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2016年01月31日

江差線乗り歩き(上)~函館鉄道乗り歩きと「カシオペア」の旅3~




 2日目は朝6時前にホテルを出て、木古内駅へ向かいます。


 奥の新幹線側だけでなく、手前の在来線側の木古内駅も改修工事中です。始発6時03分の函館行きに乗るために、送迎の車が次々と来ています。学生が多いですね。この始発に乗れば、函館には7時04分着。もう少し遅いと良いのでしょうが、この次の列車の函館着は8時17分で、学校には間に合わないのでしょうね。

 駅に近づくと、ブルートレインが通過していきました。3月に定期運転が廃止になった寝台特急「北斗星」が臨時運転している日でした。ちょっと早くいけば、撮影できたのに!そういえば、以前江差行きの始発に乗るときにも同じ体験をしていました。なかなか進歩しません。


木古内発の函館行きに乗り、まずは泉沢駅へ。今日の初めの目的は木古内~函館でまだ降りていない駅に降りることです。2016年3月の北海道新幹線開業で、この区間は第三セクターの道南いさりび鉄道に転換されることが決まっていて、その前に全駅降りてしまおうという算段です。


泉沢駅到着。向かい側には行き違いの貨物列車が止まっていました。この線は本州と北海道を結ぶ貨物輸送の大動脈で、これは新幹線が開業しても変わらないので、この線が廃止になることはないでしょう。長い貨物列車に対応するため、この駅に限らず、各駅線路が長くとられています。



駅舎に入ると、切符売り場がありましたが。記念に切符を買おうかと思ったら駅員さんはいません。大学生の子供を送りに来たという地元の人に聞いたら、2番列車から来るかもねということで、先に駅周辺を散歩することにします。

駅前をまっすぐ行くと、国道228号にぶつかり、その先は津軽海峡でした。春の陽光がキラキラしています。



国道228号はガラガラでした。まあこの先は松前町経由江差町までなので、そんなに需要はないのかもしれません。それでも、北海道地元のコンビニ、セイコーマートがありました。



6時から24時までだそうですが、コンビニがあるのはありがたいです。缶コーヒーを買って温まりました。


この区間は貨物列車が頻繁に通ります。


貨物列車は長いため、踏切をまたいだまま、停車します。待っている人がいれば、大変でしょうが、幸か不幸か、誰も待っていませんでした。



本州方面行の貨物列車が通過していきました。



駅に戻ると、駅員さんがいました。実際は社員ではなく委託を受けたおじいさんでした。聞けば、先ほどの地元の人が連絡してくれたそうで、早めに来てくださったそうです。ありがたい限りです。何種類かの切符を購入しました。切符はあらかじめ機械で出している切符に日付を入れる切符で、泉沢から、木古内、清川口、七重浜、五稜郭、函館までの5種類があるそうです。購入しながら、問わず語りを聞きます。もともとは国鉄の職員だそうで、やめてから30年間、委託を受けて駅の整備と切符の販売などをしているそうです。冬は駅舎内にストーブをつけるため、1番列車から来るそうですが、4月からは2番列車くらいから来るそうです。



駅の整備ついでに花を植えているらしく、ホームが花で満開でした。さっきの地元の人も子供を送った後、このホームの花々を見ていたのでした。JR北海道には花の駅長さんという制度があるそうで営業部長名の感謝状もありました。



JR北海道の不祥事の影響はここにも来ているようで、経費節減のためか、花の駅長さん制度で出ていた肥料代が今年からで出なくなったとのこと。また跨線橋の屋根も雨漏りしてきているけれども、管理駅である木古内駅に言っても、なかなか直してくれないなんて言う話も聞きました。こういうのは難しいものです。

来年、第三セクターに変わったら、辞められるそうで、切符を購入できるのも最後かもしれませんね。

50分の滞在時間もあっという間に過ぎて、おじいさんに御礼を言って、ホームに向かいます。


来た2番列車は2両編成でした。さっきの1番列車は3両編成だったので、通学の需要は多いのかもしれません。そして次の駅に向かいます。

4へ続く。
  
タグ :鉄旅



2016年01月28日

トンネルくぐって木古内へ~函館鉄道乗り歩きと「カシオペア」の旅2~



 
 中小国信号場を過ぎると新幹線の高架橋が見えてきました。今乗っているこの区間は新幹線開業後は貨物列車が在来線からトンネル内の新幹線との共用区間へ入る取り付け部分になるので、あるかわからない臨時列車がない限り、私たちは今後乗ることのできない区間になるのでしょうね。




ポイントを渡って新幹線との共用区間に入ってきました。ポイント部分は屋根がついています。


ここからは線路が3本になっています。間もなく津軽今別駅に着きました。


この津軽今別駅は依然降りたことがありますが、一日特急2往復しか止まらない駅で、函館行きはこの列車が最終列車です。新幹線開業後は「奥津軽いまべつ」駅に変わるそうで、この地方の中心になるかもしれません。


15時49分、青函トンネルに入りました。

トンネルは入ってしまえば、ただの暗闇で夜と変わりません。最近はほとんど気にせずに乗ることが多かったですが、トンネルの歴史に思いをはせながら乗り続けます。


15時57分頃、竜飛定点の明かりが見えました。ここはトンネル火災の時の避難場所ですが、以前は竜飛海底駅としてトンネル見学ができました。開業直後の1988年夏と、新幹線工事に伴って廃止になる直前の2013年秋に見学したことがあります。詳細はまた別の機会にでも。

ここからは海底の下を走ります。当たり前に乗っていますが、すごいことですね。あの津軽海峡の下をくぐっているのですから。

16時09分頃、吉岡定点を通過。ここも以前は吉岡海底駅として開設され、1度降りたことがあるのですが、竜飛海底駅の記憶が強くて、詳細が思い出せないんですよね。



16時19分、トンネルを出て北海道へ上陸しました。最近廃止になったばかりの知内駅を通過しました。



北海道側の新幹線との共用区間との分離地点まで来ました。ポイントは屋根の下にあるのでわかりやすいですね。





16時27分に3分遅れで木古内駅に到着しました。





新幹線の木古内駅はだいぶ完成していました。



今日は木古内泊なので、ちょっと観光します。
まずは中央公民館へ。



ここに鉄道ギャラリーがあるとのことで訪ねてみました。



こんな感じでしたが、気になったのは駅の写真でした。


これが木古内駅、今の駅舎の前らしいので、初めて見る駅舎で参考になりました。


そして廃止になった江差線吉堀駅の駅舎。

廃止時は貨車を改造した駅舎だったので、こんな駅舎だったのかと驚きでした。



新幹線の木古内駅を外から見ると、いわゆる新幹線っぽい駅ですね。


近くの薬師山まで歩いて登りました。木古内市街が一望できるんですね。芝桜もきれいでした。



木古内駅へ戻ると、バスが2台待っていました。手前が急行の松前行き、後ろが江差から来たバスで、両方とも鉄道代行バスでした。

そしてみそぎ浜へ。


毎年1月にここで「寒中みそぎ祭り」をやって海に入るそうです。考えるだけでも大変そうです。


ご当地名物?のコロッケをいただいて、木古内泊です。







3へ続く。


  
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2016年01月24日

春の東北を北上す~函館鉄道乗り歩きと「カシオペア」の旅1~

 2015年のゴールデンウィーク、道南へ旅に出ました。目的は翌年の春に北海道新幹線新函館北斗まで開通するのと引き換えに第三セクターに転換するJR江差線の降りたことのない駅を探訪し、また同時になくなる寝台特急「カシオペア」にお別れ乗車を兼ねて初めて乗ることです。


まずは東北新幹線「はやぶさ」で新青森へ向かいます。



 昼食は春に開業したばかりの上野東京ラインの開業記念弁当をいただきました。



 中身は茨城県産のものが多く使われていました。おいしゅうございました。



 車窓から見える関東平野はもう田植えの季節になっています。



 この時期の東北の車窓を見るのは楽しみで、北上するごとに季節が戻っていく感じがするのが楽しいですね。白河の関を越え、福島に入ると、まだサクラが咲いています。



 乗車して2時間、盛岡を出ると、岩手山が見えてきました。まだ雪が積もっていて早春の雰囲気を醸し出していますね。



 14時43分、新青森駅に到着。




 ここから函館行きの特急「白鳥17号」に乗り換え、北上します。この「白鳥」も2016年の新幹線開業で廃止になるとのことで、今回の旅で乗りおさめになるかもしれません。


 この485系の車両も白鳥の廃止とともに引退になりそうです。この車両は昭和53年製なので走り始めてから37年、度重なるリニューアルをしてきたといっても、もうだいぶな年です。これが最後のお勤めなんでしょうね。国鉄特急の代名詞として日本中で使われ、子供たちの人気の的だったこの車両も「白鳥」の廃止で日本中から定期特急の運用がなくなるということで、これも大きな時代の節目の出来事かもしれません。

 
6分で青森に到着。ここで進行方向が変わるため、9分ほど停車します。青森駅のホームには変わらず「連絡船」の文字が。


 1988年の青函トンネル開業で廃止になった青函連絡船への乗り換え案内の跡ですが、これだけきれいに残っているのはうれしいことですが、逆に言えば、27年間、ほとんど人に踏まれていないということかもしれません。青森駅は出口と連絡船乗り場が逆方向なので、連絡船廃止後は、だれも連絡船乗り場方向に行く乗客なんていないのでした。


 青森駅を出発すると、左手の青森運転所に寝台列車が留めてありました。これは急行「はまなす」の車両ですね。もう日本では見ることができなくなる光景の一つですね。


私の購入した切符はみなみ北海道フリー切符で、東京からの往復乗車券と蟹田以北の南北海道のJRの特急自由席が乗り放題なのでした。これに「はやぶさ」の指定席特急券と「白鳥」の乗り継ぎ指定席特急券を蟹田まで購入しました。蟹田からは自由席に移ろうということでしたが、車内改札に来た車掌から、蟹田から混むかもしれないから到着前に移ったほうが良いよとアドバイスされ、さっそく移りました。別に最初から自由席でもよかったのですが、「白鳥」の名前が入った切符がほしかったので、あえて半額で安く済む乗り継ぎ特急券で購入したのでした。


蟹田で登りの「スーパー白鳥28号」と行き違いました。あちらの車両は新幹線開業後、札幌~旭川の特急に移るそうです。


新中小国信号場を越えると、JR東日本からJR北海道へ移ります。会社名が書いてある位置がちょうど会社間境界だそうで、うまく撮影することができました。

2へ続く。
  
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2016年01月21日

旅の終わり~種子、屋久の旅9~


 太鼓岩からの帰り道は行きとは違う道を通ります。まずは白谷小屋へ戻り、そこで昼食のお弁当を食べます。


 このお弁当は前日に宮之浦のお弁当屋に注文していたものです。屋久島にはコンビニがなく、縄文杉などへの登山への食事は弁当屋に注文することが多いですね。

昼食を食べてから、奉行杉、弥生杉コースを通ります。こちらのコースはほとんど人通りがなく、一人で秘境道を行く感じです。この道は時折、道が整備されていないようで、ピンクのリボンを頼りに進んでいくようです。



いくつかの有名な杉を見ていきます。まずは二代くぐり杉。



こちらは奉行杉。



三本足杉



この杉はその名のとおり、三本足ですが、見上げると異様な感じです。



そして、日本の巨樹巨木百選にも選ばれている弥生杉です。



見上げると、だいぶ枝葉がなくなっているようですが、弥生時代から3000年生きてきた雰囲気を感じますね。




入り口に戻ってきたのは15時10分ごろ。宮之浦港行きの次のバスは16時10分ということで1時間もあります。バス停で待とうかと思ったのですが、行きに見ることができなかった景色を見たくなり、途中まで徒歩で先行することにします。
山に白い霧がかかるのは幻想的ですね。



世界遺産になってから、交通量が多くなって道を拡張しているのでしょうね。ところどころに工事中のところが見られます。



着いたのは「雲の展望台」




展望台と名がつくだけあって、展望がよいかと思えば、霧に包まれて、何も見えませんが、一瞬だけ、宮之浦の集落が見えました。


見えたと持ったら、宮之浦港行きのバスがやってきました。



宮之浦の宿に戻って、荷物をピックアップして空港へ向かいます。ところが空港へ行く、バスがどんどん遅れて、空港のチェックインぎりぎりに屋久島空港に到着。



空港内を見る時間もなく、飛行機へ。



機内は100弱あるであろう座席のうち、10数人しかいないという閑散とした状態でした。空港に貼ってあった紙によると、この2週間後の10月25日から来年3月までの冬ダイヤ期間は18時までの営業が17時までに短縮されるそうで、その理由がこの便が削減されるからとのこと。夏とかはにぎわうのでしょうかね?種子島と同じように、屋久島の人もそんなに飛行機は使わないのかもしれません。

行きと違い、帰りは雲の中を飛びましたが、桜島付近で少し雲が切れました。



定刻より早く、18時06分に鹿児島空港に到着しました。ロビーに出ると、JALのカウンターに人が並び、空港はざわついています。見れば、17時30分発のJAL652便羽田行きが使用機到着遅れで遅延とのことで、欠航扱いで他便に振替をしているようです。珍しいなと思っていたら、後で、羽田から来た651便と小型機との間でニアミスがあったそうで、そのために到着が20分ほど遅れたそうです。ニアミスの報告などをしていれば、折り返しの出発時刻はわからないでしょうね。

私のほうは20時15分発の成田行きのジェットスターなので、ターミナル内のレストランで夕食をとることにしました。ちょうど鹿児島離島フェアをやっていて、トカラ産の魚介を使った海鮮丼があったので、それにしました。




屋久島産のトビウオの団子を使った味噌汁もあり、おいしゅうございました。


JAL便のニアミスの影響か?、それとも最近恒例になっている東京空域の混雑の影響か?、ジェットスターの出発も30分も遅れました。



本来ならば、22時05分に着くはずが、22時33分着。空域の混雑の影響か、はたまた23時までしか使えない成田空港のやりくりの影響か、この時間帯にLCC便が集中して、成田空港発の格安バスは長蛇の列で、最終バスにも乗れそうもありません。鉄道の駅もLCCの第三ターミナルからは遠く、最終に間に合いそうにありません。

やむを得ず、23時発の新宿行きのリムジンバスのチケットを購入。通常1000円が3100円で高いなんてぶーたれていましたが、実際この便もすぐに満席になり、タッチの差でした。



この時間着のLCC使うのは本当にむつかしいものですね。何とか終電に間に合い、帰宅できました。

今回の旅は黒島こそ行けませんでしたが、種子島、屋久島と大物の島を制覇したのがうれしいですね。これで鹿児島以南の島々はトカラ列島の6島と三島村の黒島、そして噴火で避難している口永良部島だけになりました。あとは縄文杉も行きたいですね。充実した旅になりました。

 これにて種子、屋久の旅終わり。

  
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Posted by さがるまーた at 12:00Comments(0)2015.10 種子、屋久の旅

2016年01月17日

白谷雲水峡へ~種子、屋久の旅8~



 最終日は白谷雲水峡への登山をします。本当は有名な縄文杉に行こうかと思ったのですが、往復10時間かかるとのことで、登山初心者の私としては次回回しにして、今回は白谷雲水峡に行ってきました。といっても、本格的登山の足慣らしということで事前に登山ショップに行って装備を購入してきました。

 まずはバスで白谷雲水峡の入り口まで行きます。宮之浦のバス停からまつばんだ交通バスで向かいます。この時間はいい時間で屋久島交通バスも走っているのですが、まつばんだ交通バスは1日1往復なのに、屋久島交通バスの前を走っているので、バス停で待っているお客さんをみんなさらっていく感じなのが、屋久島交通バスとしては「うちは4往復走って、みんなの足として頑張っているのに、まつばんだはおいしい所だけ持っていきやがって、割に合わないな」なんて思っている気がします。もっとも屋久島交通が発行している屋久島乗り放題切符では乗れないので、外人さんとかには若干の混乱が生じていますが。



バスは宮之浦川をさかのぼりながら、途中で川と別れ、山中へ入っていきます。結構絶景でしたが、残念ながら、山側のほうに乗ってしまったので、見えるのは崖ばかりでした。




8時45分に白谷雲水峡の入り口に到着。




ここが白谷雲水峡。この川沿いにさかのぼっていきます。もらったパンフレットを見ると、一番遠いのが、太鼓岩です。往復4時間とのことですが、最終日、17時40分の屋久島空港発の飛行機に乗ればよいので、太鼓岩まで行くことにします。

最初は人も多く、ハイキング気分です。
こんな木道を歩いたり、



こういう岩を登ったりしながら、さかのぼっていきます。

途中、土埋木(どまいぼく)がありました。


屋久杉は江戸時代から伐採されてきたそうですが、昔は主に屋根を葺く材料として使われていたため、使いやすい部分のみ伐採され、使われなかった枝木や幹の部分は森の中に放置されたそうです。屋久杉は樹脂を多く含んでいるため、今でも腐ることなく残っていて、現在では工芸品用の材料として使われているそうです。

これは二代杉。伐採した後の切り株の上に種子が落下して、そこから発芽生育した杉とのこと。


屋久杉のうっそうとした森が残っているというのは理由があるんですね。これだけ雨が降り、気温も高ければ、木を伐っても、また生えてくるのは当然でしょう。

途中の「さつき吊り橋」までやってきました。


ここを渡ると、ここからはいよいよ本格的な登山道です。ちなみにここから下にも道は続いていて、江戸時代に切り出した木材を平木(屋根ふき材)に加工したうえで、下まで下ろしたそうです。
6830


道は険しくなり、流れる川には苔が生すようになります。





そして川を渡り





約1時間強で白谷小屋までやってきました。ここは避難小屋も兼ねていて、小屋内はこんな感じです。




どんどん登っていって、苔むす森へ。



観光ツアーやトレッキングツアーは大体ここが終点です。なぜならば、ここは通称「もののけ姫の森」と言われる場所だからだそうで、ここら辺がアニメ映画「もののけ姫」の舞台のモデルになったといわれる場所です。


写真を撮ってみると、絵になる光景ですね。雰囲気あります。


まだまだこの先登ります。ここからはぐっと人が少なくなります。





2時間登って、辻峠へ。





ここから太鼓岩に上がります。本当に急でした。



何とか上り終え、太鼓岩につきました。

残念ながら、霧に阻まれ、絶景は見られません。かろうじて少し山々が見えるくらいでした。



まあ、急ぐ旅ではないので、しばらく太鼓岩で待ちます。すると、


少しずつ、霧が晴れてくるではありませんか!




最終的には霧がほとんど晴れました。まあすぐに霧がかかってきたのですが。苔もすごいですが、この景色のほうが私にとってはもののけ姫の世界だなと本当に思ったのでした。

9へ続く。

  
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Posted by さがるまーた at 12:00Comments(0)2015.10 種子、屋久の旅

2016年01月14日

屋久島一周(後)~種子、屋久の旅7~



 トローキの滝からモッチョム岳を挟んだ尾之間集落の尾之間郵便局へとやってきました。



 ここの郵便局の屋根は郵便局の3事業(郵便、貯金、保険)のマークがついていました。



 今では各会社に分割されてしまいましたが、国営時代の3事業の時代のマークなんでしょうね。

そして島の南側、栗生集落の栗生郵便局で屋久島の郵便局を完訪しました。



昨日の種子島の郵便局でも思ったことですが、屋久島の郵便局を巡って思うのは、風景印の押し方が下手だということですね。屋久島なんて観光の島なのだから、風景印を押印してほしい客が多いはずと思うのですが、印が曲がったりとか、陰影がぶれたりとか、満足にいく風景印が本当に少なかったです。自分で押せば、少しはましになるのですが、基本は消印なので、郵便局員が押さなくてはいけないのですが、うまく押せない局員さんが多いのは困ったものです。であれば、自分で押させてほしいと思いますね。


 車でさらに西へ向かいます。日本の滝100選にも選ばれている「大川の滝」にやってきました。



近づくと、マイナスイオンが出ているのを感じます。気持ちがいいですね。



ここまでは観光客が多かったのですが、ここから西に向かうと誰もいなくなりました。私一人で西へ向かいます。ここから先は西部林道という林道になります。事前の情報によると、大雨で道路が陥没したために通行止めと聞いていたのですが、少し前から日中のみ解除されたとのこと。


遠くに口永良部島が見えます。

この道は鹿とサルの道でした。





林道は本当に車、人がいませんでした。



17時までしか通行できないとのことでぎりぎりに通過し、屋久島の西、屋久島燈台へ。



燈台からも口永良部島が見えます。


屋久島と口永良部島の間の海峡は十島村の「フェリーとしま」や鹿児島~沖縄のマルエーフェリーなどの船が通る交通の要所です。




18時前、屋久島を一周して永田集落に戻ってきました。




朝来た展望台に戻ってきました。


口永良部島がぼやけていますが、かすかに見えました。とりあえず、屋久島を一周することができました。


夕食は屋久島名物を食そうと宮之浦の「海舟」へ。



屋久島はトビウオが名物とのことで、トビウオの定食をいただきました。

おいしゅうございました。明日の準備で、宿に戻って早寝しました。


8へ続く。
  
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Posted by さがるまーた at 12:00Comments(0)2015.10 種子、屋久の旅

2016年01月11日

屋久島一周(前)~種子、屋久の旅6~



 
翌日、屋久島の朝はきれいに晴れ上がりました。今日はレンタカーを借りて、屋久島1周です。



レンタカー会社に行く途中、「のぼりあがり」という同じ意味を並べた面白い名前のバス停と、今はなくなったJAS(日本エアシステム)の看板を掲げているのが面白く、撮影してみました。



レンタカーを借りて、まずは北西へ。屋久島は一周約100キロあるそうですが、西側にはあまり人は住んでおらず、東側に人口が集中していますが、とりあえず、旅行貯金をしながらの島1周なので、まずは北の端の永田集落まで進みます。途中に海が見え、展望台がありました。



奥に見えるのが口永良部島です。ちょうど、この時期は2015年5月の噴火の影響で、島民が屋久島へ避難しているために無人の島になっていますが、そろそろ帰島への準備が始まるなんて話も聞きました。



これが今年の5月に行った三島村の硫黄島。ここの硫黄岳はもくもくと煙を出しているようです。



他にも三島村黒島が見えるはずなのですが、もやがかかっているようで見えないですね。




永田集落に到着。永田郵便局で旅行貯金をします。郵便局前から山の方向を見ると、山深いのが感じられます。



ここから引きかえし、島の東側を南下します。島の東側は集落等が固まっていて人口が多いのですが、観光的にはあまり見るところはなく、郵便局を巡りながら、南下していきます。
途中小瀬田郵便局の風景印に描かれていたのは愛子岳。





この愛子岳も標高1235mあります。意外ですが、九州地方最高峰がこの屋久島の宮之浦岳(1936m)というのはあまり知られていない事実ですね。1000mを越える山がこの島にはゴロゴロあるのは不思議ですね。

途中、山の中に入り、屋久杉自然館へ。



ここでは屋久島、屋久杉のことがわかりやすく展示されていました。



これは樹齢1600年の屋久杉の切り株。



ここからは薄くですが、種子島も見ることができました。



屋外には屋久杉を運んだトロッコと機関車の展示もされていました。





今でも縄文杉へ行く道はトロッコの軌道敷を歩いていきます。廃村になっている小杉谷の集落もかつてはトロッコで海岸沿いの安房とつながっていたそうで、このトロッコは生活物資の運搬や住民の足としても使われていたそうです。自然館にはその展示もされていました。

自然館で参考になったのはこれ。



縄文杉の混み具合を予想したカレンダー。5,6月は比較的すいているようです。次回の縄文杉の挑戦時期の参考にしたいと思います。
この後、この上のヤクスギランドや紀元杉にも行こうかと思ったのですが、そこまで行くと、残りの郵便局に行く時間が無くなり、島一周がむつかしくなるので、今回はあきらめ、次回回しにしました。


1周道路沿いに降りてきて、まず見つけたのはこのバス停。



「焼酎川」とは変わった名前ですが、ものの本によれば、戦後、この川の上流で焼酎の密造が行われていて、取り締まりの情報が流れた時に、その密造焼酎をこの川に流したところ、下流で川の水を飲んだ人が「焼酎の味がする」というので、この地名になったとか。


次は有名な「千尋の滝」へ向かいますが、その途中に「竜神の滝」を発見!川が曲がっているのと木々で見えにくいのが残念です。





そして有名、雄大な「千尋の滝」へ。





屋久島は1か月に35日間、雨が降るといわれるくらい雨が降り、そして緑が豊かなので、あちらこちらに滝があるのですが、このスケールの大きさにはびっくりしました。

そして、下ってきて「トローキの滝」

後方のモッチョム岳のとがった形も美しいですね。


そして、また西へ向かいます。

7、後編へと続く
  
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Posted by さがるまーた at 12:00Comments(0)2015.10 種子、屋久の旅

2016年01月10日

種子島紀行(3)~種子、屋久の旅5~

 種子島二日目、ホテルで朝食。

 おいしゅうございました。

今日は東海岸を北上しますが、その前に国道58号線を西へ向かい、島間を経て、西海岸の岩岡簡易郵便局へ向かいます。



ここは商店の中にありました。旅行貯金をして東海岸へ向かいます。途中、南種子町の郷土館という博物館のような名称が地図上にあったので、寄ってみましたが、もう閉鎖されたようで建物は他の町の施設に転用されていました。消された名称を見ると、郷土館の前は公立の種子島病院だったようです。



さすがは種子島。橋の欄干もロケットでした。



旅行貯金をしながらの観光ですが、まずは広田遺跡へ。



まずは今年(2015年)3月の1日に開館したばかりの広田遺跡ミュージアムへ。



まだ開館したばかりなので、きれいな館内でした。体験学習室もあり、実際に貝のアクセサリーなどの製造体験などもできるそうです。ここ広田遺跡は弥生時代末期から古代の約400年間にわたる集団埋葬墓の遺跡です。つまりはお墓の集まりです。その副葬品は国の重要文化財に指定されているそうで、その展示もありました。






ミュージアムをでて、遺跡へ。



白い標識お墓を発掘した場所を示すそうです。景色を見ると、海に面したこの地に葬られたというのはわかるような気がします。



お墓だけ見つかって、住居等が見つかっていないようなので、今後の発見が待たれます。


北上して「千座の岩屋」へ。



「ちくらのいわや」と読むそうで、種子島最大級の海蝕洞窟で、中には1000人は入れるということから名がついたそうです。



また北上して、島中央部、中種子町の中心部へ。中種子郵便局に風景印があったので、押印をお願いしようとすると、郵便の女性局員が押し方を知らずに適当に押そうとしたので、慌てて止めて、丁寧に押させていただきました。最近の郵便窓口はアルバイトが多いこともあるのですが、ほんとに基本知識がない人が多くなり困ったものです。まあ、この局員さんは明らかに困った人だなと雰囲気で分かったので止められましたが、ほかの局では「記念にしますので」と断っているのに、風景部分を切手と諸かぶりで押して風景を見えなくしたり、印の一部が切れたりなど、風景印を適当に押されることが多発していて、収集する意欲が落ちていくことが増えているのは残念です。

近くの中種子町立歴史民俗資料館へ。

ここは昔ながらの展示の資料館ですが、なかなか展示は充実していました。やはり種子島は歴史のある島なのですね。


また北上します。高台から島を撮影すると、なだらかな島の地形がわかります。



東海岸北上中、こんなものを発見し、立ち寄ります。



明治18年にアメリカの商船、カシミヤ号が難破し、漂着した船員を地元の人が助けたとのことで、アメリカ大統領から5000ドルとメダルが贈られたそうです。



さらに旅行貯金をしながら北上し、種子島の郵便局28局完訪しました。そして最後、西之表市の種子島博物館へ。



鉄砲伝来の島らしく、鉄砲の展示が充実していましたが、残念ながら時間切れで駆け足で見学。そして国道58号の未踏部分を走破しました。ここが種子島の国道58号の起点。



これで時間切れでぎりぎり西之表港へ。レンタカーの返却のために電話したら、駐車場に鍵付きで置いておいてくれればよいとのことで、そのまま置いて屋久島行きの高速船乗り場へ。ほんとに時間がなかったので、助かりました。オリックスレンタカーの方、本当にお世話になりました。

16時40分発の屋久島安房行きの高速船で屋久島へ向かいます。





16時42分、高速船ロケット3号は屋久島に向けて出港しました。





約50分で屋久島安房港へ到着。屋久島は種子島とは対照的に山がちな風景が印象的でした。



安房地区の宿に泊まろうかと考えていましたが、後の行程を考えて、宮之浦地区へバスで向かいます。途中のバス停には「営団」なんていうどこかの地下鉄の名前が出ていてビックリしましたが、語源は違うんでしょうね。



宮之浦で1泊。夜は民宿でお酒を飲み、楽しく同宿の人と語り合いました。

6へ続く。
  
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Posted by さがるまーた at 12:00Comments(0)2015.10 種子、屋久の旅

2016年01月07日

種子島紀行(2)~種子、屋久の旅4~



 島間港からさらに県道75号線を南下します。


 時刻は15時を回り、とりあえず郵便局で旅行貯金のできる16時まで、観光は後回しにして郵便局巡りです。途中の西海簡易郵便局は個人の家の一部を使っていて簡易郵便局らしい建物でした。



 ここは南種子町ですが、途中の簡易郵便局のはり紙の管轄局が、南種子郵便局ではなく、隣の中種子町の中種子郵便局になっていたので、聞いてみたら、南種子町の簡易郵便局の担当管轄局は中種子郵便局に変わったそうです。以前ならば、各自治体に一つその自治体内の簡易郵便局を管轄する郵便局があったものですが、今はまとめられているのですね。集配担当の郵便局も中種子郵便局だそうで、交通が発達した現在であれば、種子島に3つも集配郵便局がある必要はないのでしょう。ただ集配郵便局にあったゆうゆう窓口(時間外窓口)は種子島内にはなくなったため、土休日に種子島の宇宙センターでロケット打ち上げがあった場合、打ち上げ記念の風景印(南種子局の風景印にはロケットが描かれているのです)を打ち上げ当日の日付で押すことができなくなり、郵趣愛好家は困っているなんて言う話もほかの局で聞きました。赤字の郵便事業を考えれば、効率化が進むのはやむを得ないこととはいえ、寂しいものです。

16時に茎永郵便局で今日の分に貯金が終わり、観光に回ります。まずは来る途中に見えたたねがしま赤米館へ。



種子島の水田では古来から赤米から栽培されてきたそうで、その栽培種がほかの地域の赤米がジャポニカ種であるのに対して、ここの種は東南アジアからインドネシアの古い品種ジャバニカ種なのだそうで、古代に海流に乗ってきた人々が持ってきたものなのかもしれませんね。



この辺りは赤米栽培や独特の民族芸能が受け継がれているそうで、その影響は近くの宝満神社のお祭りにも見られるそうです。宝満神社にも行ってみました。



神武天皇の母である玉依姫を祀っているそうです。静かな神社でした。
そして、種子島といえば有名な「種子島宇宙センター」へやってきました。




まずは「宇宙科学技術館」へ。


世界のロケットが展示されていました。

実際の打ち上げの場所に近づくことはできませんが、1日3回ほど見学ツアーがあるそうで、それに申し込むと良いのかも知れませんが、もう閉館時間です。また次回ですね。



帰りに自由に見ることのできる竹崎射場へ。


1991年から98年まで小型ロケットの打ち上げ用に使われたそうです。

ここから、今の打ち上げ場所である大崎射場を遠くに望めます。





そして種子島最南端の門倉岬へ。その途中に七色展望台から宇宙センター方面を見ます。



門倉岬にたどり着きました。



ここには「鉄砲伝来紀功碑」がありました。




説明版によれば、上の写真の岸近くに1543年の8月25日に異国船が漂着し、地元の者が船に近づこうとした時に、威嚇のためか、船の者が鉄砲を撃ったそうで、それが日本で初めての鉄砲を撃った場所だそうです。ここから鉄砲が日本中に広まっていくきっかけになったそうです。

ホテルへ向かう途中に高台の道を通ると、海の先に屋久島の光が見えました。





泊まったホテル「 Hotel SANDAL WOOD」はいい部屋でした。風呂も温泉だそうで気持ちよく過ごせました。



夕食も地元の者を使った料理でおいしゅうございました。

南種子町で1泊。

5へ続く。
  
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Posted by さがるまーた at 12:00Comments(0)2015.10 種子、屋久の旅

2016年01月03日

種子島紀行(1)~種子、屋久の旅3~





 種子島空港は1日3便のみの運航です。屋久島空港の5便(当時)に比べて少ないですね。種子島といえば、日本史で有名な鉄砲伝来の地であり、宇宙ロケットの打ち上げ基地がある場所で有名な場所でもあります。空港にもロケットの模型がありました。



レンタカーを借りて、郵便局に旅行貯金をしながら、島を1周します。まずは近くの中割簡易郵便局へ。


最初の旅行貯金をしながら、局員のおばちゃんと話します。飛行機の便が少ないですねなんて話をしてみると、地元の人はほとんど鹿児島本土へ行くのに飛行機を使わないそうです。考えてみれば当然で、空港に近いこの場所からでも飛行機で鹿児島空港まで行き、そこからバスで数十分かけて鹿児島市街地へ行くのと、西之表港まで行って、そこから高速船で鹿児島市街地の鹿児島港に行くのとは所要時間的に変わらないか、高速船のほうが早いのでした。それに飛行機では用事を済ませての日帰りができないそうで、地元の人はもっぱら高速船だそうです。飛行機を使うのは地元の人が遠くに出かけるときか、本土の観光客か、宇宙センターなどへの用務客などに限られるようですね。そう考えると空港の運営も大変なようで、空港内の土産物屋の営業時間もだいぶ短縮されたなんて言う話も聞きました。

車を種子島の中心、西之表市へと走らせます。途中の古田郵便局では久しぶりに冷水機を見つけました。以前はどこの郵便局にもありましたが、最近ではほとんど見かけなくなりましたね。



西之表市街地に入りました。まずはコンビニで昼食を買って、わかさ公園へ。ちなみに種子島にコンビニはエブリワンがありました。屋久島にはコンビニは無かったので、種子島のほうが都会なのかもしれませんね。



わかさ公園には鉄砲伝来の由来の碑と日本とポルトガルの友好の記念碑がありました。友好の記念碑が昭和2年に立ったとのことで、戦前からこういうものがあったんですね。



車は西海岸を南下します。


空は青く、夏のようですが、もう10月泳いでいる人はいませんね。ここ種子島はいい波が来るそうで、サーフィンのメッカだそうです。


種子島が北限と言われるガジュマルの樹。ここでは明治初年に沖縄から持ってきて防潮林として植樹されたものだそうです。ちなみにこの島の北、大隅半島の佐多岬にもガジュマルの自生樹はあるそうです。


さらに南下します。ちなみにこの道は国道58号です。沖縄本島では南北を縦断する有名な国道58号ですが、鹿児島市街から始まった道は海を渡って、ここ種子島、奄美大島をへて沖縄本島の奥集落につながっています。




途中の「雄龍岩、雌龍岩」によります。伝説によれば、仲の良い夫婦が家ごと、がけ崩れにあって海に投げ出されたが、その後、この地に2つの岩が立っていたので名づけられたそうですが、伝説はともかく日本人はこういう岩を祀りますね。伊勢の二見浦なんかもそうですね。


種子島の中ほど、中種子町を過ぎて、内陸部の坂井集落へ。ここは坂井神社の大ソテツがあり、見学に行ってきました。


このソテツは樹齢600年を越す、日本一のソテツだそうです。神社の横にもソテツが植えられてありました。



国道58号をたどり、南種子町の島間港へ。


ここが国道58号の種子島の終点。この先は奄美大島につながっています。右上の看板の裏はこれ。


この島間港から、屋久島町の町営フェリー「フェリー太陽」が屋久島の宮之浦港経由口永良部島を結んでいるのですが、現在は口永良部島噴火のため、島間~宮之浦のみを結んでいるそうです。口永良部島にはいつ行けるのでしょうかね。

さてここからさらに南下します。

4へ続く。
  
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Posted by さがるまーた at 12:00Comments(0)2015.10 種子、屋久の旅

2016年01月01日

新年のご挨拶とお知らせ

新年あけましておめでとうございます。

2015年もブログを見ていただきましてありがとうございました。2016年になりまして、
少し更新の頻度を変更しますのでよろしくお願いします。

 昨年の後半は、更新の頻度を落としていましたが、今年から、以前のように木曜日と日曜日の
週二回更新に戻していきます。また祝日にも更新をしていきたいと思っておりますのでよろしく
お願いします。また更新時間も今までは18時ころを基本とししていましたが、お昼の12時ころ更新に
変更します。

今年はできるだけ多めの更新をしていきますので、どうぞよろしくお願いします。
  


Posted by さがるまーた at 12:00Comments(0)お知らせ
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