2019年09月20日
鳥もつ丼を食らう~E257系で行く、山梨城巡りの旅5~
要害山城を降りて、昼食を食べる前に甲府駅北口の甲府市藤村記念館に寄ります。
明治時代に学校の校舎として建てられた建物が移築されていて、その中に要害山城の「続日本100名城スタンプ」があり、押すことに成功しました。
北口にはJRの駅に分断された甲府城の山手御門が復元されていました。
中も入ることができて見学できました。
さて昼食です。車を走らせて、奥藤本店国母店にやってきました。
B-1グランプリ全国制覇した鳥もつ丼の元祖店だそうです。
初めて食べた味でしたが、甘辛くて美味しゅうございました。
ご飯食べた後、西北へ向かいます。到着したのは韮崎市民俗資料館。
ここにも「続日本100名城スタンプ」がありました。ここのスタンプは新府城のものでした。新府城は武田信玄の息子、勝頼が武田神社の武田氏館から本拠を移した城でした。城自体は完成して数か月で放棄され、そのまま武田氏は滅亡し、その後、織田、徳川氏の領有を経て、8年ぐらいで廃城になってしまった悲運な城でした。
韮崎市民俗資料館自体は少し昔の資料館でした。そろそろ夕方。最後の城、新府城へ向かいます。
6へ続く
明治時代に学校の校舎として建てられた建物が移築されていて、その中に要害山城の「続日本100名城スタンプ」があり、押すことに成功しました。
北口にはJRの駅に分断された甲府城の山手御門が復元されていました。
中も入ることができて見学できました。
さて昼食です。車を走らせて、奥藤本店国母店にやってきました。
B-1グランプリ全国制覇した鳥もつ丼の元祖店だそうです。
初めて食べた味でしたが、甘辛くて美味しゅうございました。
ご飯食べた後、西北へ向かいます。到着したのは韮崎市民俗資料館。
ここにも「続日本100名城スタンプ」がありました。ここのスタンプは新府城のものでした。新府城は武田信玄の息子、勝頼が武田神社の武田氏館から本拠を移した城でした。城自体は完成して数か月で放棄され、そのまま武田氏は滅亡し、その後、織田、徳川氏の領有を経て、8年ぐらいで廃城になってしまった悲運な城でした。
韮崎市民俗資料館自体は少し昔の資料館でした。そろそろ夕方。最後の城、新府城へ向かいます。
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Posted by さがるまーた at 12:00│Comments(0)
│2019,2 E257系で行く、山梨城巡りの旅
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