下地島から帰る。

さがるまーた

2023年06月23日 12:00

 宮古島も何度も来ていて、2回目の観光をしたいところもなく、のんびり過ごすことにします。宿でバイクを借りて、まずは川満漁港に行って、東屋で海を眺めながらのんびり寝ころびます。


そして宮古島の大名所、前浜ビーチへ来ました。ビーチパラソルやバナナボートなどの海水浴用品のレンタルテントや、海水浴客など、結構な人がいました。まあ夏の江の島を考えれば、大したことはありませんが。


 わざわざ混んでいる前浜ビーチに行ったのは、前浜の端の東急リゾートホテル前の砂浜が削れているという話を聞いたからでした。確かに見に行ったら、ホテル前の部分だけ、砂浜が削れていて、海岸線が後退していました。ホテルにとっては一大事ですが、これは伊良部大橋の完成の影響で海流が変わったからでしょうかね?





 来間大橋を渡って、来間島を1周します。のどかだった来間島も、島の一番奥にリゾートコテージができていて、だいぶ観光化していました。事故も多いらしく、自治会が注意喚起の看板を立てていました。





 宮古島へ戻り、伊良部大橋へ。その途中で「久松五勇士顕彰碑」に寄ります。


1905年の日露戦争を決定的な勝利に導いた日本海海戦。日本海軍はロシアから回航されてきたロシアバルチック艦隊を撃滅するため、その居場所を探していました。ちょうど宮古島行きの船が海上でバルチック艦隊と遭遇し、急いで宮古島へ。当時宮古島には無線がなかったため、無線設備のあった石垣島まで16時間舟をこいで、そして石垣島内を2時間走って八重山の電信局へ行き、「バルチック艦隊見ゆ」打電したとのこと。ただ、その1時間前に哨戒船「信濃丸」からの「敵艦見ユ」という第1報が届いており、彼らの壮挙は意味がなかったことになってしまったとのこと。ただ後年、この話が戦意高揚の一環で取り上げられて有名になり、戦後も宮古島では郷土の英雄としてとらえられているとのことで顕彰碑が建ったそうです。ただ現実は5月22日にバルチック艦隊を目撃、25日に宮古島に着き、26日の6時に五勇士が宮古を出て、石垣について、24時頃、つまり27日の午前0時頃に八重山電信局に着き、打電。信濃丸の打電が午前4時45分とのことで、こっちのほうが早い気がしますが、27日昼に日本海海戦。今でも電文は防衛省にあるそうで電文を受理したのは1日遅れの28日10時とのこと。民間の電信なので、あちこち経由したのでしょうね。今考えれば、なんだ?という顛末ですが、当時は軍艦にも無線が設置されたかどうか位の時期だったとのことで、これはやむを得ないことなんでしょうね。

そして、伊良部大橋へ。


橋手前にこんな看板が。

ここはヤドカリの通り道だそうで、ヤドカリ用の道も作ってあるとのこと。

伊良部大橋が完成してから初めて通ります。伊良部大橋は2015年に開通し、全長3540メートル。日本で一番長い無料で通れる橋とのこと。(日本全部では4番目)気持ちの良い橋でした。

そして、伊良部島牧山展望台に行って、橋を眺めます。宮古島近海は海がきれいですね。



宮古島へ戻って、バイクを返却し、バスで下地島空港へ。宮古島市街地から30分ほどでした。


下地島空港はもともとパイロット養成用の訓練飛行場で以前はタッチ&ゴーを見ることができる空港として有名でしたが、現在はJAL、ANAともに海外へ移転していて、ここでは他の航空会社などの訓練で使われているそうです。1980年から94年までは那覇からの定期便があったそうですが、2019年から定期便が再開され、スカイマークとジェットスターが就航しています。

再就航に伴って、ターミナルビルが建てなおされ、きれいになりました。ほかの空港では見られないつくりになっていて、おしゃれです。




バイクを返すのがギリギリになったので、食事が買えず、搭乗待合室のレストランでテイクアウトのタコライスを購入。まあ空港料金ですね。やはり地元のものは地元で買いたいものです。


搭乗はブリッジではなく、駐機場まで歩いての登場です。数年前に行ったサイパンの空港を思い出しました。


スカイマーク618便は17時13分、下地島空港を出発。伊良部島の北側を回って、一路羽田へ向かいます。タコライスをいただいて、のんびりと旅を振り返りながら帰りました。


≪終わり≫

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