呉線乗り降り(下)~LCCで行く広島の旅3~

さがるまーた

2015年04月19日 18:00


 安芸津から乗った列車はさっき安芸川尻から乗った新広島色の列車でした。三原まで行って折り返してきた列車です。その列車で安登駅へ。



 安登駅も簡単な待合室のある無人駅でした。



 ここには日本一短い県道が。




奥の国道と手前の駅前ロータリー?を結ぶこの区間が広島県道204号線とのことで、珍しい光景です。

汽笛が聞こえたので、ホームに出てみると、これまた折り返してきた「瀬戸内マリンビュー」号が呉方面に向けて通過していきました。




竹原駅まで列車に乗り、また呉方面の列車に乗り換えて吉名駅へ。




この吉名駅もホームが長い駅です。呉線の駅はどの駅もホームが長くなっています。呉線は戦前の軍港である呉駅を通る路線なので、貨物旅客ともに軍事的に重要な路線でした。そのため戦前はもちろん、戦後も東京からの直通列車が走っていたそうです。その名残で各駅のホームが長いんでしょうね。今走っているのは2両か4両くらいの列車が大半ですが。


呉線に限らず、JR西日本の路線に乗ると、駅間で列車が急に徐行運転することがあります。大体、その部分は地盤が弱いなどの理由で大雨で崩れるなどの場所のようです。以前ならば、通常速度で走れるように修復していたようですが、これまた経費節減で、乗降することで強度を最低限にしているようです。そのため、このような速度制限の表示が頻繁に見られますね。


奥側の線路も使用していますが、草に埋もれてて使われていない感じがします。

駅舎の中には運行情報を表示するタブレットが。


リアルタイムで遅れがわかるというのはありがたいですね。

ちょうど、このころは広島北部の集中大雨で土砂崩れが起きて、可部線が不通になっていた頃でした。



三原行きの列車はまた折り返してきた新広島色の列車でした。今日は何度も乗ってます。この列車に乗って安芸幸崎駅へ。


この辺りに来ると、列車は海沿いを走ります。


安芸幸崎駅も構内が広いですね。駅裏には今治造船の造船所があります。昔は幸陽船渠だったようですが、今は吸収合併されたようです。


以前はこの鉄道を使ってきたビジネスマンを送迎していたようで、こんな看板が駅舎にありました。

今、呉線を使うビジネスマンはいるんでしょうかね?


「快速電車停車記念」 駅舎脇にはこんな碑が。


裏を見ると


昭和53年の銘が。調べてみると、昭和53年の10月2日、国鉄のダイヤ改正で、快速列車の停車駅にこの安芸幸崎駅が追加されたそうです。手持ちの昭和55年3月の時刻表を見ると確かに4往復の快速列車が走っています。その記念に碑が建てられたのでした。今から考えれば大したことはない気がしますが、そのころの快速列車は権威があったのかもしれませんね。皮肉な話ですが、呉線を走る寝台特急「安芸」が廃止され、呉線を走る特急、急行列車がなくなったのも、この53年10月のダイヤ改正なのでした。

折り返しの列車で安芸長浜駅へ。ホームの前には電源開発の火力発電所がありました。


駅舎は無人駅ですが、トイレもある今風の駅でした。



時刻は17時過ぎ。発電所の人たちが仕事を終えて、ホームへやってきました。自家用車の通勤ばかりかと思ったのですが、意外に電車利用もあってビックリでした。

来た列車も通勤を意識しているようで4両編成でした。


車窓にはしまなみ海道の多々羅大橋を遠くに見ながら、三原へと向かいます。



17時35分三原着。最近三原はよく来ているので、すぐに岡山行きの列車に乗り換えます。

岡山行きは昔、関西圏の新快速で使われていた懐かしい117系の車両でした。

4へ続く。

 

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