前出た知り合いに聞いた民宿も電話したらキャンセル待ちでした。たまたまムーンライトマラソンでご一緒している方の好意で泊まっている民宿に雑魚寝で一緒に泊めていただきました。民宿で話を聞いてみると、ツアーで来る人が多かったようです。
宿について、初めて出る友人と一緒に前夜祭へ行ってきました。前夜祭は参加費1000円ですが、スポンサーもたくさんついていて、いろいろ出てきました。与論島の地場産食材を使った料理とイカの刺身。
アサヒビールの協賛もあり、発泡酒なども出てきました。
ゲストは谷川真理が来ていました。
足をけがしているので出ないとのことでしたが、自転車で応援するんだそうです。
与論を愛する会の人たちが有志で抽選会をやっていただき、運よく、生まれて初めて位の幸運が!
珍しい焼酎、魔王をいただきました。
最後は沖縄に近いからか、カチャーシーやって終わりでした。
ちょっとスポンサー配慮が多い前夜祭でしたが、やはりこういうのは面白いですね。
2011年05月15日
ユリと鍾乳洞の島~奄美群島南下紀行③~
奄美旅行3日目、早起きして5時50分のフェリーで沖永良部島へ向かいます。奄美大島の名瀬港は早朝に沖縄行き、夜に鹿児島行きが出ます。
徳之島を経て、11時40分に沖永良部島へつきました。早速、ビジネス旅館に荷物を置き、島探索に出ます。沖永良部島は和泊町と知名町の2町からなり、人口は1万5千人前後とのこと。以前行った与論島より都会らしく、こんな店もありました。与論島はもっと田舎ですね。
24時間1000円という素敵な原付を借りて島1周です。印象に残った場所を上げてみます。この島は石灰岩でできている島なので、鍾乳洞が多いのですが、それ以外にも島の水汲みの為の穴が多くあります。ここは住吉暗川と呼ばれる洞窟です。
昭和30年代にポンプでくみ上げるまで、住民がカメで毎日水を汲み上げるという重労働だったそうです。
途中でこんなものが。
よく見たらコンビニでした。
ここはフーチャ。サンゴ礁が波で浸食された洞窟だそうで、ここでぶつかった波が霧になって陸上の農作物に被害をもたらしたために、ここだけ残して壊したそうです。激しい波が、なかなかの眺めです。
小学校にある「日本一のガジュマル」
結構な大きさでした。それよりも挨拶をしてくれた子どもたちの歓声が耳に残ります。
ここ沖永良部島は幕末、西郷隆盛が流されていたそうで、復元ですが西郷が入れられていた牢がありました。
博物館を造るそうで工事中でした。流されて始めの頃は吹きさらしの牢に入っていたそうです。大変だったんですね。
これで1日目終わりです。ちょっと困ったのは泊まった和泊という場所に適当な夕食を取れる場所が無く、農協のスーパーで買い出しして、弁当を食べる羽目になりました。
さて二日目、沖永良部島随一の観光地、昇竜洞へ行きます。日本に秋芳洞はじめ数多くの鍾乳洞があるなれど、ここの鍾乳洞は日本でも有名なのです。でも行ってみると、お客は私一人。季節外れの観光地はこんなもんですね。ここの入場料は1000円。JALカード割引で1割引きでしたが、結構な金額でした。
やはり中は見事でした。
照明の力があるにせよ、なかなかの素晴らしさでした。良かったのは観光地でありながら、観光客用に鍾乳洞を削っていないこと。おかげでしゃがんで歩くこと数回でしたが、良かったです。
締めは和泊町歴史民俗資料館。
メンショーリはめんそーれの沖永良部方言なんでしょうね。
ここで沖永良部のことがいろいろわかりました。この島はユリの栽培で有名で、戦前から栽培していて海外に球根を輸出していたそうです。
時間もなく、慌ててフェリー乗り場へ。
午後の鹿児島行きに乗るようです。現代のドナドナですね。
こちらは反対の沖縄行きで与論島へ向かいます。
徳之島を経て、11時40分に沖永良部島へつきました。早速、ビジネス旅館に荷物を置き、島探索に出ます。沖永良部島は和泊町と知名町の2町からなり、人口は1万5千人前後とのこと。以前行った与論島より都会らしく、こんな店もありました。与論島はもっと田舎ですね。
24時間1000円という素敵な原付を借りて島1周です。印象に残った場所を上げてみます。この島は石灰岩でできている島なので、鍾乳洞が多いのですが、それ以外にも島の水汲みの為の穴が多くあります。ここは住吉暗川と呼ばれる洞窟です。
昭和30年代にポンプでくみ上げるまで、住民がカメで毎日水を汲み上げるという重労働だったそうです。
途中でこんなものが。
よく見たらコンビニでした。
ここはフーチャ。サンゴ礁が波で浸食された洞窟だそうで、ここでぶつかった波が霧になって陸上の農作物に被害をもたらしたために、ここだけ残して壊したそうです。激しい波が、なかなかの眺めです。
小学校にある「日本一のガジュマル」
結構な大きさでした。それよりも挨拶をしてくれた子どもたちの歓声が耳に残ります。
ここ沖永良部島は幕末、西郷隆盛が流されていたそうで、復元ですが西郷が入れられていた牢がありました。
博物館を造るそうで工事中でした。流されて始めの頃は吹きさらしの牢に入っていたそうです。大変だったんですね。
これで1日目終わりです。ちょっと困ったのは泊まった和泊という場所に適当な夕食を取れる場所が無く、農協のスーパーで買い出しして、弁当を食べる羽目になりました。
さて二日目、沖永良部島随一の観光地、昇竜洞へ行きます。日本に秋芳洞はじめ数多くの鍾乳洞があるなれど、ここの鍾乳洞は日本でも有名なのです。でも行ってみると、お客は私一人。季節外れの観光地はこんなもんですね。ここの入場料は1000円。JALカード割引で1割引きでしたが、結構な金額でした。
やはり中は見事でした。
照明の力があるにせよ、なかなかの素晴らしさでした。良かったのは観光地でありながら、観光客用に鍾乳洞を削っていないこと。おかげでしゃがんで歩くこと数回でしたが、良かったです。
締めは和泊町歴史民俗資料館。
メンショーリはめんそーれの沖永良部方言なんでしょうね。
ここで沖永良部のことがいろいろわかりました。この島はユリの栽培で有名で、戦前から栽培していて海外に球根を輸出していたそうです。
時間もなく、慌ててフェリー乗り場へ。
午後の鹿児島行きに乗るようです。現代のドナドナですね。
こちらは反対の沖縄行きで与論島へ向かいます。
2011年05月08日
奄美大島半周記~奄美群島南下紀行②~
奄美群島南下紀行の続き、2日目です。旅程の都合上、奄美滞在は今日1日のみ。奄美大島は結構広いので、とりあえず、観光地は考えず、島を1周することにしました。
まずは名瀬市から東シナ海沿いの道路を西へ。天気は曇り。波は荒れておりました。
道も狭くグネグネと曲がっていて、なかなか走りにくい道です。トンネルもこんな感じ。
時々ある集落にはこんな看板が。
集落は風が強いらしく、こんなものがくるくる回っていました。
道は西の端まで行って山を越えます。超えると、そこは内海。穏やかなものでした。
養殖やってましたね。
途中に寄った郵便局には、
郵便局の目の前が海でした。
奄美にきて不思議なのは、どこの集落にも土俵があることです。昔は豊作を祝う神事の一環だったようですが、今ではみんなが帰ってくる夏休みにやったりするそうです。
また山を越えます。越えると、今度は大島海峡。向かいは加計呂麻島です。
西の端に近い西古見まで来ました。集落は海からの風を防ぐため、海沿いは石垣に囲まれていました。
今度は奄美大島の南の端を東へ向かいます。
大きな町、古仁屋に到着。ここから加計呂麻島行きの船が出ます。ここのターミナルの2階には渥美さんが。
寅さんこと「男はつらいよ」の最終話は加計呂麻島で撮影されたそうで、その記念の展示室です。寅さんのはじめはフジテレビのテレビシリーズで、最終話で寅さんは奄美大島でハブにかまれて死んでしまったという設定でした。そのときテレビ局に寄せられた苦情の多さから山田洋次監督が映画化した「男はつらいよ」は隣の加計呂麻島で恋人のリリーとともに生きているらしいという話で終わったのは不思議な縁ですね。
さてここ古仁屋は国道58号線の終着点。それはここ
標識を見ると
確かにここまでですね。この先は沖縄本島の奥につながり、沖縄の58号になります。
名瀬に帰り、宿で聞いた島唄の小料理店へ。
島唄聞いて、知らない地元の人と話して、しこたま黒糖焼酎飲んで、店お任せの家庭料理を食べました。
一人でこういうところに入ることはめったにないんだけど、まあこういうのもいいかなと。そんな夜でした。
まずは名瀬市から東シナ海沿いの道路を西へ。天気は曇り。波は荒れておりました。
道も狭くグネグネと曲がっていて、なかなか走りにくい道です。トンネルもこんな感じ。
時々ある集落にはこんな看板が。
集落は風が強いらしく、こんなものがくるくる回っていました。
道は西の端まで行って山を越えます。超えると、そこは内海。穏やかなものでした。
養殖やってましたね。
途中に寄った郵便局には、
郵便局の目の前が海でした。
奄美にきて不思議なのは、どこの集落にも土俵があることです。昔は豊作を祝う神事の一環だったようですが、今ではみんなが帰ってくる夏休みにやったりするそうです。
また山を越えます。越えると、今度は大島海峡。向かいは加計呂麻島です。
西の端に近い西古見まで来ました。集落は海からの風を防ぐため、海沿いは石垣に囲まれていました。
今度は奄美大島の南の端を東へ向かいます。
大きな町、古仁屋に到着。ここから加計呂麻島行きの船が出ます。ここのターミナルの2階には渥美さんが。
寅さんこと「男はつらいよ」の最終話は加計呂麻島で撮影されたそうで、その記念の展示室です。寅さんのはじめはフジテレビのテレビシリーズで、最終話で寅さんは奄美大島でハブにかまれて死んでしまったという設定でした。そのときテレビ局に寄せられた苦情の多さから山田洋次監督が映画化した「男はつらいよ」は隣の加計呂麻島で恋人のリリーとともに生きているらしいという話で終わったのは不思議な縁ですね。
さてここ古仁屋は国道58号線の終着点。それはここ
標識を見ると
確かにここまでですね。この先は沖縄本島の奥につながり、沖縄の58号になります。
名瀬に帰り、宿で聞いた島唄の小料理店へ。
島唄聞いて、知らない地元の人と話して、しこたま黒糖焼酎飲んで、店お任せの家庭料理を食べました。
一人でこういうところに入ることはめったにないんだけど、まあこういうのもいいかなと。そんな夜でした。
2011年05月01日
58号を南下する。~奄美群島南下紀行①~
2011年3月、ヨロンマラソン出場に合わせて奄美群島を旅してきました。今回、初めて奄美大島へやってきました。沖縄には数えきれないほど行っていたけど、おととしの皆既日食の時はフェリーが予約できず行けなかったので、今回が初めてになりました。
羽田発の奄美行きの飛行機は一日1便午前11時発なのでゆっくりとした出発です。飛行機は小さい飛行機でした。
眼下に浜名湖が見えます。
向かい風で10分遅れ、奄美空港には13時45分頃に到着。
まずレンタカーで来たのはここ。
何の変哲もない交差点ですが、ここが鹿児島と沖縄を結ぶ国道58号線の奄美大島部分の始まりです。右に向かうと、国道58号です。
奄美の58号線はのどかな道でした。
しかしところどころ、昨年の集中豪雨の影響による土砂崩れの跡がのこり、片側通行の場所があったりします。
奄美の中心、名瀬に着いたのはもう夕方。とりあえず、奄美の情報を知ろうと、奄美博物館へ。
奄美と言えばここでしか作られない黒糖焼酎。お土産の下見に行ったら、これだけのお酒があって、びっくり!
夕食は奄美名物の「鶏飯」を食べに、ガイドブックに載っていた「鳥よし」へ
まずは鳥さし。
焼き鳥。もちろん2杯めは黒糖焼酎のお湯割り。
そして、締めは鶏飯。
鶏飯はお椀に盛ったご飯に自分で具を載せて、特製の鶏がらスープをかけるのだそうです。これはなかなかおいしい!
おいしく食べて、外へ出ると、少し寒いです。今日は奄美も寒いそうですが、東京の暖かい時と同じくらいですね。港には鹿児島行きのフェリーが寄港していました。この地はフェリーが重要な地位にいるんですね。
羽田発の奄美行きの飛行機は一日1便午前11時発なのでゆっくりとした出発です。飛行機は小さい飛行機でした。
眼下に浜名湖が見えます。
向かい風で10分遅れ、奄美空港には13時45分頃に到着。
まずレンタカーで来たのはここ。
何の変哲もない交差点ですが、ここが鹿児島と沖縄を結ぶ国道58号線の奄美大島部分の始まりです。右に向かうと、国道58号です。
奄美の58号線はのどかな道でした。
しかしところどころ、昨年の集中豪雨の影響による土砂崩れの跡がのこり、片側通行の場所があったりします。
奄美の中心、名瀬に着いたのはもう夕方。とりあえず、奄美の情報を知ろうと、奄美博物館へ。
奄美と言えばここでしか作られない黒糖焼酎。お土産の下見に行ったら、これだけのお酒があって、びっくり!
夕食は奄美名物の「鶏飯」を食べに、ガイドブックに載っていた「鳥よし」へ
まずは鳥さし。
焼き鳥。もちろん2杯めは黒糖焼酎のお湯割り。
そして、締めは鶏飯。
鶏飯はお椀に盛ったご飯に自分で具を載せて、特製の鶏がらスープをかけるのだそうです。これはなかなかおいしい!
おいしく食べて、外へ出ると、少し寒いです。今日は奄美も寒いそうですが、東京の暖かい時と同じくらいですね。港には鹿児島行きのフェリーが寄港していました。この地はフェリーが重要な地位にいるんですね。