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2015年06月28日

硫黄島観光(前)~十島と三島、奄美完訪船の旅7~


 
 硫黄島の滞在時間は約20時間。明日の朝10時には鹿児島へ出港するので、今日が観光のメインです。歩いて港の目の前にある民宿に泊めてもらいます。レンタカーなんていうものもないので、宿の車を借りて出発です。



 出発しようと宿を出たら、ちょうどフェリーみしまが黒島へ向けて出港するところでした。

 まずは観光案内所があるという「三島開発総合センター」へ。


 ここで観光地図をもらって、島内観光に出発ですが、センターの前にはこんな像が。


 平安末期の僧、「俊寛」の像です。前回、記述した「鹿ヶ谷の陰謀」で流罪にされた三人のうちの一人です。「平家物語」に寄れば、三人のうち、藤原成経と平康頼はこの地で京都を懐かしみ、千本の卒塔婆(昔のお墓に建ててあった板状のもの)に望郷の歌を記して海に流して、赦免を祈ったところ、その1本が広島宮島の厳島神社に流れ着き、それを読んだ平清盛が心打たれて、二人を赦免したそうですが、俊寛は許されなかったため、二人が帰る船を追っているところの像のようです。この話はほんとかいなと思ってしまいますが、実際のところは俊寛が首謀者の一人だったので、許されなかったと考えたほうがいいかもしれません。その話が人形浄瑠璃や歌舞伎になり、その縁で18代目中村勘三郎が硫黄島で屋外歌舞伎をやったそうで、その記念モニュメントもありました。





この後、俊寛にまつわる場所が多く出てきますが、先に硫黄島郵便局へ。


記念の旅行貯金をしに窓口へ行ったら、あら不思議。4月22日に引き換えを開始してすぐに終了してしまった新幹線開業50周年の100円硬貨が全種類残っていたではありませんか。2枚ずつ引き換えました。自宅近辺ではすぐに終了してしまったので、これは思わぬ拾いものでした。まあこの地で新幹線なんて言われても、ピンとこないでしょうしね。

ポストの取集時間を見たら、入港30分前という島独特の収集時間でした。



まずは車で島の北側へ。



まずは涙石へ。


ここは俊寛が毎日自分にも赦免船が来ないかとこの石に登って鹿児島の方向を見ていたそうで、しまいには来ないという絶望感で、この石にすがって泣きもだえたそうです。望郷の念と絶望感は凄かったんでしょうね。

ちなみにここまで来た道の西側には屏風のように山がそびえています。


この屏風のような山はカルデラの壁の一部だそうで、この島の東から東南方向の海底には巨大なカルデラがあり、約7300年前に大噴火を起こして、西日本の縄文文化に大打撃を与えるくらいの火山灰、火砕流を出したそうです。この部分と竹島はカルデラの壁の名残だそうです。



穴の浜遊歩道の案内があり、ここには温泉が湧いているとのことで行ってみることにします。観光案内所のお兄さんは引き潮の時しか温泉はわからず、それ以外は海水に埋まっているとのことでしたが、ものは試しと行ってみました。



途中からは藪漕ぎとなり、道もわからなくなり、難渋しましたが、何とか海岸まで降りることができました。海が濁っているのは温泉などの噴出物があるのでしょうね。海岸を掘ってみると、暖かい水が出ていました。ここが温泉なのでしょうね。


ここから見る硫黄岳の頂上は曇ってしまいました。


また藪漕ぎをして、車に戻り、北上します。



ここは平家城展望台、ここには屋外歌舞伎で俊寛を演じた中村勘三郎の像がありました。

この地に像があるのはふさわしいのかもしれません。


この地からは薩摩半島方面が一望でき、俊寛はこの地で望郷の念にかられていたのかもしれません。涙石よりもふさわしい場所ですね。ちなみに右端は竹島です。



硫黄岳の頂上がうっすら見えてきました。山肌もばっちり見えます。

今度は南下していきます。

8へ続く

  
タグ :島旅



2015年06月25日

鬼界ヶ島へ?~十島と三島、奄美完訪船の旅6~

 
青い空と白い雲の形は美しいですが、初めて見た島の異様さに驚いていると、最初の寄港地である、竹島にまもなく入港するとのアナウンスが聞こえてきました。そうすると、あの島は竹島ではなく目的地である硫黄島のようです。ほとんど予備知識なくやってきましたが、あることを思い出しました。

 今をさかのぼること約800年、平安時代の末期、世にいう「鹿ヶ谷の陰謀」として平家の打倒を謀議したとして、3人の貴族、僧侶が薩摩の国の鬼界ヶ島へ流罪にされたとの記録が「平家物語」に書かれており、その鬼界ヶ島が、この硫黄島ではないかと言われていたことを思い出したのでした。この硫黄島以外にも、奄美の喜界島がそうではないかという説がありますが、「平家物語」の記述に「島の中に高い山があり、常時火が燃えており、硫黄がたくさんあるので、この島を硫黄島ともいう。」という分があるので、この硫黄島がほぼ正しいのではないかと思うのですが、異様な第一印象で、私もこの島が鬼界ヶ島である気がしてきました。



 前方に竹島が近づいてきました。硫黄島と違って、高い山もなくなだらかな島です。名前の通り、竹がたくさん生えているそうです。



 12時30分、フェリーみしまは竹島港に着きました。この港は北側に開いていて、波が荒く着岸後も大きな揺れがありました。竹島だけは条件付き運行になっていたのもわかります。



 着岸後、すぐに郵便物の積み下ろしが始まっていました。三島村の3島にはすべて郵便局があり、硫黄島以外の島には鹿児島中央郵便局の分室になっていて、分室をなくす方向らしい最近では珍しい状況のようです。まあ竹島の人口は78人。地元の人に運営を委託するのも難しいのかもしれません。



 この竹島港からは薩摩半島の開聞岳が上の方だけ見ることができました。



約10分で慌ただしく竹島港を出て、いよいよ硫黄島へ向かいます。




 いよいよ硫黄島が近づいてきました。手前には海面に少しだけ見えている昭和硫黄島があります。うっすら硫黄のにおいがしてきました。



 近づいてくると、ますます異様な感じで驚かされます。山の中腹から蒸気が吹き上がっています。この硫黄岳は噴火警戒レベルは1(活火山であることに留意)ですが、火口付近は立ち入り禁止になっています。





島の東に噴火している硫黄岳がありますが、西側は人の住んでいる場所になっていて、青い海が広がっていますが、港の入り口は何やら茶色に変色しています。



入港するにつれて、だんだん色が変色してきました。






湾内は茶色に濁っていました。海底からの噴出物の影響だそうで、この光景も異様です。昔流罪にされた人々もこの光景に恐れおののいたのではないかと思います。



余談ですが、船からは南側の屋久島がきれいに見えています。この右側に口永良部島がありました。もう少し西にあるのでここからは見えませんでした。



硫黄島訪問後、10日余りで口永良部島で噴火が起こり、全島避難という状況になるとはこのときは思いませんでしたね。



13時20分、ようやく硫黄島に到着しました。

7へ続く。
  
タグ :島旅



2015年06月21日

鹿児島湾を南下する~十島と三島、奄美完訪船の旅5~


天気は晴れましたが、桜島の山頂は雲に隠れていました、

フェリーみしまには医療室がありました。


この船で巡回診療をするらしく、日程も貼ってありました。大都市に近いとはいえ、離島の医療事情を垣間見た気がしました。




フェリーみしまは十島村のフェリーとしまがドックに入るときには代船として運行することもあるそうで、外洋にも耐える、立派な構造になっています。


案内所わきの電話機のない電話BOXには10年以上前の時刻表が。
もう実用性はなく、あるのが不思議なくらいのものです。逆に言えば、誰も使用していないのでしょうね。



出港して1時間半を過ぎるころ、ようやく「フェリーみしま」は鹿児島湾を抜けます。右手には開聞岳が見えました。


ちょうど、RKK LINE、琉球海運のみやらびⅡとすれ違いました。調べてみると、台湾の高雄から那覇経由で鹿児島に向かうところのようです。つい最近までは琉球海運も那覇~宮古島、石垣島へ客船を運行していましたが、今は貨物のみだそうです。以前、乗ったことのある身としては、さびしい限りです。


開聞岳の反対側、大隅半島側には佐多岬が見えてきました。右の岩の上には灯台が見えます。約20年前に一度バスに乗って訪問したことがありますが、あのころは、遠い場所でした。今も遠い場所なのでしょうね。本当は昨日は綾城ではなく、この佐多岬に行こうかと思っていたのですが、行ったら鹿児島へ帰ってくるのは相当大変という鹿児島の友人の助言を聞いてやめたのでした。また行ってみたいものですが。



もうそのころには左正面に大きな屋久島が見えてきました。やはり屋久島は大きいですね。


種子島は見えなかったのですが、地図で見ると、思っていたよりもだいぶ東側にあるのでした。地図では鹿児島湾の南だと思っていたのですが、東南方向なのでした。実際に行ってみないとわからないことが多いですね。

踵を返して、船の右正面側をみると、異様な感じのする島が見えてきました。


どうやら、山頂は噴火しているようです。



これはこれから向かう竹島なのでしょうか?

6へ続く。
  
タグ :島旅



2015年06月18日

フェリーみしまに乗る~十島と三島、奄美完訪船の旅4~



 翌日、空は晴れあがりました。やってきたのはフェリーみしまの待合室。



 フェリーとしまの欠航で、この旅は計画が真っ白になってしまいました。決まっているのは翌々日の夕方奄美空港から羽田空港に帰る飛行機便だけです。出港が延期になったフェリーとしまには乗ることはできませんし、鹿児島近辺の観光地ですぐに回りたいところはないので、どこに行こうか迷いました。沖縄の島々から公共交通機関で行ける島々を完訪しようとする旅を続けているので、トカラ列島が終わった後の行くであろう島々に先に行くの方がいいだろうなということで、行けそうな島々を探しました。

 行けそうな近くの島は毎日フェリーや船が運行している種子島、屋久島か、週3便フェリーみしまが出ている三島村の竹島、硫黄島、黒島でした。ちょうど今日フェリーみしまの鹿児島出港日とのことで、三島村のどれかの島に決め、詳しい事前情報がないので、比較的観光的要素があるらしい硫黄島にすることにしました。

 フェリーみしま待合室の道路を隔てた反対側には欠航になったフェリーとしまの待合室がありました。

奥にはフェリーとしまが停泊しています。残念ながら次回回しになりました。


窓口で切符を購入すると、どこの島へ行くのも同じ値段で、片道3600円、往復7200円でした。


台風の影響で竹島だけ、条件付きの運行でした。


フェリーみしまの前にはお弁当屋とパン屋が出ていました。船内に食堂はないようなので、ここで購入した方がよさそうです。手軽に食べられるパンをいくつか購入して乗り込みました。


9時30分、定時にフェリーみしまは鹿児島港を出港しました。陸上交通や飛行機が発達した今では少なくなりましたが、那覇の泊港と並んで、鹿児島港にはたくさんのフェリーや旅客船が運行されています。



那覇から丸一日かけて帰ってきたマリックスラインの「クイーンコーラル8」でした。貨物などを下ろして、沖出ししているんでしょうね。

こちらは奄美海運の「フェリーきかい」3月に就航したばかりの新船で、就航初日に乗船し、喜界島へ向かったことを思い出しました。



フェリーみしまの出港と入れ替わるように屋久島から高速船「トッピー7」が帰ってきました。



ちょっと遠くには鹿児島~桜島を結ぶ桜島フェリーも見えます。




昨日とは打って変わって晴れ上がった空の中、フェリーみしまは最初の寄港地、竹島へ向かいます。

5へ続く
  
タグ :島旅


2015年06月14日

綾城~十島と三島、奄美完訪船の旅3~




都城付近は平地が続きます。もう少し時間があるので、宮崎県に入ります。やってきたのは綾町の綾城です。



綾城は戦国時代の城で、江戸時代の一国一城令で廃城になった城でした。実際にこういう建物があったかどうかはわかりませんが、きちんと学術考証されているそうです。



城自体は木造で作られています。







望楼からは綾町の平野が一望できます。



本当はこの後、大きなつり橋である、「綾照葉大吊橋」に行きたかったのですが、残念ながら時間切れ。そのあと鹿児島へ行って、友人とお酒を飲みました。



日にちが変わるまで飲んで、〆はラーメンでした。



鹿児島で1泊。
明日はどこへ行くのでしょうか?

4へ続く。
  


2015年06月11日

秘境駅ぶらぶらと都城牛と~十島と三島、奄美完訪船の旅2~


 急な欠航で頭が真っ白になりましたが、立ちすくんでいてもしょうがないので、とりあえず今日の行程をこなします。出港していたとしても夜23時なので、もともと今日は一日レンタカーを借りて、南九州をめぐることにしていました。

 まずはレンタカーに乗って道を下っていきます。鹿児島空港は山の上にあるので、南側へ出るには道を下っていきます。ちょっと寄り道しました。
 

 まずはJR九州の肥薩線、表木山駅へ来ました。この駅は1日の乗降人数が1人か2人くらいとのことで、秘境駅の1つと言われていたりします。


 駅構内に入ると、貨物列車が行き違いできるくらい、長い線路が引かれていました。肥薩線は単線なので、この先、2つの線路は1つになります。こんなローカル線の秘境駅にしては過大な設備です。調べてみると、この肥薩線は明治時代に福岡~鹿児島を結ぶ幹線として作られたそうで、この表木山駅も大正時代初期に最初は信号所として設置されたものが駅になったそうです。かつてはこの線路を長い編成の貨物列車や旅客列車が沢山行き来していたのでしょう。今は誰もいなくなったこの駅にも歴史があるのですね。


 空港からこの駅までは坂を下ってきました。ということは写真の左側の山の上には空港や町並みがあるということになるのですが、そんなことはこの駅や、以前乗った肥薩線の車窓からはわかりません。明治時代の鉄道ですから、そのころは谷間を縫うようにしてしか建設することができなかったのでしょうね。でも沿線含めて人影を見ないのに列車を走らせるというのは大変なことです。


また車を走らせます。霧島市の中心部、隼人や国分市街地を抜け、4年前に行った霧島神宮の前を通り、都城方面へと向かいます。ここは山の中ですが、低い山が続く感じです。ほとんど車は通りません。また寄り道して。



ナビで発見した北永野田駅へ。集落はあるのですが、駅待合室はぽつんと台地の端にありました。



ここは九州の東側を走る幹線、日豊本線の駅です。ここも長い編成の列車が行き違いできる駅でした。「北」がついているのですが、「南永野田」があるわけではないので不思議な駅名だと思って調べてみたら、昔は南側に「永野田」という駅が廃止された国鉄大隅線にあったので「北」がついたのだそうです。


 ちょうど、都城行きの列車がやってきたので撮影してみました。一人降りていましたね。列車が出ていくと、また静寂が戻ってきました。


 今日は雨が降ったりやんだりの天気ですが、北永野田駅を出て、隣の大隅大川原駅へ出たころには土砂降りの雨となりました。大隅大川原駅も通ったので、降りて見ようかと思ったのですが、大雨と、ちょうどお昼で工事業者の人が待合室で弁当をつついていたので、訪問は次回回しにしました。この大隅大川原駅も北永野田駅と同じような駅待合室だったらしいのですが、2010年に地元産の杉を使った駅舎に建て替えられたそうです。



この後、山を越え、宮崎県に抜けて、都城市西岳に来ました。


西岳郵便局で記念の旅行貯金をしました。まず鉄道もない、観光地もないこの地に来ることはほとんどないでしょうから、良い記念です。



さて最初の目的地はここ。常盤邸別邸「霧島津」です。昼食を食べに来ました。以前テレビか何かで見て、一度行きたいと思っていました。



いただいたのは「都城牛ステーキ丼セット」です。都城牛美味しかった!


ここが良いのは料理が美味しいだけでなく、のどかな景色も見えるのが良いところです。


あいにくの雨でしたが、景色と料理を堪能しました。



3へ続く。
  


2015年06月07日

晴天の霹靂~十島と三島、奄美完訪船の旅1~


 2015年5月に鹿児島へ旅してきました。2015年3月に喜界島をめぐり、奄美群島の島々を巡り終えたので、今度はトカラ列島訪問に向けて準備を始めました。

 トカラ列島はおそらく日本でも屈指の行き難い島々といえます。島を結ぶのは週2回のフェリーのみ。鹿児島港からトカラ列島の有人島7島を経て、奄美群島の名瀬港まで結んでいます。1つの島の停泊時間は約10分のため、停泊中には観光などはできず、島で観光等をしようとすると、1つの島で最低2泊3日はかかるという結構な難関な島たちです。

 ところが、1年に1回、5月にレントゲン便というフェリー便があります。それぞれの島で住民の健康診断をするため、各島2時間前後停泊するという臨時便なのです。いくつかの島は再訪するにしても、各島に足を踏み入れることのできるのはこの便くらいなので、お得な便なのです。

 結構知る人には人気のある便ということで、申し込み初日の4月の15日に朝9時から電話をかけて、2等を予約しました。本当は専用の区画がある2等寝台が良かったのですが、人気があるのか、健康診断の医療関係者用なのか、満席でしたね。

 
この時期は天候が安定している時期なのですが、出港前の週には台風6号が鹿児島近海を通り抜けていきました。そして台風7号が小笠原近海で発生していました。そのまま東へすすんだので大丈夫だろうと、鹿児島行きの飛行機に乗りました。


飛行機はJALのボーイング767-300、最近改装して、WI-FIが使えるようになった機種です。



朝ごはんはこれ。食べ比べがおもしろそうだったのですが、残念ながら、量、質ともにいまいちな感じでした。



定刻より少し遅めに出発。

離陸すると、羽田空港が見えました。

JALのキャンペーンでWi-Fi無料チケットをもらっていたので、早速接続。動画は見られないようですが、メールのやり取りにはほとんど遜色なく使えました。ホームページを見るのは少し時間がかかりましたが。



富士山の雪もだいぶ消えてきてますね。

雲の多いフライトでしたが、鹿児島空港近くになると、雨雲の中に入ります。


定刻より少し遅れて鹿児島空港到着。



改めて、今夜乗る「フェリーとしま」のホームページを見たところ、

「本日出港予定の臨時便は天候不良のため、明後日の出港に変更になりました」(大意)

とのこと。頭が真っ白になりました。


2へ続く。
  
タグ :島旅


2015年06月04日

ぎりぎりはやはりいかん~LCCで行く佐賀日帰りの旅6~


 時刻は18時を過ぎ、急いで有明佐賀空港へ戻ります。本当はこの先佐賀線は瀬高駅までの3駅あったのですが、もうそんなことは言ってられません。と言いつつ、書いている時分に途中の2駅跡に行った気になっていて、いつ行ったのだろうかとよく考えたら、事前に調べたときにグーグルのストリートビューで調べた映像が記憶に残っていたのでした。ストリートビュー恐るべし。


 それはさておいて、来た道を戻ります。空港発は19時40分。春秋航空は35分前締め切りなので締切時間は19時05分。

 ナビで調べれば、約35分で空港まで着きそうです。まあ大丈夫だろうと思い、ぎりぎりまで楽しもうという悪い癖が出ました。ちょうど夕日が沈む時間だったので、昇開橋で夕日が沈むのをみていこうなんて思い、最短道ではなく、少し遠回りして昇開橋方面に向かったのでした。あと佐賀空港付近は田んぼのみでガソリンスタンドがなかったことも気になっていて、市街地で入れていこうと思ったのでした。

 そしたら、大誤算!橋の前後が大渋滞!考えてみれば筑後川は大河で県境でもあり、そこに架かる橋はそんなに多くないのでした。また橋も片側1車線。そして夕刻。それでは混まないほうがおかしいくらいです。渋滞にはまって、初めて気が付くバカバカしさなのでした。

 もう夕日などはお構いなく、何とか開いていたGSでガソリンを入れて、田んぼの1本道をすっ飛ばして、最後は空港前に車を止めて、先にチェックインだけするという荒業になりました。でも時間は19時07分。もう駄目かと思いましたが、そこは空いている空港であり、チェックイン業務をANAに委託していたこともあってか、何とかチェックインできました。またレンタカーの人もスムーズに対応してくれて、何とか返せました。

 やはりぎりぎりは駄目ですね。余裕を持った行動が重要だと改めて思ったのでした。



 春秋航空604便は定刻より早く19時34分に出発しました。

機内販売でメニューを見せてもらいます。


今日は車の運転でお酒が飲めなかったので、広島のカープ酎ハイとカープかつ、鳥かわという広島製飲みセットになりました。

これで500円は安い!



ちょうどこのころから電波を発しない機器を離発着時関係なく、電源を切らずに機内で使えるようになったので、ありがたいことです。

21時21分成田空港着。行きと同じようにバスで帰宅しました。計算してみたら費用は〆て9369円でした。佐賀往復でこれは安かったですね。これからもLCC使っていきたいものです。

ただ残念ながら、春秋航空はこの後の2014年冬ダイヤから佐賀便が1日1本になってしまったので、この日帰り旅行はできなくなりました。また復活してほしいものですね。

「LCCで行く佐賀日帰り旅」終わり。
  


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