車で福岡県側に回ります。筑後川昇開橋の福岡県側に回ると、筑後若津駅の跡がありました。
筑後若津駅は橋の開通に遅れること、3年後の昭和13年に開通した駅で、昔の写真を検索すると、写真を撮っているあたりがホームだったようです。ホーム1面の無人駅だったようで右下の駐車場あたりに待合室があったそうです。
福岡県側から橋の中心部まで行ってみます。
雲に詳しくないのですが、鰯雲というのでしょうか?雲が見事に広がっています。
橋を上下する機械のある小屋はこちら側にありました。
福岡県側から見た中央部。
だいぶ日が傾いてきました。
駅の東側、以前は階段の上から築堤が手前に続いていて、その上を線路が走っていたようですが、今は切り崩されています。世が世ならば、撮影している、この場所は土の中だったんですね。
線路跡は遊歩道になっており、入り口にはこんなモニュメントが。
筑後若津駅を出た線路跡は右に大きくカーブしています。その上を道路ができています。行きついた先は花宗川。
佐賀線が走っていた頃は、ここに花宗川橋梁があり、ここにも船が通れるように、跳ね橋が設置されていたとのことですが、廃線になって数年後に撤去されたそうです。今の花宗川の水量も少なく、この川を跳ね橋が必要なくらいの船が通れたのかは今となっては疑問ですが、以前はもっと水量が多かったんでしょうね。でもこの部分は今また、道路用の橋の架橋工事をしています。最近は廃線の土地を使ったバイパスなどの新しい道路づくりが多くなっています。歴史が一回りしたのかもしれません。
花宗川の先には筑後大川駅跡がありました。車で迂回して時間がかかりましたが、まっすぐ行けば2,3分の場所です。そこには記念碑がたてられておりました。
大川市は家具の街とのことで駅があったころは木工製品がこの場所からたくさん出荷されたそうです。線路跡沿いの道路にはハローワークが建てられいました。
最近作られた線路跡の道路が私のレンタカーのナビには登録されておらず、凄い遠回りをして、東大川駅の跡へ。
東大川駅跡には駅があったことを示す看板が設置されていました。ほかの人の廃線探訪記によると、この東大川駅跡は2007年までホームなどが残っていたそうですが、現在は私のナビに登録されていなかった道路である有明海沿岸道路の整備のために撤去されたそうです。今は完成している区間の大川東ICとなっています。
おそらく、奥に続くこの道路が佐賀線の跡だと思われます。痕跡も何もあったものではないですね。
大川東ICから有明海沿岸道路に乗り、次の柳川西ICへ行き、そのまました道で筑後柳河駅跡へ行きました。ここは公園になっています。
駅の敷地は運動場になっていました。
筑後柳河駅の駅名は水郷の街で有名な柳川から来たのかと思っていたら、当時の地名である三橋町柳河から取られたもののようです。三橋町は現在は柳川市ですが、当時は隣町だったそうで、何とも紛らわしい駅名です。
公園には駅があった後を示す看板が建てられていました。
駅のホームの屋根などは市営の公園「むつごろうランド」に移設されているそうですが、もう見にいく時間はなく、夕日が沈みそうです。
この写真は駅の西側。この先に草に覆われた線路跡が続いています。そしてこの陸橋はかつては線路を越えるために設置された陸橋でしたが、今では何を越えているのかわからなくなってしまいました。
当然のことながら、まっすぐ行けるのに階段を上る人などいるはずもなく、この歩道橋は老朽化ともあいまって、閉鎖されました。
看板には42年間ありがとうと書いてあるので、おそらく1972年から設置されていたのですね。設置から15年後に鉄道が廃止になり、おそらく後期はほとんど使用されなかったのかもしれません。数奇な運命です。
そろそろタイムリミットです。
6へ続く。