2014年03月28日
一年の移り変わりとお知らせ。
東急東横線渋谷駅が地上から地下に潜って早いもので1年。何回か、その移り変わりを撮ってきました。
これは1年前の2013年3月2日の渋谷駅。
私が小さいころからあった、この駅がなくなるなんて信じられませんでした。
それが2か月後の5月の19日。
まだ電気は付いていましたが、ホーム上の設備が撤去されていて、がらんとしてしまいました。やはりさびしいものです。
それが2か月後の7月14日。
もう電気が消えて、少しずつ解体が始まりました。
その3か月後の10月09日にはだいぶ解体が進んでいます。
翌年、2014年1月13日には屋根がすっかりなくなり、奥のJR線の電車が見えるようになっていました。
対岸のヒカリエから見た東急東横線ホームはこんな感じ。
2012年の11月30日のほぼ同じ場所。
こうしてみると、だいぶ変わりましたね。
最近の2014年3月26日の東横線渋谷駅ホーム跡。
見た目は1月と変わらないですが、もうホームの下部分の解体が進んでいて、向かい側の埼京線の連絡橋から東横線のホームを。
山手線のホームからも以前は見えなかった銀座線の列車が見えるようになりました。
まあ写真では見えませんが。
1年かけて解体とは時間がかかっていますが、下側に通路を確保しながらの解体は難しいのでしょうね。銀座線のホームのある東急百貨店の解体も進んでいるので、渋谷の風景は変わりつつありますね。
さて、このブログは週1回更新でやってきましたが、4月から木、日の夕方の週2回更新になります。特別なことがない限り、週2更新を続けていきたいと思います。最近はブルートレインや鉄道路線の廃止が近づいてきているので、鉄分の多い旅行をしていますが、沖縄の旅や、中断している東欧横断の旅も早めに載せていきたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。
これは1年前の2013年3月2日の渋谷駅。
私が小さいころからあった、この駅がなくなるなんて信じられませんでした。
それが2か月後の5月の19日。
まだ電気は付いていましたが、ホーム上の設備が撤去されていて、がらんとしてしまいました。やはりさびしいものです。
それが2か月後の7月14日。
もう電気が消えて、少しずつ解体が始まりました。
その3か月後の10月09日にはだいぶ解体が進んでいます。
翌年、2014年1月13日には屋根がすっかりなくなり、奥のJR線の電車が見えるようになっていました。
対岸のヒカリエから見た東急東横線ホームはこんな感じ。
2012年の11月30日のほぼ同じ場所。
こうしてみると、だいぶ変わりましたね。
最近の2014年3月26日の東横線渋谷駅ホーム跡。
見た目は1月と変わらないですが、もうホームの下部分の解体が進んでいて、向かい側の埼京線の連絡橋から東横線のホームを。
山手線のホームからも以前は見えなかった銀座線の列車が見えるようになりました。
まあ写真では見えませんが。
1年かけて解体とは時間がかかっていますが、下側に通路を確保しながらの解体は難しいのでしょうね。銀座線のホームのある東急百貨店の解体も進んでいるので、渋谷の風景は変わりつつありますね。
さて、このブログは週1回更新でやってきましたが、4月から木、日の夕方の週2回更新になります。特別なことがない限り、週2更新を続けていきたいと思います。最近はブルートレインや鉄道路線の廃止が近づいてきているので、鉄分の多い旅行をしていますが、沖縄の旅や、中断している東欧横断の旅も早めに載せていきたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。
2014年03月21日
古代古墳とさよなら西の183系~夜行列車乗り継ぎの旅15~
実家でゆっくりして、帰省最後の日です。東京の自宅にただ帰るのはつまらないので、少し寄り道して帰ります。
まずはJR京都線に乗り、摂津富田へ。そして高槻市営バスに乗ります。ここでは持っていたICOCAが使用可能だったので、3月から始まる全国ICカード共通利用後は私の持っているPASMOでも使えそうです。ICカードは便利ですね。
着いたのは今城塚古代歴史館。
隣接している今城塚古墳やこの地の歴史に関する資料が展示してあり、古代、この地に大規模な埴輪工房があったなど、新しい知識を得ることができました。
そして隣の今城塚古墳に向かいます。読み方はいましろづかこふんと読むそうです。
この古墳は現在は公園になっていて、入ることができます。そして発掘調査の成果をうまく復元、展示しています。かつては2重の堀があり、その中の堤には埴輪祭祀の跡が発掘され、復元されています。
これらの埴輪は、死後の世界でも死者が不自由なく暮らせるようにということなんでしょうね。ほかの古墳でもあったのでしょうが、風雨にさらされ、今は残っていないということです。
堤を1周します。
堀の際には、埴輪が立っていたのですね。
一部の堀は空堀ですが、前方後円墳の方墳の形がよくわかります。
空堀の部分から墳丘の中にも入ってみます。
この辺りに死者をまつる石室があったと思われますが、発掘調査の結果、1596年の慶長伏見地震で墳丘自体が崩壊し、石室もその時につぶれてしまったのではないかとのこと。この地震では豊臣秀吉の伏見城も天守閣が崩壊し、秀吉も危うく難を逃れたといわれていたりします。そのほか戦国時代はこの墳丘に砦が築かれたりしたそうで、こういったことが荒廃の原因だったりします。
墳丘へ上る道。今では誰でも上がることができます。地域の人々の散歩の場所だったりします。
実はこの今城塚古墳は古代の継体天皇の墓ではないかと言われています。この継体天皇は今の天皇家につながるほぼ確実な祖先ではないかと言われている天皇で、聖徳太子の祖父になります。天皇の墓は基本は宮内庁管理の天皇陵になり、継体天皇陵は近くの別の古墳が治定されていますが、出土した埴輪の年代や文献に載っている場所などを考えると、歴史学的には今城塚古墳が真の継体天皇陵であるとされています。まあ実際石室もなく、これだけ踏み荒らされている今城塚古墳を天皇陵にするのは宮内庁は躊躇しているのでしょうが、お墓を違う場所に指定しているのは、なかなか難しい問題です。
さて、そのあと京都駅へ移動しました。
京都駅では山陰線ホームへ。
入ってくる特急列車を撮影しました。
183系の特急列車。3月のダイヤ改正でなくなるとのことで、おなごり撮影です。私が小さいころの国鉄の電車特急といえば、この形の電車でした。いろいろな細かい形式が違うにせよ。形はこの形でした。まだまだこの外観の特急列車はありますが、また一つ消えていくのを惜しんで撮影です。
このあと、551の豚まんを買って、新幹線で帰京します。
伊吹山は雪をかぶってましたね。本当に寒そうです。
品川に到着。
これにて帰省と夜行列車乗り継ぎの旅、終了!
まずはJR京都線に乗り、摂津富田へ。そして高槻市営バスに乗ります。ここでは持っていたICOCAが使用可能だったので、3月から始まる全国ICカード共通利用後は私の持っているPASMOでも使えそうです。ICカードは便利ですね。
着いたのは今城塚古代歴史館。
隣接している今城塚古墳やこの地の歴史に関する資料が展示してあり、古代、この地に大規模な埴輪工房があったなど、新しい知識を得ることができました。
そして隣の今城塚古墳に向かいます。読み方はいましろづかこふんと読むそうです。
この古墳は現在は公園になっていて、入ることができます。そして発掘調査の成果をうまく復元、展示しています。かつては2重の堀があり、その中の堤には埴輪祭祀の跡が発掘され、復元されています。
これらの埴輪は、死後の世界でも死者が不自由なく暮らせるようにということなんでしょうね。ほかの古墳でもあったのでしょうが、風雨にさらされ、今は残っていないということです。
堤を1周します。
堀の際には、埴輪が立っていたのですね。
一部の堀は空堀ですが、前方後円墳の方墳の形がよくわかります。
空堀の部分から墳丘の中にも入ってみます。
この辺りに死者をまつる石室があったと思われますが、発掘調査の結果、1596年の慶長伏見地震で墳丘自体が崩壊し、石室もその時につぶれてしまったのではないかとのこと。この地震では豊臣秀吉の伏見城も天守閣が崩壊し、秀吉も危うく難を逃れたといわれていたりします。そのほか戦国時代はこの墳丘に砦が築かれたりしたそうで、こういったことが荒廃の原因だったりします。
墳丘へ上る道。今では誰でも上がることができます。地域の人々の散歩の場所だったりします。
実はこの今城塚古墳は古代の継体天皇の墓ではないかと言われています。この継体天皇は今の天皇家につながるほぼ確実な祖先ではないかと言われている天皇で、聖徳太子の祖父になります。天皇の墓は基本は宮内庁管理の天皇陵になり、継体天皇陵は近くの別の古墳が治定されていますが、出土した埴輪の年代や文献に載っている場所などを考えると、歴史学的には今城塚古墳が真の継体天皇陵であるとされています。まあ実際石室もなく、これだけ踏み荒らされている今城塚古墳を天皇陵にするのは宮内庁は躊躇しているのでしょうが、お墓を違う場所に指定しているのは、なかなか難しい問題です。
さて、そのあと京都駅へ移動しました。
京都駅では山陰線ホームへ。
入ってくる特急列車を撮影しました。
183系の特急列車。3月のダイヤ改正でなくなるとのことで、おなごり撮影です。私が小さいころの国鉄の電車特急といえば、この形の電車でした。いろいろな細かい形式が違うにせよ。形はこの形でした。まだまだこの外観の特急列車はありますが、また一つ消えていくのを惜しんで撮影です。
このあと、551の豚まんを買って、新幹線で帰京します。
伊吹山は雪をかぶってましたね。本当に寒そうです。
品川に到着。
これにて帰省と夜行列車乗り継ぎの旅、終了!
タグ :鉄旅
2014年03月14日
機関車交代とラストスパート~夜行列車乗り継ぎの旅14~
個室でゆっくり休んだ後、10時36分、北陸路の終着敦賀へとやってきました。ここで機関車交代のため、16分止まります。ここで青森から引っ張ってきてくれたEF81の電気機関車が切り離されます。
みんな降りてきて記念撮影タイムです。
114号車が切り離されました。この機関車は敦賀~大阪、大阪~青森、青森~敦賀を2泊3日かけて走ってくれたのでしょう。お疲れ様でした。
時間があるので、最後尾に向かい、撮影します。こちらは誰もいないので撮り放題です。
だいぶ寒さもゆるんでいたらしく、車体も深緑色がしっかり見えました。
ヘッドマークもきれいに見えます。
また先頭に戻ってきたら、今度は113号車がつながれていました。
大阪までのラストスパートよろしくです。
敦賀で昼食用のお弁当を購入。
「炙ります寿司」です。中身は
こんな感じ。軽食な感じがいいかなと思い、購入しました。
敦賀を発車後、ロビーカーでループ線の案内をするとの車内放送が。
この区間には、ここから山を越えて近江へ入るため、きつい勾配を緩和するために設けられたループ線があります。ループ線は円を描くように1周しながら、高度を稼ぐようになっています。敦賀方面から登ってくると、ループ線の一部から敦賀市内が見えるということで、みんな写真を撮っていました。
ループ線の面白いところは、対向する線路が右に見えたり、左に見えたりと車窓が目まぐるしく変わるところですね。あまり鉄道関係に興味のない人たちも喜んでいました。
列車は湖西線に入り、琵琶湖を左手に見ながら大阪を目指します。私の個室の窓は山側なので、直接湖は見えませんが、最後の個室を楽しみます。
いよいよ京都駅に到着。
そしていよいよ最後のイベントのためにサロンカーへ向かいます。サロンカーはガラガラでしたが、進行方向右側に陣取りカメラを向けます。
来た!
下り列車の「トワイライトエクスプレス」号です。毎日運転時にはこの区間と秋田県の大久保駅付近でトワイライトエクスプレスの行き違いが見られるそうです。ほぼ丸一日かけて走る列車だから見ることのできる光景ですね。
サロンカーにはスタンプもおいてあり、自由に押せます。
いよいよ終着駅大阪が近づいてきました。
山崎を過ぎると、大阪府に入ります。上段を使用した個室のベッドとサントリーのウイスキー工場。
12時54分、定刻より2分遅れで大阪駅に到着。
新しくなった大阪駅の建物と。
鉄道に乗るのは好きとはいえ、本当に長い旅でした。もう午後の日差しが包みます。
13時03分「トワイライトエクスプレス」は回送となって車庫へ戻っていきました。
ありがとう。お世話になりました。
実家へと向かいます
15へと続く。
みんな降りてきて記念撮影タイムです。
114号車が切り離されました。この機関車は敦賀~大阪、大阪~青森、青森~敦賀を2泊3日かけて走ってくれたのでしょう。お疲れ様でした。
時間があるので、最後尾に向かい、撮影します。こちらは誰もいないので撮り放題です。
だいぶ寒さもゆるんでいたらしく、車体も深緑色がしっかり見えました。
ヘッドマークもきれいに見えます。
また先頭に戻ってきたら、今度は113号車がつながれていました。
大阪までのラストスパートよろしくです。
敦賀で昼食用のお弁当を購入。
「炙ります寿司」です。中身は
こんな感じ。軽食な感じがいいかなと思い、購入しました。
敦賀を発車後、ロビーカーでループ線の案内をするとの車内放送が。
この区間には、ここから山を越えて近江へ入るため、きつい勾配を緩和するために設けられたループ線があります。ループ線は円を描くように1周しながら、高度を稼ぐようになっています。敦賀方面から登ってくると、ループ線の一部から敦賀市内が見えるということで、みんな写真を撮っていました。
ループ線の面白いところは、対向する線路が右に見えたり、左に見えたりと車窓が目まぐるしく変わるところですね。あまり鉄道関係に興味のない人たちも喜んでいました。
列車は湖西線に入り、琵琶湖を左手に見ながら大阪を目指します。私の個室の窓は山側なので、直接湖は見えませんが、最後の個室を楽しみます。
いよいよ京都駅に到着。
そしていよいよ最後のイベントのためにサロンカーへ向かいます。サロンカーはガラガラでしたが、進行方向右側に陣取りカメラを向けます。
来た!
下り列車の「トワイライトエクスプレス」号です。毎日運転時にはこの区間と秋田県の大久保駅付近でトワイライトエクスプレスの行き違いが見られるそうです。ほぼ丸一日かけて走る列車だから見ることのできる光景ですね。
サロンカーにはスタンプもおいてあり、自由に押せます。
いよいよ終着駅大阪が近づいてきました。
山崎を過ぎると、大阪府に入ります。上段を使用した個室のベッドとサントリーのウイスキー工場。
12時54分、定刻より2分遅れで大阪駅に到着。
新しくなった大阪駅の建物と。
鉄道に乗るのは好きとはいえ、本当に長い旅でした。もう午後の日差しが包みます。
13時03分「トワイライトエクスプレス」は回送となって車庫へ戻っていきました。
ありがとう。お世話になりました。
実家へと向かいます
15へと続く。
タグ :鉄旅
2014年03月07日
日本海と夜明け~夜行列車乗り継ぎの旅13~
シャワーを浴びて、個室に戻ります。シャワー横のサロンカーは青函トンネルを通っているのに、ガラガラでした。以前は青函トンネル通過時に車掌がオレンジカードを売りながら、トンネルの概要説明なんてやっていたという話も聞きますが、今はオレンジカードの販売も下火になり、また青函トンネルに対する関心が薄れてきたこともあるんでしょうが、説明会などはなくなってしまったんでしょうね。まあ夜ですし、トンネル自体はただの暗闇ですから。
青函トンネルを出たあと、またまたレストランカーへ。今度はパブタイムです。やはり食堂車があるからには車窓を楽しみながら、飲食したいのです。
席に着くと、ちょうど列車は青森駅に到着です。
まずはビールと唐揚げ。
誰もいない青森駅のホームを見ながら、ビールを飲んで唐揚げをつまんでいると、ホームの向かい側に、弘前からの普通列車が定刻より少し遅れて入ってきました。
赤ワインとチーズも追加しました。
そして「トワイライトエクスプレス」は日本海縦貫線を一路大阪へ走り出します。車窓は暗闇の中へ入ってきます。私も寝ることにしました。ツインなので、2段ベッドですが、上のベッドを使って寝ることにします。
翌朝6時すぎ、直江津到着くらいに目が覚めました。前日予約した朝食タイムは6時45分からなので、手早く着替えて食堂車へ向かいます。
まだ日の出前ですが、車窓は白み始めています。
列車はちょうど日本海の見える糸魚川~泊を過ぎて富山平野の内陸部に入りはじめてます。
朝食を食べ終わり、隣のサロンカーへ。ちょうど山側、立山連峰から日が出ようとしています。日に照らされた雲の移り変わりが本当に美しかった!
7時20分頃、ようやく日が出ました。
面白いのは山の高低、雲の位置で日が出たり、隠れたりすることです。
雲の色がきれいでいいですね。
日が出ると、照らされた雪の大地がまたきれいです。
8時00分頃、新幹線工事中の富山駅に到着です。特急ひだ号が留まっていました。
14へ続く。
青函トンネルを出たあと、またまたレストランカーへ。今度はパブタイムです。やはり食堂車があるからには車窓を楽しみながら、飲食したいのです。
席に着くと、ちょうど列車は青森駅に到着です。
まずはビールと唐揚げ。
誰もいない青森駅のホームを見ながら、ビールを飲んで唐揚げをつまんでいると、ホームの向かい側に、弘前からの普通列車が定刻より少し遅れて入ってきました。
赤ワインとチーズも追加しました。
そして「トワイライトエクスプレス」は日本海縦貫線を一路大阪へ走り出します。車窓は暗闇の中へ入ってきます。私も寝ることにしました。ツインなので、2段ベッドですが、上のベッドを使って寝ることにします。
翌朝6時すぎ、直江津到着くらいに目が覚めました。前日予約した朝食タイムは6時45分からなので、手早く着替えて食堂車へ向かいます。
まだ日の出前ですが、車窓は白み始めています。
列車はちょうど日本海の見える糸魚川~泊を過ぎて富山平野の内陸部に入りはじめてます。
朝食を食べ終わり、隣のサロンカーへ。ちょうど山側、立山連峰から日が出ようとしています。日に照らされた雲の移り変わりが本当に美しかった!
7時20分頃、ようやく日が出ました。
面白いのは山の高低、雲の位置で日が出たり、隠れたりすることです。
雲の色がきれいでいいですね。
日が出ると、照らされた雪の大地がまたきれいです。
8時00分頃、新幹線工事中の富山駅に到着です。特急ひだ号が留まっていました。
14へ続く。
タグ :鉄旅