種子島紀行(3)~種子、屋久の旅5~

さがるまーた

2016年01月10日 12:00

 種子島二日目、ホテルで朝食。

 おいしゅうございました。

今日は東海岸を北上しますが、その前に国道58号線を西へ向かい、島間を経て、西海岸の岩岡簡易郵便局へ向かいます。



ここは商店の中にありました。旅行貯金をして東海岸へ向かいます。途中、南種子町の郷土館という博物館のような名称が地図上にあったので、寄ってみましたが、もう閉鎖されたようで建物は他の町の施設に転用されていました。消された名称を見ると、郷土館の前は公立の種子島病院だったようです。



さすがは種子島。橋の欄干もロケットでした。



旅行貯金をしながらの観光ですが、まずは広田遺跡へ。



まずは今年(2015年)3月の1日に開館したばかりの広田遺跡ミュージアムへ。



まだ開館したばかりなので、きれいな館内でした。体験学習室もあり、実際に貝のアクセサリーなどの製造体験などもできるそうです。ここ広田遺跡は弥生時代末期から古代の約400年間にわたる集団埋葬墓の遺跡です。つまりはお墓の集まりです。その副葬品は国の重要文化財に指定されているそうで、その展示もありました。






ミュージアムをでて、遺跡へ。



白い標識お墓を発掘した場所を示すそうです。景色を見ると、海に面したこの地に葬られたというのはわかるような気がします。



お墓だけ見つかって、住居等が見つかっていないようなので、今後の発見が待たれます。


北上して「千座の岩屋」へ。



「ちくらのいわや」と読むそうで、種子島最大級の海蝕洞窟で、中には1000人は入れるということから名がついたそうです。



また北上して、島中央部、中種子町の中心部へ。中種子郵便局に風景印があったので、押印をお願いしようとすると、郵便の女性局員が押し方を知らずに適当に押そうとしたので、慌てて止めて、丁寧に押させていただきました。最近の郵便窓口はアルバイトが多いこともあるのですが、ほんとに基本知識がない人が多くなり困ったものです。まあ、この局員さんは明らかに困った人だなと雰囲気で分かったので止められましたが、ほかの局では「記念にしますので」と断っているのに、風景部分を切手と諸かぶりで押して風景を見えなくしたり、印の一部が切れたりなど、風景印を適当に押されることが多発していて、収集する意欲が落ちていくことが増えているのは残念です。

近くの中種子町立歴史民俗資料館へ。

ここは昔ながらの展示の資料館ですが、なかなか展示は充実していました。やはり種子島は歴史のある島なのですね。


また北上します。高台から島を撮影すると、なだらかな島の地形がわかります。



東海岸北上中、こんなものを発見し、立ち寄ります。



明治18年にアメリカの商船、カシミヤ号が難破し、漂着した船員を地元の人が助けたとのことで、アメリカ大統領から5000ドルとメダルが贈られたそうです。



さらに旅行貯金をしながら北上し、種子島の郵便局28局完訪しました。そして最後、西之表市の種子島博物館へ。



鉄砲伝来の島らしく、鉄砲の展示が充実していましたが、残念ながら時間切れで駆け足で見学。そして国道58号の未踏部分を走破しました。ここが種子島の国道58号の起点。



これで時間切れでぎりぎり西之表港へ。レンタカーの返却のために電話したら、駐車場に鍵付きで置いておいてくれればよいとのことで、そのまま置いて屋久島行きの高速船乗り場へ。ほんとに時間がなかったので、助かりました。オリックスレンタカーの方、本当にお世話になりました。

16時40分発の屋久島安房行きの高速船で屋久島へ向かいます。





16時42分、高速船ロケット3号は屋久島に向けて出港しました。





約50分で屋久島安房港へ到着。屋久島は種子島とは対照的に山がちな風景が印象的でした。



安房地区の宿に泊まろうかと考えていましたが、後の行程を考えて、宮之浦地区へバスで向かいます。途中のバス停には「営団」なんていうどこかの地下鉄の名前が出ていてビックリしましたが、語源は違うんでしょうね。



宮之浦で1泊。夜は民宿でお酒を飲み、楽しく同宿の人と語り合いました。

6へ続く。

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