奥尻を観光する~奥尻ムーンライトの旅4~

さがるまーた

2014年07月06日 18:00

 翌日も残念ながら雨模様。ありがたいことに朝食もウニが出ました。



 今夜は奥尻ムーンライトマラソン前夜祭なので、それまで奥尻観光です。まずは北のほうを観光します。まずは歩いて宮津郵便局へ。



 記念に貯金をして、奥尻島全部の郵便局の消印をもらおうと一局目の消印を葉書に押印してもらったら、「最後だから来たんですか?」といわれ、ビックリ!聞けば今日でこの郵便局は廃止になるそうで、次の営業日からは南側の幹線道路沿いに簡易郵便局ができるとのこと。確かにこの局は幹線道路から外れていて、なんでこんなところにあるんだろうと思っていたのですが、やはり廃止になるんですね。調べてみると昭和10年頃開設の郵便局でした。地形的にはちょうど、ここから山を越えて奥尻中心部行かなくてはいけないので、そのころは奥尻の北部の貴重な郵便局だったんでしょうね。今では立派な道路もできて便利になったので必要性が薄れたんでしょう。

 奥尻町有バスに乗って北部方面に向かいます。行ったのはここ。


 賽の河原です。賽の河原は日本各地にありますが、ここは15世紀に霊場になったそうです。ちょうど島の北部で、難破船の残骸がたくさんあったらしく、そこから供養の場所になったのかもしれません。


実際に見てみると、たくさん石が積んであり、まさに賽の河原でした。雨脚が強くなってきたので戻ります。町有バスは私の貸切でした。



奥尻港近くの今日の宿に荷物を置いて、奥尻島南部へ。郵便局めぐりしながら南部の青苗で昼食にウニ丼定食をいただきます。



郵便局でウニ丼のおいしい場所を聞いたら、通常、この時期は天然のウニは取れないので、ウニ丼はないのではと言われましたが、マラソンの時期なので特別に出しているのかもしれません。まあこの定食もウニ丼よりはほかの料理のほうが多いのはご愛嬌です。

 またバスで島の西側に向かいます。北追岬公園へ。


 北追岬公園のある神威脇地区は戦後国後島を追われた住民が入植したそうで、その望郷の思いを彫刻にしたものだそうです。

 すぐ折り返しの町有バスで戻ります。島の西側は奇岩が続きます。


 
 そして青苗地区の奥尻島津波館へ。


 
 平成5年7月12日の夜、奥尻島の西の海底で発生した北海道南西沖地震が起こした津波はわずか3分でこの青苗地区を襲ったそうです。青苗地区だけで死者行方不明者109人、家屋全壊400棟もでたとのこと。ちょうどNHKのスタッフが別の取材のために滞在していて、撮影した夜の暗闇の中で家々が燃えている映像を私もTVで見た記憶がありました。青苗地区の低地の部分は震災後、家を建てない地区になり、そこには公園とこの津波館ができました。

 津波館の中にあった津波の爪痕の写真が。



 ほかに津波の写真などもあるほか、係員さんが説明してくれたので、実際のあった地震の内容がよくわかりました。

津波館は他にも丁字頭勾玉も展示されていました。


勾玉の頭部に3本の刻み文様が入っていて、北日本ではこの島でしか見つかっていないとのこと。



奥尻島は離れ小島なのかと思っていましたが、発掘調査から縄文時代の頃から人が住んでいたそうです。やはり昔は海の道がメインだったのかもしれません。津波館の前には時空翔と呼ばれる慰霊モニュメントがありました。




とりあえず、宿に戻ってマラソンを走る友人と合流し、前夜祭へ。



青苗地区の人工地盤の下で第1回奥尻ムーンライトマラソン前夜祭が行われました。
元祖ムーンライトマラソンの沖縄伊平屋島の村長も来ていて、提携の調印をしていました。



奥尻島のご当地キャラ「うにまる」と江差のご当地キャラ「しげっち」も出てきました。



前夜祭も楽しく参加できました。

奥尻で1泊。
5へ続く。


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