2014年06月29日
バスと廃線と三本杉と~奥尻ムーンライトの旅2~
朝起きると、函館は雨模様。まだ函館は良いほうで、胆振地方は大雨。函館と札幌を結ぶ特急「スーパー北斗、北斗」は終日運休とのこと。違うルートとはいえ、バスは通常運行なので、JRの慎重さというか、あきらめの速さが目立ちます。保線の手抜きで大問題となったこともあるのでしょうが、昔に比べて運休するのが早くなった気がします。2005年の羽越線の脱線事故以降、昔みたいに無理して運行して事故になって責任取らされるよりは早手回しに運休してしまおうということになったのでしょうね。
函館駅をのぞいてみると、札幌行きの寝台特急「北斗星」が長万部行になっていました。
長万部からは小樽周りで札幌行けるんでしょうか?
今日は奥尻島へ。普通ならば、江差港からフェリーに乗るのが一番早いのですが、早く奥尻に行っても時間を持て余しそうなので、瀬棚港からのルートで行くことにしました。JRの普通列車は時間が合わなかったので、駅前から函館バスで長万部へ向かいます。
函館から離れるバスですが、通勤、通学客が結構乗っていましたが、七飯付近で私一人になり、途中森付近から八雲付近、長万部近く以外は私一人という状況でした。
噴火湾を右手に見ながら、函館~札幌の国道5号を一路北上します。高速ができてきたせいか、国道はガラガラでした。
3時間近くかけて長万部へ。長万部駅には長万部どまりになった「北斗星」号が。
函館方に機関車を付け替えていて、私が撮影始めると、ちょうど発車していきました。上り上野行きは函館から運転するそうです。シーツとかの交換が長万部ではできないからでしょうね。
駅前にはご当地キャラ「まんべくん」が。
特急も室蘭方面への普通列車も運休なので、長万部駅はローカル線の駅なみの本数になっています。
長万部から瀬棚へはバスに乗ります。このバスは昭和62年に廃止された国鉄瀬棚線の代行バスとして走り始めたものです。
バスに乗ると、左右に瀬棚線の痕跡が見えたりします。見ながら瀬棚に向かいます。
写真の中央右側は瀬棚線の築堤跡に見えます。(実際はバスからなので、地図等を見ながらの推測です)
右手に美利河(ぴりか)ダムが見えます。
途中から瀬棚線跡が国道バイパスになっているそうで、写真の右前方から来た線路跡(草むらで隠れてますが)からバイパスにつながってるようです。
この辺は北海道では珍しく、田園地帯が広がります。
代行バスなので、線路沿いに一番近い道路を通っているのですが、その後、線路跡や鉄道トンネル(花石トンネル)跡をバイパスが通ったので、線路近くをバスが通らないということになっています。これが時代の流れなんですね。もう27年の歳月です。
ちょうどバイパスと国道の合流地点に通りました。正面バイパス道路のすぐ後ろの築堤が瀬棚線の跡のようです。
左右に瀬棚線の築堤らしきものを見ながら、今金へ。
バス停はちょうど今金駅の跡だそうです。校内には「デ・モーレン・いまかね」という風車型の建物ができていました。オランダと直接関係あるわけではないようで、町の花がチューリップでチューリップと言えばオランダ、オランダと言えば風車という連想から来たようです。今金市街地の線路跡もオランダ通りとして整備されているそうです。車窓からはレプリカながら、今金町にあった駅の駅名標がたっていました。
新緑の畑はきれいですね。
せたな町内に入り、北檜山へ。北檜山のバスターミナルは瀬棚線の北檜山駅の駅舎がそのまま使われているそうです
駅舎の裏は埋め立てられ、舗装されていますが、スペース的には線路があった雰囲気がします。
駅前の雰囲気は本当に駅があるような雰囲気です。
ようやく風車と海が見えてきました。
瀬棚温泉バス停で下車。そこから歩いて旧瀬棚駅跡に行ってみます。
駅跡は温泉浴場「やすらぎ館」になっていました。残っているのは碑と駅名標のレプリカでした。そこから奥尻行きのフェリーターミナルへ歩こうとすると、雨が降ってきました。
雨の中、瀬棚の名所へ。
瀬棚のシンボル、三本杉岩です。独特な岩の感じにみとれますが、雨が強くなり、あわててフェリーターミナルへ向かいます。
3へつづく。
函館駅をのぞいてみると、札幌行きの寝台特急「北斗星」が長万部行になっていました。
長万部からは小樽周りで札幌行けるんでしょうか?
今日は奥尻島へ。普通ならば、江差港からフェリーに乗るのが一番早いのですが、早く奥尻に行っても時間を持て余しそうなので、瀬棚港からのルートで行くことにしました。JRの普通列車は時間が合わなかったので、駅前から函館バスで長万部へ向かいます。
函館から離れるバスですが、通勤、通学客が結構乗っていましたが、七飯付近で私一人になり、途中森付近から八雲付近、長万部近く以外は私一人という状況でした。
噴火湾を右手に見ながら、函館~札幌の国道5号を一路北上します。高速ができてきたせいか、国道はガラガラでした。
3時間近くかけて長万部へ。長万部駅には長万部どまりになった「北斗星」号が。
函館方に機関車を付け替えていて、私が撮影始めると、ちょうど発車していきました。上り上野行きは函館から運転するそうです。シーツとかの交換が長万部ではできないからでしょうね。
駅前にはご当地キャラ「まんべくん」が。
特急も室蘭方面への普通列車も運休なので、長万部駅はローカル線の駅なみの本数になっています。
長万部から瀬棚へはバスに乗ります。このバスは昭和62年に廃止された国鉄瀬棚線の代行バスとして走り始めたものです。
バスに乗ると、左右に瀬棚線の痕跡が見えたりします。見ながら瀬棚に向かいます。
写真の中央右側は瀬棚線の築堤跡に見えます。(実際はバスからなので、地図等を見ながらの推測です)
右手に美利河(ぴりか)ダムが見えます。
途中から瀬棚線跡が国道バイパスになっているそうで、写真の右前方から来た線路跡(草むらで隠れてますが)からバイパスにつながってるようです。
この辺は北海道では珍しく、田園地帯が広がります。
代行バスなので、線路沿いに一番近い道路を通っているのですが、その後、線路跡や鉄道トンネル(花石トンネル)跡をバイパスが通ったので、線路近くをバスが通らないということになっています。これが時代の流れなんですね。もう27年の歳月です。
ちょうどバイパスと国道の合流地点に通りました。正面バイパス道路のすぐ後ろの築堤が瀬棚線の跡のようです。
左右に瀬棚線の築堤らしきものを見ながら、今金へ。
バス停はちょうど今金駅の跡だそうです。校内には「デ・モーレン・いまかね」という風車型の建物ができていました。オランダと直接関係あるわけではないようで、町の花がチューリップでチューリップと言えばオランダ、オランダと言えば風車という連想から来たようです。今金市街地の線路跡もオランダ通りとして整備されているそうです。車窓からはレプリカながら、今金町にあった駅の駅名標がたっていました。
新緑の畑はきれいですね。
せたな町内に入り、北檜山へ。北檜山のバスターミナルは瀬棚線の北檜山駅の駅舎がそのまま使われているそうです
駅舎の裏は埋め立てられ、舗装されていますが、スペース的には線路があった雰囲気がします。
駅前の雰囲気は本当に駅があるような雰囲気です。
ようやく風車と海が見えてきました。
瀬棚温泉バス停で下車。そこから歩いて旧瀬棚駅跡に行ってみます。
駅跡は温泉浴場「やすらぎ館」になっていました。残っているのは碑と駅名標のレプリカでした。そこから奥尻行きのフェリーターミナルへ歩こうとすると、雨が降ってきました。
雨の中、瀬棚の名所へ。
瀬棚のシンボル、三本杉岩です。独特な岩の感じにみとれますが、雨が強くなり、あわててフェリーターミナルへ向かいます。
3へつづく。
タグ :廃線
2014年06月26日
駅をめぐる~奥尻ムーンライトの旅1~
奥尻島で行われた第一回奥尻ムーンライトマラソンに出場してきました。ムーンライトマラソンというのは夕方から夜にかけて走るというマラソンで沖縄の伊平屋島で行われてきたマラソン大会です。それを北海道の奥尻島で行うということで、以前伊平屋島で走ったことのある私は友人に誘われ、第一回ということもあり行くことにしました。
まずは函館へ。最近は安く行くためにJALのダイナミックパッケージを使うのですが、函館空港行きの飛行機は日に3便しかなく、お昼過ぎの飛行機で向かいます。ANAはエアドゥとの共同運航も入れて5便ありますが、以前に比べて便数が少ない気がします。函館便の需要は減っているのでしょうか?
函館帝産バスで函館駅へ。すぐに切符を買ってJRに乗ります。もう夕方近いので、今日はJR江差線の駅めぐりをします。
5月に木古内から江差間が廃止になったので、行先が江差から木古内行きになっていました。まずは清川口駅へ。
清川口駅には売店があり、きっぷを売っていました。往復きっぷを買い求めてくださいと書いてあるので、往復を買い求めたら、片道切符二枚のうちの一枚にハンコを押してくれました。ハンコには「有効期間は片道の2倍です」が書かれていました。規則的にはこれで往復切符として代用できるようで、貴重な切符を手に入れました。
なぜ売店があるかと言えば、この駅の前には北斗市役所があるので利用客が多いのでしょうね。北斗市役所内に簡易郵便局があるので、そこで旅行貯金しました。市役所前にはこんな看板が。
ちょうど、この日北海道新幹線の(仮)新函館駅の正式名称が「新函館北斗」に決まったということで、このようにはなりませんでしたが、みんな函館に行くのに「新函館北斗」という駅名は違和感があるような気がしますが。どうですかね?
市役所にはほかにもご当地キャラが。
ホッキガイが有名なのですね。
バスで上磯駅へ。沖にはセメント工場からの積み出し設備があります。函館山の頂上は雲に隠れて見えないですね。
上磯駅に着いたら、ちょうど乗るつもりだった列車が出てしまったので、またバスで移動して久根別駅へ。
無人駅ですが、駅舎が残っていました。
ディーゼルカーで先ほどの上磯駅へ。少し駅前を散策します。ホームでは特急列車の行き違いを撮影しました。北海道新幹線ができると、この特急列車も廃止になるとのことで貴重な光景になるかもしれません。
また反対方向の函館行に乗って東久根別駅へ。
ここの駅舎は貨物列車の車掌車を流用して改造したものでした。
中の窓も北海道らしく2重窓になっていました。
来た列車で函館駅へ。
以前乗り降りした駅を合わせて、これで函館から上磯駅まで全駅乗り降りしたことになります。この区間は2016年春の北海道新幹線函館開業でJRから第三セクターに変わるそうで、その前に乗り降りしておこうと思ったのでした。
駅前のデパートには新駅名決定の号外が貼ってありました。
夜勤明けで来たので、夕食は買ってきてホテルでいただきました。
函館で1泊。
まずは函館へ。最近は安く行くためにJALのダイナミックパッケージを使うのですが、函館空港行きの飛行機は日に3便しかなく、お昼過ぎの飛行機で向かいます。ANAはエアドゥとの共同運航も入れて5便ありますが、以前に比べて便数が少ない気がします。函館便の需要は減っているのでしょうか?
函館帝産バスで函館駅へ。すぐに切符を買ってJRに乗ります。もう夕方近いので、今日はJR江差線の駅めぐりをします。
5月に木古内から江差間が廃止になったので、行先が江差から木古内行きになっていました。まずは清川口駅へ。
清川口駅には売店があり、きっぷを売っていました。往復きっぷを買い求めてくださいと書いてあるので、往復を買い求めたら、片道切符二枚のうちの一枚にハンコを押してくれました。ハンコには「有効期間は片道の2倍です」が書かれていました。規則的にはこれで往復切符として代用できるようで、貴重な切符を手に入れました。
なぜ売店があるかと言えば、この駅の前には北斗市役所があるので利用客が多いのでしょうね。北斗市役所内に簡易郵便局があるので、そこで旅行貯金しました。市役所前にはこんな看板が。
ちょうど、この日北海道新幹線の(仮)新函館駅の正式名称が「新函館北斗」に決まったということで、このようにはなりませんでしたが、みんな函館に行くのに「新函館北斗」という駅名は違和感があるような気がしますが。どうですかね?
市役所にはほかにもご当地キャラが。
ホッキガイが有名なのですね。
バスで上磯駅へ。沖にはセメント工場からの積み出し設備があります。函館山の頂上は雲に隠れて見えないですね。
上磯駅に着いたら、ちょうど乗るつもりだった列車が出てしまったので、またバスで移動して久根別駅へ。
無人駅ですが、駅舎が残っていました。
ディーゼルカーで先ほどの上磯駅へ。少し駅前を散策します。ホームでは特急列車の行き違いを撮影しました。北海道新幹線ができると、この特急列車も廃止になるとのことで貴重な光景になるかもしれません。
また反対方向の函館行に乗って東久根別駅へ。
ここの駅舎は貨物列車の車掌車を流用して改造したものでした。
中の窓も北海道らしく2重窓になっていました。
来た列車で函館駅へ。
以前乗り降りした駅を合わせて、これで函館から上磯駅まで全駅乗り降りしたことになります。この区間は2016年春の北海道新幹線函館開業でJRから第三セクターに変わるそうで、その前に乗り降りしておこうと思ったのでした。
駅前のデパートには新駅名決定の号外が貼ってありました。
夜勤明けで来たので、夕食は買ってきてホテルでいただきました。
函館で1泊。
タグ :鉄旅
2014年06月22日
チューリップに遊ぶ~春の九州に遊ぶ旅3~
3日目、長崎駅から出発します。目的地はチューリップ祭の行われているハウステンボスです。長崎駅からハウステンボスへはJRで行きます。乗った列車、快速「シーサイドライナー」の車両は昔の国鉄色に塗装されていました。
1時間半ほどでハウステンボス駅に到着です。ハウステンボス駅からはハウステンボスのホテルが見えます。ハウステンボスは1人ではなかなかいかない場所なのでありがたいです。
中に入ると、春のオランダの風景が広がっていました。
まずはカナルクルーザーでタワーシティへ。
カナルクルーザーは運河をめぐる船で、ハウステンボスは広大なので、楽に移動ができますね。
タワーシティに到着。中心部にはドムトールンと呼ばれる巨大な塔がたっていますが、もうお昼なので、登る前に昼食にします。
まずは赤ワイン。
そしてイタリア語で「小さなリボン」という意味の「フェットチーネ」をチーズ入りのクリームソースであえたものをいただきました。
食後はドムトールンへ。
塔の上からはハウステンボスが一望できます。
ハーバータウンへ向かいます。
ハーバータウンから見ると、ヨーロッパ的な景色になっていて、良いなと思います。
帰りはチューリップ畑を通って戻ります。
そろそろ帰ろうということで入り口へ。帰りの長崎空港行きの直行バスに乗ろうとしたら、満員に乗れそうもないので、駅に戻って列車とタクシーで行くことにします。帰りの列車からはこんな景色が。
タクシーで長崎空港へ。
空港ではご当地グルメに大村甘辛黒カレーをいただきました。
空港ではこんなものが。
特製ちゃんぽんなんて、すごいもの作りますなあ。
飛行機で帰京しました。
春の九州に遊ぶ旅、終わり。
1時間半ほどでハウステンボス駅に到着です。ハウステンボス駅からはハウステンボスのホテルが見えます。ハウステンボスは1人ではなかなかいかない場所なのでありがたいです。
中に入ると、春のオランダの風景が広がっていました。
まずはカナルクルーザーでタワーシティへ。
カナルクルーザーは運河をめぐる船で、ハウステンボスは広大なので、楽に移動ができますね。
タワーシティに到着。中心部にはドムトールンと呼ばれる巨大な塔がたっていますが、もうお昼なので、登る前に昼食にします。
まずは赤ワイン。
そしてイタリア語で「小さなリボン」という意味の「フェットチーネ」をチーズ入りのクリームソースであえたものをいただきました。
食後はドムトールンへ。
塔の上からはハウステンボスが一望できます。
ハーバータウンへ向かいます。
ハーバータウンから見ると、ヨーロッパ的な景色になっていて、良いなと思います。
帰りはチューリップ畑を通って戻ります。
そろそろ帰ろうということで入り口へ。帰りの長崎空港行きの直行バスに乗ろうとしたら、満員に乗れそうもないので、駅に戻って列車とタクシーで行くことにします。帰りの列車からはこんな景色が。
タクシーで長崎空港へ。
空港ではご当地グルメに大村甘辛黒カレーをいただきました。
空港ではこんなものが。
特製ちゃんぽんなんて、すごいもの作りますなあ。
飛行機で帰京しました。
春の九州に遊ぶ旅、終わり。
2014年06月19日
軍艦島と教会めぐり~春の九州に遊ぶ旅2~
2日目、早起きして6時発の「特急かもめ1号」で長崎へ。
かもめ号と言えば、白い車体の車両が有名ですが、1号はグレーの旧つばめ号車両でした。
そのまま路面電車で長崎港へ。9時発の軍艦島上陸ツアーの船に乗ります。
軍艦島は2回目なので、だいぶ余裕をもって眺められそうです。1回目に行ったときの旅行記は近いうちに連載するので、今回は大雑把に。
今回は前回よりも空が青く、きれいな写真が撮れました。
前回と違うアングルから。
手前の連続した柱のところは鉱山施設があったところ、右奥が小中学校。左上の建物が鉱山を管理する側の職員が住んでいた職員住宅3号棟です。手前には防波堤があったのでしょうが、今はなくなり、ここに入り口があります。
入り口から入ります。
正面のふさがれたトンネルは石炭を選んだあとのごみ(ボタ)を捨てるベルトコンベヤーが貫通していたそうで、山の向こうの31号棟のアパートを抜けて海に捨てられたそうです。
ちなみにその31号棟のベルトコンベヤーの置かれた場所を移したものがこれ。
一番手前側の大きな建物が31号棟で左から2番目の上から4番目の窓がその位置です。窓枠の下が欠けていて、おそらくそこにベルトコンベヤーの機械もおかれていたんでしょう。
前回来た時よりも道は整備されていた感じですが、見られる場所は変わらずでした。整備計画ではもう少し奥にでも入れるように道を整備することになっているのですが、世界遺産登録を目指しているため、必要以上の整備ができないらしく、これ以上の整備は難しいかもしれません。もう少し住宅街方面に入れるといいのですが。まあ整備したら整備したで、いろいろ難しいことが起きるかもしれませんね。
今回の軍艦島ツアーは青空がきれいでした。帰りに軍艦島と軍艦島で亡くなった人の火葬場があった中之島(右)です。
帰りには左手に伊王島が見えました。去年の春、車で行った伊王島の教会も撮ります。
伊王島は山田洋次監督の映画「家族」で出発地になった島です。この島も炭鉱の島でした。この炭鉱が閉山近くなって、生計を苦しくなった一家が北海道の中標津まで移動していく話で、大阪万博の頃の日本が映し出されている良い作品です。いまではリゾート開発されていて、また違う島になっています。
午後は同行している友人の希望で長崎教会めぐりでした。
大浦天主堂。江戸時代末期、隠れキリシタンが信仰を告白し、信徒発見と呼ばれる出来事として記録されている場所ですね。
グラバー園にも入り、桜と長崎湾を。
浦上天主堂。原爆で倒壊した後、戦後再建されたそうです。
夕食は中華街へ。横浜とかに比べると小さいですが、おいしい中華いただきました。
長崎の名物、ハトシ。食パンにえびのすり身を挟んであげた商品で名物だそうです。
食後の腹ごなしに散歩して眼鏡橋へ。
ライトアップしていてきれいでした。
長崎にて一泊。
かもめ号と言えば、白い車体の車両が有名ですが、1号はグレーの旧つばめ号車両でした。
そのまま路面電車で長崎港へ。9時発の軍艦島上陸ツアーの船に乗ります。
軍艦島は2回目なので、だいぶ余裕をもって眺められそうです。1回目に行ったときの旅行記は近いうちに連載するので、今回は大雑把に。
今回は前回よりも空が青く、きれいな写真が撮れました。
前回と違うアングルから。
手前の連続した柱のところは鉱山施設があったところ、右奥が小中学校。左上の建物が鉱山を管理する側の職員が住んでいた職員住宅3号棟です。手前には防波堤があったのでしょうが、今はなくなり、ここに入り口があります。
入り口から入ります。
正面のふさがれたトンネルは石炭を選んだあとのごみ(ボタ)を捨てるベルトコンベヤーが貫通していたそうで、山の向こうの31号棟のアパートを抜けて海に捨てられたそうです。
ちなみにその31号棟のベルトコンベヤーの置かれた場所を移したものがこれ。
一番手前側の大きな建物が31号棟で左から2番目の上から4番目の窓がその位置です。窓枠の下が欠けていて、おそらくそこにベルトコンベヤーの機械もおかれていたんでしょう。
前回来た時よりも道は整備されていた感じですが、見られる場所は変わらずでした。整備計画ではもう少し奥にでも入れるように道を整備することになっているのですが、世界遺産登録を目指しているため、必要以上の整備ができないらしく、これ以上の整備は難しいかもしれません。もう少し住宅街方面に入れるといいのですが。まあ整備したら整備したで、いろいろ難しいことが起きるかもしれませんね。
今回の軍艦島ツアーは青空がきれいでした。帰りに軍艦島と軍艦島で亡くなった人の火葬場があった中之島(右)です。
帰りには左手に伊王島が見えました。去年の春、車で行った伊王島の教会も撮ります。
伊王島は山田洋次監督の映画「家族」で出発地になった島です。この島も炭鉱の島でした。この炭鉱が閉山近くなって、生計を苦しくなった一家が北海道の中標津まで移動していく話で、大阪万博の頃の日本が映し出されている良い作品です。いまではリゾート開発されていて、また違う島になっています。
午後は同行している友人の希望で長崎教会めぐりでした。
大浦天主堂。江戸時代末期、隠れキリシタンが信仰を告白し、信徒発見と呼ばれる出来事として記録されている場所ですね。
グラバー園にも入り、桜と長崎湾を。
浦上天主堂。原爆で倒壊した後、戦後再建されたそうです。
夕食は中華街へ。横浜とかに比べると小さいですが、おいしい中華いただきました。
長崎の名物、ハトシ。食パンにえびのすり身を挟んであげた商品で名物だそうです。
食後の腹ごなしに散歩して眼鏡橋へ。
ライトアップしていてきれいでした。
長崎にて一泊。
2014年06月15日
唐揚げと桜と機関庫と~春の九州に遊ぶ旅1~
2014年の春、友人たちと北部九州を旅してきました。その旅を簡単に。
まずは羽田空港から飛行機で福岡空港へ。
博多駅から特急ソニックで中津へ向かいます。
中津での目的はこれ。
最近有名になった中津の唐揚げです。中津は近辺にたくさんの養鶏場があったので市内に唐揚げ専門店があるそうで、近年ご当地グルメとして売り出してます。たれに生姜やニンニクなどの薬味が入っていて、きちんとした味が付いていました。
ただでさえ、時間がなかったのに、出口を間違えて、線路の反対側に出てしまったので、乗るはずの豊後森行きのバスに乗り遅れてしまいました。1日1本しかないので、タクシーで追いかけます。これは1人ではしないのですが、何人かいるからできたのでした。思ったよりも早く追いつくことができ、途中で玖珠観光バスに乗り換えることができました。
バスは「青の洞門」で有名な耶馬溪を通り、約1時間。豊後森駅までやってきました。豊後森駅は豪華寝台列車「ななつ星」が通ることに合わせて、改良されていました。
今日のメインイベントはここ。
豊後森機関庫跡です。ここ豊後森は国鉄時代に蒸気機関車の車庫、機関庫が置かれ、また国鉄宮原線が豊後森から熊本県の肥後小国まで走っていました。昭和45年に蒸気機関車が廃止され、ディーゼルカーになったため、機関庫は廃止されましたが、建物は残っていました。近年、地元によって保存運動が行われ、玖珠町がJRから土地建物を買い取り、公開しています。機関庫の中に入るには、玖珠町への申請が必要(利用料は無料)なので、事前に申請して、機関庫へ行く前に、町役場へ行ってヘルメットを借りてきました。
線路はありませんが、かつて蒸気機関車が休んだであろう機関庫と、方向を変える転車台が残っています。
中は蒸気機関車の煙を上に出したであろう集煙装置のあとも残っていました。
ちょうど桜の季節で、桜と菜の花と青空とのコントラストが美しい時期でした。機関庫脇を走るJR久大本線の列車とのコラボで美しい列車が撮影できました。
黄色い車体の鈍行列車と。
赤い車体の特急「ゆふ」と。
緑の車体の大人気特急「ゆふいんの森」と。
廃墟好きや鉄道好きが集まった変わった集まりの旅だったので、機関庫には2、3時間いました。夕刻になり、新しいほうの「ゆふいんの森6号」で博多に向かいます。豊後森の駅ホームから、切り株のような頂上が平らな山、「伐株山」が見えます。
パラグライダーで有名なところだそうで、一度、行ってみたいものです。
「ゆふいんの森6号」はアジア系の外国人で一杯でした。
博多まで乗り、一泊。
博多ではおいしいもつ鍋を食べました。
2へ続く。
まずは羽田空港から飛行機で福岡空港へ。
博多駅から特急ソニックで中津へ向かいます。
中津での目的はこれ。
最近有名になった中津の唐揚げです。中津は近辺にたくさんの養鶏場があったので市内に唐揚げ専門店があるそうで、近年ご当地グルメとして売り出してます。たれに生姜やニンニクなどの薬味が入っていて、きちんとした味が付いていました。
ただでさえ、時間がなかったのに、出口を間違えて、線路の反対側に出てしまったので、乗るはずの豊後森行きのバスに乗り遅れてしまいました。1日1本しかないので、タクシーで追いかけます。これは1人ではしないのですが、何人かいるからできたのでした。思ったよりも早く追いつくことができ、途中で玖珠観光バスに乗り換えることができました。
バスは「青の洞門」で有名な耶馬溪を通り、約1時間。豊後森駅までやってきました。豊後森駅は豪華寝台列車「ななつ星」が通ることに合わせて、改良されていました。
今日のメインイベントはここ。
豊後森機関庫跡です。ここ豊後森は国鉄時代に蒸気機関車の車庫、機関庫が置かれ、また国鉄宮原線が豊後森から熊本県の肥後小国まで走っていました。昭和45年に蒸気機関車が廃止され、ディーゼルカーになったため、機関庫は廃止されましたが、建物は残っていました。近年、地元によって保存運動が行われ、玖珠町がJRから土地建物を買い取り、公開しています。機関庫の中に入るには、玖珠町への申請が必要(利用料は無料)なので、事前に申請して、機関庫へ行く前に、町役場へ行ってヘルメットを借りてきました。
線路はありませんが、かつて蒸気機関車が休んだであろう機関庫と、方向を変える転車台が残っています。
中は蒸気機関車の煙を上に出したであろう集煙装置のあとも残っていました。
ちょうど桜の季節で、桜と菜の花と青空とのコントラストが美しい時期でした。機関庫脇を走るJR久大本線の列車とのコラボで美しい列車が撮影できました。
黄色い車体の鈍行列車と。
赤い車体の特急「ゆふ」と。
緑の車体の大人気特急「ゆふいんの森」と。
廃墟好きや鉄道好きが集まった変わった集まりの旅だったので、機関庫には2、3時間いました。夕刻になり、新しいほうの「ゆふいんの森6号」で博多に向かいます。豊後森の駅ホームから、切り株のような頂上が平らな山、「伐株山」が見えます。
パラグライダーで有名なところだそうで、一度、行ってみたいものです。
「ゆふいんの森6号」はアジア系の外国人で一杯でした。
博多まで乗り、一泊。
博多ではおいしいもつ鍋を食べました。
2へ続く。
2014年06月12日
宮古島から東京へ~アイランドほっぴんぐの旅11~
宮古島は何回も来ているので、もう落穂ひろいにもならないのですが、休養を兼ねて、島をめぐります。
まずはお土産購入を兼ねて、島の駅みやこへ。
最近できた建物でお土産を選びつつ、ご当地バーガーも購入。
そして定番ですが、東洋一のきれいな砂浜と言われる与那覇前浜へ。
季節はずれなので人もまばらでした。
加計呂麻島の伊子茂まもるくんより有名な宮古まもるくん。
与那覇前浜の対岸。来間島の展望台から。
帰りは20時発の東京直行便でしたが、ちょうど、その日、羽田空港が夕方悪天候で、軒並み飛行機が遅れ、そのあおりを受けて各地方空港の出発を遅らせるという出発調整がかかり、30分遅れの出発となりました。
最近、こういう遅れが増えましたね。羽田空港の過密化が原因なんでしょうが、困ったものです。まあ安全第一ですが。
より困ったのが、離陸後も静岡上空で待機を強いられるなど、遅れに遅れ、その結果、到着が1時間14分遅れの23時44分着。荷物を受け取ったのは日付をまたいだ0時過ぎ。もう家には列車では帰れません。とりあえず行けるところまで行くことにし、モノレールで浜松町。山手線の池袋行最終で渋谷まで来ました。そこから東急の深夜バスで途中まで行き、タクシーで帰宅しました。
最終日に遅い便で帰るのは自分でもおすすめできないのですが、特典航空券の関係上、1日1便しかない宮古→東京便を使わざるえなっかたのでやむをえませんが、後味の悪い旅のおわりとなりました。
アイランドほっぴんぐの旅終わり。
まずはお土産購入を兼ねて、島の駅みやこへ。
最近できた建物でお土産を選びつつ、ご当地バーガーも購入。
そして定番ですが、東洋一のきれいな砂浜と言われる与那覇前浜へ。
季節はずれなので人もまばらでした。
加計呂麻島の伊子茂まもるくんより有名な宮古まもるくん。
与那覇前浜の対岸。来間島の展望台から。
帰りは20時発の東京直行便でしたが、ちょうど、その日、羽田空港が夕方悪天候で、軒並み飛行機が遅れ、そのあおりを受けて各地方空港の出発を遅らせるという出発調整がかかり、30分遅れの出発となりました。
最近、こういう遅れが増えましたね。羽田空港の過密化が原因なんでしょうが、困ったものです。まあ安全第一ですが。
より困ったのが、離陸後も静岡上空で待機を強いられるなど、遅れに遅れ、その結果、到着が1時間14分遅れの23時44分着。荷物を受け取ったのは日付をまたいだ0時過ぎ。もう家には列車では帰れません。とりあえず行けるところまで行くことにし、モノレールで浜松町。山手線の池袋行最終で渋谷まで来ました。そこから東急の深夜バスで途中まで行き、タクシーで帰宅しました。
最終日に遅い便で帰るのは自分でもおすすめできないのですが、特典航空券の関係上、1日1便しかない宮古→東京便を使わざるえなっかたのでやむをえませんが、後味の悪い旅のおわりとなりました。
アイランドほっぴんぐの旅終わり。
タグ :島旅
2014年06月08日
竹富島へ~アイランドほっぴんぐの旅10~
翌日、与那国から出発です。宿の車で送ってもらい祖納港へ。
乗るのは石垣行きのフェリー「フェリーよなくに」。かねてから乗ってみたかった船でした。通常は泊まっていた久部良の港から出港するのですが、ちょうど久部良港が工事のため、町役場のある祖納港からの出港となってました。
船内は座敷とベッドがあり、席はどちらでもよいとのことで、寝転がれて占有できるベッドにしました。
9時51分、定刻より9分も早く出港です。
港を出ると、一気に揺れが激しくなりました。そして島影をこえると、大波が船を洗うようになりました。
見えにくいかもしれませんが、甲板上を波が洗っていて、甲板にいた私は濡れてしまいました。
だんだん酔い初めて、ベッドに倒れこむように寝込んでしまいました。この船、以前沖縄を放浪したときに、たびたびゲロ船として言われてました。船が小さいのに加え、冬季は北西風、また南東からの風もあり、欠航することも多く、出港しても揺れが半端ないので、必ず気持ち悪くなるんだなんて聞いていました。船内にも洗面器がありました。
1時間ほどで西表島の島影に入り、だいぶ揺れも収まりました。
甲板に出てみると右手に1年前旅した西表島が見えました。ここまでくれば、もう大丈夫です。
14時過ぎて石垣港へ入りました。定刻14時半より若干早く、いつも使っている離島桟橋の向かい側の岸壁に着きました。ここはフェリー桟橋らしく、向かい側には波照間行きのフェリー「フェリーはてるま」が停泊していました。
ゲロ船に頑張って完乗したご褒美に石垣牛でも食べようかと思ったのですが、もう15時前。各店のランチ終わってました。夜までやっている去年も行った「きたうち牧場」へ行こうかと思ったのですが、調べてみたら定休日でした。残念ながら、A&Wのハンバーガーと相成りました。
店で読んだ地元紙「八重山毎日新聞」では去年の新空港開港後、飲食店の売り上げが120~150パーセント増えたそうです。新空港の効果は大きそうですね。
この後宮古島へ行くのですが、宮古島行きの飛行機は19時発。まだ時間があるので、どうするかと迷っていたのですが、えいやと離島桟橋まで急ぎ、久しぶりに竹富島行きの高速艇に乗りました。
ついたのはここ。
ンブフルの丘へ。ンブフルは牛の鳴き声だそうです。「ん」から始まる地名はなかなかないので、珍しい地名です。丘の上は私有地になっていて、普通の家がありました。そこに入れてもらい、家の屋上に100円払って上がりました。
屋上からは竹富島が一望でした。
石垣島へ戻り、飛行機で宮古島へ向かいました。
宮古島で1泊。
11へ続く。
乗るのは石垣行きのフェリー「フェリーよなくに」。かねてから乗ってみたかった船でした。通常は泊まっていた久部良の港から出港するのですが、ちょうど久部良港が工事のため、町役場のある祖納港からの出港となってました。
船内は座敷とベッドがあり、席はどちらでもよいとのことで、寝転がれて占有できるベッドにしました。
9時51分、定刻より9分も早く出港です。
港を出ると、一気に揺れが激しくなりました。そして島影をこえると、大波が船を洗うようになりました。
見えにくいかもしれませんが、甲板上を波が洗っていて、甲板にいた私は濡れてしまいました。
だんだん酔い初めて、ベッドに倒れこむように寝込んでしまいました。この船、以前沖縄を放浪したときに、たびたびゲロ船として言われてました。船が小さいのに加え、冬季は北西風、また南東からの風もあり、欠航することも多く、出港しても揺れが半端ないので、必ず気持ち悪くなるんだなんて聞いていました。船内にも洗面器がありました。
1時間ほどで西表島の島影に入り、だいぶ揺れも収まりました。
甲板に出てみると右手に1年前旅した西表島が見えました。ここまでくれば、もう大丈夫です。
14時過ぎて石垣港へ入りました。定刻14時半より若干早く、いつも使っている離島桟橋の向かい側の岸壁に着きました。ここはフェリー桟橋らしく、向かい側には波照間行きのフェリー「フェリーはてるま」が停泊していました。
ゲロ船に頑張って完乗したご褒美に石垣牛でも食べようかと思ったのですが、もう15時前。各店のランチ終わってました。夜までやっている去年も行った「きたうち牧場」へ行こうかと思ったのですが、調べてみたら定休日でした。残念ながら、A&Wのハンバーガーと相成りました。
店で読んだ地元紙「八重山毎日新聞」では去年の新空港開港後、飲食店の売り上げが120~150パーセント増えたそうです。新空港の効果は大きそうですね。
この後宮古島へ行くのですが、宮古島行きの飛行機は19時発。まだ時間があるので、どうするかと迷っていたのですが、えいやと離島桟橋まで急ぎ、久しぶりに竹富島行きの高速艇に乗りました。
ついたのはここ。
ンブフルの丘へ。ンブフルは牛の鳴き声だそうです。「ん」から始まる地名はなかなかないので、珍しい地名です。丘の上は私有地になっていて、普通の家がありました。そこに入れてもらい、家の屋上に100円払って上がりました。
屋上からは竹富島が一望でした。
石垣島へ戻り、飛行機で宮古島へ向かいました。
宮古島で1泊。
11へ続く。
タグ :島旅
2014年06月05日
与那国島へ~アイランドほっぴんぐの旅9~
那覇のホテルを早起きして空港へ。那覇空港7:40のRAC721便で与那国島へ向かいます。与那国島直行便に乗るのは初めてです。室内は小さな飛行機でした。
与那国島に来たのは2回目。前回はもう10年以上前の2003年4月でした。小さな空港は変わっていませんでした。
10年以上経つと、与那国島にもホテルができていてビックリでしたが、今回は民宿もすらさんにお世話になりました。個室ですが、ゆんたくルームがあるなど沖縄の宿的な感じはありました。同じ経営でレンタカー、レンタバイクなどもやっていたので、スクーターを借りて、島をめぐります。残念ながら、天候は曇りで、今にも雨が降り出しそうでしたが、今日一日しかないので出かけます。
まずは日本最西端の西崎へ。
西崎からは最西端の集落である久部良集落が良く見えました。そして久部良集落へ。
日本最西端の郵便局与那国郵便局久部良分室に立ち寄りました。11年前に訪問済みですが、記念に消印を押してもらいました。最近は郵便局の分室も少なくなりましたが、最西端の郵便局が分室というのは不思議です。
そのまま、バイクで与那国空港へ。お土産屋があるので、のぞきに行きました。到着ロビーには到着便の時間が。
1島1村の空港に1日4便というのは少ないのか?多いのか?考えてしまいますが、後で聞いた地元の人の話によれば、飛行機の機材が小さくなったために詰める貨物の量が減って困っているそうです。
ここで電話します。今与那国で行っとくべき場所と言えば、島近海の海底遺跡でしょう。1日しか行かないとはいえ、ぜひ見たいと思い、グラスボートを予約しました。泊まっていた民宿では時間が合わなかったので、もう1つのホテルが運営しているグラスボートを予約しました。電話対応が良くなく印象が悪かったのですが、1つしかないのでやむをえません。前日に気象と海の状況を見て出港するかどうか決めて連絡くれるというので待っていたのですが、昨日は来なかったので今日こちらから連絡してみたのでした。案の定、欠航だそうで、連絡来なかったのはミスのようです。まあ離島クオリティと考えれば腹も立たないのですが、がっかりです。オンシーズンまえなので団体予約が入らず、当日欠航したのかもしれませんが。
愚痴ってもしょうがないので、残りの与那国ミッションをこなします。まずは、近年与那国島を有名にしたTVドラマ「Dr.コト―診療所」の診療所のロケセットが残っている比川集落へ行きます。
診療所内はきちんと作られていて、本物の診療所のようでした。
バイクに乗って、今度は南海岸周りで久部良集落へ戻ります。途中には与那国馬がたくさんいました。
久部良に戻ったのは昼食のため。
美味しいと評判のカレー屋「ユキさんち」で「ナスとトマトのチキンカレーセットをいただきました。店内からは最西端の西崎灯台が眺められました。
これで大体、この島でしたかった与那国ミッションは終了。あとは落穂ひろい。バイクで島の東、東崎へ向かいます。その近くの海岸には貨物船が座礁していました。これも原因で今与那国島には貨物をが運べず、島では困っているそうです。
ちょうどこの日は東日本大震災から3年目の日。ここで追悼式典のラジオを聴きながら黙とうをささげました。
東崎の展望台へ来ました。
ここは与那国馬の宝庫。たくさんいました。
そして島で1番高い宇良部岳へ。山頂はNTTの無線中継所でしたが、その入り口からは島の東半分が一望できました。
与那国の名物の1つは度の強い泡盛。60度のお酒は日本にはここしかありません。昔から作られていたので、特別に今でも製造が許可されているそうです。その醸造所に行って泡盛を買ってきました。
「どなん」の国泉泡盛。
そして「与那国」の崎元酒造。
いろいろ買い込んでしまいました。
そして夕日の時間に再び西崎へ。
残念ながら曇りのため、日の入りを見ることはできませんでした。残念!
夜は久部良の居酒屋で地元のものを食べて、吞んで、気持ちよく寝ました。
10へ続く。
与那国島に来たのは2回目。前回はもう10年以上前の2003年4月でした。小さな空港は変わっていませんでした。
10年以上経つと、与那国島にもホテルができていてビックリでしたが、今回は民宿もすらさんにお世話になりました。個室ですが、ゆんたくルームがあるなど沖縄の宿的な感じはありました。同じ経営でレンタカー、レンタバイクなどもやっていたので、スクーターを借りて、島をめぐります。残念ながら、天候は曇りで、今にも雨が降り出しそうでしたが、今日一日しかないので出かけます。
まずは日本最西端の西崎へ。
西崎からは最西端の集落である久部良集落が良く見えました。そして久部良集落へ。
日本最西端の郵便局与那国郵便局久部良分室に立ち寄りました。11年前に訪問済みですが、記念に消印を押してもらいました。最近は郵便局の分室も少なくなりましたが、最西端の郵便局が分室というのは不思議です。
そのまま、バイクで与那国空港へ。お土産屋があるので、のぞきに行きました。到着ロビーには到着便の時間が。
1島1村の空港に1日4便というのは少ないのか?多いのか?考えてしまいますが、後で聞いた地元の人の話によれば、飛行機の機材が小さくなったために詰める貨物の量が減って困っているそうです。
ここで電話します。今与那国で行っとくべき場所と言えば、島近海の海底遺跡でしょう。1日しか行かないとはいえ、ぜひ見たいと思い、グラスボートを予約しました。泊まっていた民宿では時間が合わなかったので、もう1つのホテルが運営しているグラスボートを予約しました。電話対応が良くなく印象が悪かったのですが、1つしかないのでやむをえません。前日に気象と海の状況を見て出港するかどうか決めて連絡くれるというので待っていたのですが、昨日は来なかったので今日こちらから連絡してみたのでした。案の定、欠航だそうで、連絡来なかったのはミスのようです。まあ離島クオリティと考えれば腹も立たないのですが、がっかりです。オンシーズンまえなので団体予約が入らず、当日欠航したのかもしれませんが。
愚痴ってもしょうがないので、残りの与那国ミッションをこなします。まずは、近年与那国島を有名にしたTVドラマ「Dr.コト―診療所」の診療所のロケセットが残っている比川集落へ行きます。
診療所内はきちんと作られていて、本物の診療所のようでした。
バイクに乗って、今度は南海岸周りで久部良集落へ戻ります。途中には与那国馬がたくさんいました。
久部良に戻ったのは昼食のため。
美味しいと評判のカレー屋「ユキさんち」で「ナスとトマトのチキンカレーセットをいただきました。店内からは最西端の西崎灯台が眺められました。
これで大体、この島でしたかった与那国ミッションは終了。あとは落穂ひろい。バイクで島の東、東崎へ向かいます。その近くの海岸には貨物船が座礁していました。これも原因で今与那国島には貨物をが運べず、島では困っているそうです。
ちょうどこの日は東日本大震災から3年目の日。ここで追悼式典のラジオを聴きながら黙とうをささげました。
東崎の展望台へ来ました。
ここは与那国馬の宝庫。たくさんいました。
そして島で1番高い宇良部岳へ。山頂はNTTの無線中継所でしたが、その入り口からは島の東半分が一望できました。
与那国の名物の1つは度の強い泡盛。60度のお酒は日本にはここしかありません。昔から作られていたので、特別に今でも製造が許可されているそうです。その醸造所に行って泡盛を買ってきました。
「どなん」の国泉泡盛。
そして「与那国」の崎元酒造。
いろいろ買い込んでしまいました。
そして夕日の時間に再び西崎へ。
残念ながら曇りのため、日の入りを見ることはできませんでした。残念!
夜は久部良の居酒屋で地元のものを食べて、吞んで、気持ちよく寝ました。
10へ続く。
タグ :島旅
2014年06月01日
ヨロン&ナハへ~アイランドほっぴんぐの旅8~
いよいよヨロンマラソン出場のために与論島へ向かいます。道の島交通で与論空港へ。
この道の島交通バス、2014年4月6日から「しまバス」という名前に変わったそうです。社長の会見で奄美市職員の有志が結成したバンド「島バスに乗って」の歌詞が影響を与えたそうです。より地元密着の名前になったんでしょうね
2013年に奄美群島が日本復帰60周年を迎えたそうで、空港に幟が立っていました。
奄美空港から喜界島が見えました。
奄美空港から与論空港へ向かいます。
残念ながら飛行機は雲の上を飛び続けましたが、無事に与論空港へ到着。
翌日、ここ与論島で1年ぶりのヨロンマラソン。残念ながら、昨年よりも遅くなり、参加することに意義がある結果になってしまいました。
その翌日、マリックスラインのフェリー「クイーンコーラル8」で那覇に向かいました。鹿児島から那覇まで24時間かけて結ぶこの航路には何度も乗っていますが、今回は那覇港到着直前の夕日がとてもきれいでした。
そして那覇で1泊。
9へ続く。
この道の島交通バス、2014年4月6日から「しまバス」という名前に変わったそうです。社長の会見で奄美市職員の有志が結成したバンド「島バスに乗って」の歌詞が影響を与えたそうです。より地元密着の名前になったんでしょうね
2013年に奄美群島が日本復帰60周年を迎えたそうで、空港に幟が立っていました。
奄美空港から喜界島が見えました。
奄美空港から与論空港へ向かいます。
残念ながら飛行機は雲の上を飛び続けましたが、無事に与論空港へ到着。
翌日、ここ与論島で1年ぶりのヨロンマラソン。残念ながら、昨年よりも遅くなり、参加することに意義がある結果になってしまいました。
その翌日、マリックスラインのフェリー「クイーンコーラル8」で那覇に向かいました。鹿児島から那覇まで24時間かけて結ぶこの航路には何度も乗っていますが、今回は那覇港到着直前の夕日がとてもきれいでした。
そして那覇で1泊。
9へ続く。
タグ :島旅