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2015年12月30日

錦江湾遊覧飛行?~種子、屋久の旅2~

 鹿児島空港で1時間弱待って、日本エアコミューター3763便に乗り継ぎます。JGC会員なので、JALのラウンジでゆっくりして、飛行機までバスで移動です。



北へ向けて離陸して、Uターンして一路南下します。鹿児島空港が上空から見えました。当然なのでしょうが、滑走路が1本です。




飛行機は錦江湾上空から桜島の東側を通ります。この日は本当に秋晴れの天候で桜島上空は雲一つなく、くっきりと桜島が見えました。



山頂付近も噴火もしていないようで、きれいに見えました。




鹿児島市街もきれいに見えます。



桜島と大隅半島がつながった部分です。大正時代に噴火でつながったそうで、地図上で知っていて、地上を通ったこともあるのですが、実際に上空から見ると、実感がわきました。



学生の時に社会科で習った喜入の石油基地です。備蓄のために多くの石油タンクが並んでいました。



薩摩半島です。イッシーの居るという池田湖と開聞岳が見えますね。


飛行機は大隅半島を横切って、種子島へ。


種子島の位置は鹿児島の真南かと思っていたのですが、実際は南東側にあるんですよね。固定概念というのは怖いもので、やはり実際行ってみるとわかるものはたくさんあります。


九州本島の最南端、佐多岬です。灯台が見えます。もう20年ほど行っていませんが、また行ってみたいものです。



大隅半島を離れて10分ほどで陸地が見えたので、種子島かと思ったら、馬毛島でした。馬毛島は種子島の西にある島で今は無人だそうです。一時期は沖縄の普天間基地の移転先として候補に挙がった場所ですが、いろいろあるようで今でも無人島のようですね。



ようやく種子島に入ってきました。思ったよりも広そうな島です。そしてすぐに降下して11時09分、種子島空港に着陸。鹿児島空港から約30分の飛行でした。


幸運なことに晴れてくれたので、本当に楽しい遊覧飛行の気分でした。




種子島空港はこじんまりした空港みたいです。あるいてターミナルへ向かいます。

3へ続く。

  
タグ :島旅


Posted by さがるまーた at 18:00Comments(0)2015.10 種子、屋久の旅

2015年12月25日

離島の旅に出るまで~種子、屋久の旅1~

 2015年の10月、種子島、屋久島を旅しました。本当はこの時期は三島村の黒島へ行こうと思っていましたが、8月の台風15号で大被害を受けたとのことで止めました。何しろ、泊まろうと思っていた片泊集落の片泊港が台風で破壊されてしまって使用できなくなり、最大風速67メートルの大風で集落の家の屋根が飛ぶなどという大被害らしいのでやむをえません。今年の鹿児島離島の旅は毎回変更せざる得ない状況に追い込まれているので、台風のせいとはいえ、やり切れませんが、今回も休暇は取っているので行先の変更を迫られました。

 まだ未訪の島で確実に行ける島といえば、鹿児島の南の島では種子島、屋久島があったので、今回はこの2島を訪問することにし、急遽手配を始めました。鹿児島空港までは、行きはスカイマーク、帰りは成田までジェットスターを予約済みなので、問題は鹿児島空港から各島への手配ですが、鹿児島空港から各島への行き方は飛行機以外だと、鹿児島空港→バスで鹿児島港→高速船で種子島、屋久島へ。値段が8950円~10350円になります。主要時間は約4時間から5時間前後かかるので、3泊4日の行き帰りの2日の行動がかなり制限されるのが難点です。飛行機で見ると、JALのダイナミックパッケージが鹿児島空港発、種子島イン、屋久島アウトの飛行機と種子島1泊で29000円代からありました。高速船利用との差額が5千円弱なので、今回は思い切って飛行機で往復することにしました。

 まずは羽田空港へ。今回、出発が8時05分だったので、新宿駅西口7時発のリムジンバスで向かいました。寝坊して、準備でぐずぐずしていたのが原因なのですが、6時50分くらいに乗り場に行ったら、チケットは満席とのことで、キャンセル待ちになりました。こんなに混んでるのと思い、乗れなければタクシーで空港に行く覚悟をしましたが、意外に空席が多く、6時55分くらいまでに並んでいた乗客は乗れたようです。各ホテルを回ってくるので、その余りの空席状況によって決まるのでしょうね。しかし、キャンセル待ちの対応で4分延発。首都高速中央環状線ができたので、高速乗ってしまえば早いのですが、いかんせん法定速度で走るのでなかなか遅延は縮まらず、焦ります。

 羽田空港に着いたのはチェックイン締切ぎりぎり2分前の7時43分。なんとか走ってチェックインすることができました。まあスカイマークのカウンターもそんなにピリピリしてませんでしたが。空港には余裕をもって早くいかなくてはいけませんね。



だいぶ前置きが長くなりましたが、スカイマークの301便で鹿児島空港へ向かいます。
スカイマークは座席指定に料金がかからないので、窓側を指定しておきました。晴れていたので、機内からは伊豆大島がくっきり見えていました。

まだ行ったことがないので、近いうちに行ってみたいものです。


朝食を食べて、ひとねいりすれば、もう鹿児島です。錦江湾越しの桜島がきれいに見えました。





9時49分に鹿児島空港着。隣にはくまモン塗装のソラシドエア機が止まっていました。

2へ続く。

  
タグ :島旅


Posted by さがるまーた at 18:00Comments(0)2015.10 種子、屋久の旅

2015年12月20日

さよなら京成シティライナーと房総のむら探訪の旅(下)

京成シティライナーにお別れ乗車を終えた後、急いで京成成田駅からJR成田駅をこえて、西口へ回り、千葉交通バスに乗り込みます。




着いたのは「房総のむら」です。以前、隣接した房総風土記の丘へ行ったので、もう一度行ってみようかと思いましたが、そこに体験型博物館の「房総のむら」ができたそうなので入ってみることにしました。


いろいろ体験ができるらしいのですが、特に興味がないので建物だけ見学してきました。でも家族連れとかには好評のようで、みなさん楽しまれていました。また成田空港が近いからか、外国人の人も多かったです。


江戸時代末から明治時代初期くらいの房総、香取付近の街並みが再現されていて、それぞれの店舗で展示や体験ができるそうです。テレビや映画の撮影などでも使われているそうです。

ほかにも、千葉にあった農家の復元もされていました。驚いたのは旧国名で安房、上総、下総という3国が千葉県になっていることでした。その3国の農家が再現されていました。

これは上総の農家。上総は今の房総半島中部、市原市付近ですね。この風景は美しいですね。懐かしき日本の景色だと思います。



歩いていると、道の上に何か紐がかかっていました。




これは「綱つり」と言って、町の境につるして、災い除けにしているのだそうです。これは上総国のものだそうで、あまりなじみのなかった千葉の民俗がちょっと知ることができてうれしいですね。


ここは安房の農家。今の房総半島先端、館山市付近ですね。


ここで目に付いたのは「蟹殻掛け」。安房の国では家の入り口に飾って災厄除けになるそうです。



下総の農家へ行きます。下総は千葉市より北側の地域ですね。





 「房総のむら」から房総風土記の丘資料館へ向かいます。


小学生の時に来たことがあるのですが、それからだいぶ経ちました。


ここは考古学の資料が集まっている博物館で、もともとはこの付近に龍角寺という飛鳥時代にできたお寺があり、この周辺に、それを作ったであろう豪族の一族の古墳群があり、これらの資料を中心に展示してました。この辺りは昔は栄えていたんですね。

そのあと、歩いて日本最大級の方墳である岩屋古墳を見に行きました。




古墳には二つの石室があったそうですが、左側の西石室の中は除くことができましたが、右側の東石室は関東大震災で崩壊したそうです。それ以前に盗掘で中身は盗まれていたそうです。言うのは悪いですが、この場所に日本最大級の方形の古墳があるのは驚きです。近くの龍角寺といい、この地域には力を持った豪族がいたのは不思議です。未開地のような場所を想像してしまってましたが、それは違うのでしょうね。歴史の見方を変えなくてはいけませんね。

そこから歩いて、JRの下総松崎駅へ来ました。



ここから上野まで直通列車が走っているのは不思議な感じがします。




この駅は古き良き駅という感じがあります。ただ残念だったのは、駅のスタンプの有無を聞いたら、盗難にあったそうでないとのこと。そんなもん盗んでどうするのかと思ったりします。


成田線で我孫子までいき、ここで一時下車。目的はここ。



ここは山下清も一時期働いていたそうです。



ここの名物は唐揚げそば。唐揚げ、大き過ぎ!



ごちそうさまで帰りました。

さよなら京成シティライナーと房総のむら探訪の旅 終わり。


  



2015年12月15日

さよなら京成シティライナーと房総のむら探訪の旅(上)

 2015年の12月5日の京成電鉄のダイヤ改正で京成本線を走る特急「シティライナー」が廃止になるとのことで、その前にお別れ乗車をしてきました。



 シティライナーは土休日に上野~成田1往復のみ運行ということなので、日曜日の朝9時前に京成上野駅へとやってきました。成田空港へ行くであろうスーツケースを抱えた人々がスカイライナーの切符を買い求めていましたが、ここではシティライナーのチケットは売ってないとのことで、購入できたのは少し離れたスカイライナーの前売り券発売窓口でした。週2回くらいで朝1本のみなのですから、それでも構わないのですが、今日はお別れ乗車の人々が購入のために並んでいました。



 先頭車両は撮影の人々でごった返していました。この車両AE100形はのっぺらぼうな印象を受けます。これは将来、都営浅草線に乗り入れて、そのまま京急の羽田空港まで直通運転するために地下鉄内を走るための非常用貫通扉を付けたからでしょうね。2代目のスカイライナーとして活躍し、2010年に成田スカイアクセス線ができてからは空港客輸送は160キロ運転できる新しいAE形に譲り、京成本線の有料特急として運行されてきましたが、最初は7往復だったのが、乗客が少ないなどの理由で減り続け、2014年からは土休のみ1往復という形だけの列車になっていました。



 この白地に赤青のラインは野暮ったい感じの京成電鉄車両の中ではスマートな感じがしたのですが、今のスカイライナーが斬新なので、これ車両に懐かしさを感じます。




 車内に入ると、空気清浄機があとから付けられたようで、網棚についてました。

9時01分、列車は出発です。東京下町の街並みを抜けていきます。いつしか街並みを抜け、40分くらいで千葉の田園地帯を走るようになります。



9時59分、1分遅れで京成成田駅に到着しました。



あとの予定があるので、すぐに離脱しましたが、たくさんのファンがシティライナーの車両が出発するのを見送っていました。



あとから知ったのですが、その翌週がダイヤ改正のため、この運行が成田方面のシティライナーの最終運行だったのでした。意外に静かな最終運行でよかったですね。

(下)へ続く。

  
タグ :鉄旅


2015年12月10日

無くなるものへの惜別11「485系あいづライナー」~さよなら列車の旅信越、会津11~

 磐越西線の気動車は会津若松へ向かいます。



 列車は次第に山の中へ入っていきます。


阿賀野川を渡り、雪原を走ります。





 途中、山都駅で反対列車と行き違いのため、4分停車しました。


 雪が舞ってます。



 遅れていた反対列車がやってきました。




 喜多方を過ぎ、会津盆地に入ると、沿線は吹雪になりましたが、会津若松につく頃には晴れ間も見えました。雪国の景色はコロコロ変わりますね。



 3分遅れで会津若松駅到着。こうやって書いてきましたが、この新津~会津若松の磐越西線の列車の印象は薄いのでした。ほとんど乗り詰めだったからかもしれません。もう14時過ぎ、お昼ご飯も食べられずに来たので、わずかの乗り継ぎ時間で駅弁売り場に急ぎ、駅弁を確保しました。



さて、これから乗るのは「あいづライナー」です。特急型の485系の車両を使っていますが、快速列車なので、乗車券のみで乗れます。一応指定券を買っておきました。



 「あいづライナー」は昔は特急「あいづ」として上野~会津若松を走った特急列車の流れをくむ列車で、新幹線接続の郡山~会津若松の列車になった後も特急列車として走ってましたが、ここ十年は快速列車に格下げされて、走っていました。それでも使用車両は特急型の485系をずっと使用されていましたが、いよいよ車両の老朽化で、2015年3月のダイヤ改正で廃止されることになったのでした。まあ快速列車は残るので、不便にはならないでしょうが、昭和の流れを汲んできた列車がなくなるということでは寂しいことではあります。



列車は定刻で走り始めました。空には青空が見えます。




さて、買った駅弁を広げようとテーブルを広げたら、こんなシールが。福島らしいですね。



 食べた弁当は「会津蔵出弁当」でした。おいしゅうございました。


猪苗代湖畔を抜けて、郡山盆地へと降りてくると、もう雪がなくなっていました。





郡山駅に無事到着です。


郡山からは新塗装になった、山形新幹線「つばさ」の車両で帰りました。



惜別の旅は別日の北陸の旅に続きますが、それは後日の話。


さよなら列車の旅信越、会津の旅、おわり。

 


  
タグ :鉄旅


2015年12月05日

無くなるものへの惜別10「E4系等々」~さよなら列車の旅信越、会津10~

 2日目は歩いて、十日町駅の隣のしんざ駅へ向かいます。乗降駅を増やそうとの魂胆です。


 道端には雪が積もっています。滑らないように、おそるおそる「しんざ駅」へ。


 発車ギリギリになってしまったため、慌ててホームへ。もう列車が入っていました。




六日町駅方面の列車に乗った列車はしんざ駅を発車しました。すぐに赤倉トンネルに入ります。このトンネルは10キロ余りあり、昨日降りた美佐島駅もこのトンネル内にあります。美佐島駅を過ぎて、トンネル内で列車が止まりました。


駅でもないのに止まっていて、あれと思ったら、どうやら赤倉信号場のようです。ここで反対列車と行き違うようで、赤だった信号が青に変わりました。


先頭車両側を見ると、列車がやってきました。


特急「はくたか」が走り抜けていきました。


 この光景を見ることはもうないでしょうね。


 トンネルを抜けた列車はすぐに魚沼丘陵駅へ。ここで途中下車します。


 列車が走り去ると、白銀の世界が広がりました。



 駅前も雪の世界でした。ちなみに駅名は片岡鶴太郎氏が書いたそうです。



六日町駅で乗り換えて、JR上越線で浦佐駅へ。

この115系普通列車もそろそろ新車と変わってしまうのでしょうね。


駅前はこんな感じ。新幹線も止まる駅ですが、建物の感じは国鉄時代のにおいがしますね。




殺風景な無機質感が国鉄時代のにおいにつながっているのでしょうかね。


駅名の文字も国鉄時代そのままな感じです。新幹線の駅でもかかわらず、乗降客が少ないので、あまり手を加えていないのでしょうね。待合室もガラガラでした。



浦佐からは上越新幹線に乗ります。列車はE4系でした。



このE4系もすでに東北新幹線からは撤退し、上越新幹線からも2016年に廃止されるそうで、乗る機会もないかもしれません。乗れば10分ほどで長岡駅へ。


南長岡貨物駅が見えると、すぐに長岡駅に到着です。


乗ってきた「Maxとき」は2編成つないでおりました。

長岡駅からは普通列車で新津へ。空に青さが戻ってきました。



新津からは磐越西線の気動車で会津若松へ向かいます。



11へ続く。
  


2015年12月03日

おわびとお知らせ

昨日12月2日に更新した記事は今のシリーズの後に更新する予定の記事でした。

手違いで、更新日付を間違えてしまったようです。

いったん削除して、後日更新いたします。申し訳ありません。

いまのシリーズはあと2,3回で終了予定です。

次回の更新予定は5日の予定です。よろしくお願いします。  


Posted by さがるまーた at 18:00Comments(0)お知らせ
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