広尾線の跡を訪ねる(下)~道東桜紀行3~

さがるまーた

2014年08月28日 18:00


 広尾駅の跡から帯広へ戻ります。まずは十勝港へ。



 十勝港は広尾にある港で、かつてはフェリーなども寄港していたそうですが、今は貨物港のみになってます。十勝の農産物の物流センターとして建設されたそうですが、最近は高速道路の発達で釧路港に荷物を取られて苦戦しているそうです。

国道336号を北上し、広尾の次の新生駅跡へ。国道に並行する林はおそらく広尾線の防風林だったのでしょう。国道から少し林方向に入ったところに広尾線の築堤が残っていました。



その近くに新生駅跡が残っていました。

写真の右側の建物が新生駅の待合室の建物。左側の奥へ続いている築堤と林が広尾線の線路跡です。昭和52年頃の航空写真を見ると、写真中央部にホームがあったようですが、今はもちろん跡形もありません。廃線前に訪れた人の写真を見ると、道路につながっているただのホームのみの駅だったようです。

待合室の建物に入ってみると、扉の残骸が建物内にあり、風雨などで自然に壊れた感じがします。もちろん広尾線関係のものはなく、いくつかの落書きだけでしたが、まだ作り付けの長椅子は残っていました。




驚くべきことに待合室の建物の横にはトイレと自転車置き場の跡も残っていました。





27年たっても残っていることに驚きましたが、逆に言えば、ほかに使い道がなかったのかもしれません。ちなみに線路と交差していた道路は少しかさ上げされたようで、線路跡よりも高くなっていました。


やはり列車の走らない、線路の無い廃線跡はただの土盛や廃墟でしかないのだと改めて痛感させられました。



気分が落ちつつ、北上し、石坂駅跡へ。線路や駅跡は道路になっているようで跡形はないそうですが、寄ってみました。


石坂駅の手前、線路跡の築堤と道路の境目です。この奥の築堤が広尾方面の線路の跡です。築堤を歩くと、線路にしかれていたであろう砂利が残存していました。



ちなみに築堤から石坂駅方面を見てみると、


道路と住宅で線路や駅があったとは思えません。

ここが石坂駅があったであろう場所です。

駅前の一本道から撮った写真です。古い木造の駅舎があったそうですが、もう偲ぶものは何もありませんね。



これが駅前の一本道の反対側。「ごとう」の文字がある建物前が国道です。北海道の場合、集落にあった駅であれば、駅がなくなっても駅前の一歩道や郵便局の場所などで、なんとなく駅の跡が推定できたりします。これは北海道の発展が鉄道と共にあった歴史があるからでしょうね。



だいぶ夕刻になってきて、駅探訪できる時間もぎりぎりになってきましたが、もう一駅、大樹駅跡へ向かいます。大樹は沿線では大きな町の一つです。現在は線路跡と国道の交わるところに道の駅「コスモール大樹」があり、スーパーなども併設されています。



これでは何がなんだかわかりませんが、国道を隔てた反対側は線路跡を利用したサイクリング道になっていて、往時が偲ばれます。



道の駅の裏側に大樹駅の駅舎が残っているそうで行ってみます。

大樹の新ご当地グルメの幟。


一度食べてみたいものです。

駅がなくなった今でも「駅前通」の看板はいまだに健在。


「大樹駅前簡易郵便局」もまだあるそうです。

これが大樹駅の駅舎です。



昭和51年からあるそうで、今でも健在です。広尾線の廃線後は十勝バスのターミナルとして使われ、ターミナルが道の駅に移った後は民間会社が使っているそうです。そのため、中には入れないそうですが、外を見学します。今でも建物の前には高速バスの宣伝が。


駅舎の中をのぞいてみると、改札口などが残っています。




駅舎の裏に回ると、残念ながら線路はありませんが、いくつか遺構が残っていました。

ポイントの切り替え機。



反対側のホーム。奥が広尾方面です。



廃止直後は、線路が残っていて客車や貨車が保存されていたそうですが、老朽化で撤去されてしまったそうです。広尾駅と同じですね。悲しいけれどやむを得ないのでしょう。

駅舎からは夕焼けが見えました。もうそろそろ駅めぐりも終了です。



30年前の北海道の鉄道網は文字通り網の目のように張り巡らされていて、魅力的なローカル線がたくさんありましたが、私が北海道の鉄道に乗れる頃には半分以上が廃止されて乗ることはほとんどかないませんでした。その廃止された路線たちへの憧憬が私にあるから、こうして廃線をめぐっているのかもしれません。

帯広へもどり、夕食は地元で人気の焼肉屋「平和園」でホルモン焼きをいただきました。



帯広で一泊。

4へ続く。

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