2015年10月25日
無くなるものへの惜別3「妙高号」~さよなら列車の旅in信越、会津3~
長野駅からは「妙高」号に乗って北上します。
「妙高」号は普通列車ですが、特急列車の車両189系を使用しています。この189系は長野新幹線が開業する前に信越本線を走っていた特急「あさま」号などに使われていた車両で、そのころ66,7‰と勾配が一番きつかった碓氷峠を越えるための設備を備えていた車両でした。その末裔がこの「妙高」号に使われているのでした。
車両を見てみると、だいぶ痛みが激しくなっていました。北陸新幹線が開業したら、この車両も廃車になるのでしょうね。後日調べてみたら、この車両は3か月後の4月2日付で廃車になっていました。本当にお疲れ様でした。
向かいのホームで撮影してから、乗車ホームへ向かいます。
国鉄時代から続くこの形は私にとっては特急列車の代名詞ですね。普通列車になっても高級感を感じます。
まあ車内はだいぶくたびれていますが、私はこの車内の雰囲気が大好きです。製造年を見ると、昭和51年!39年も使われてきたんですね。いい歳です。
発車を待つ「妙高」号です。この光景も見納めですね。
12時45分、定刻に長野駅を発車しました。発車すると、すぐ右手に長野総合車両センターが見えます。ここは廃車になって解体を待つ車両が留置されていることが多く、この日も、南武線から廃車になった205系や、かつて東海道本線を走っていた2階建てのグリーン車、いわゆるスカ色と言われると横須賀線で使われていた色を残した115系などが解体を待っていました。
「妙高」号は豊野で飯山線を分かれて山地へ入ると、雪深くなります。牟礼駅ではこんな感じです。
沿線は雪世界です。その中を「妙高」号は進んでいきます。
私のイメージで「妙高」号といえば、上野~長野間の夜行列車だったイメージが強いのですが、それは上越新幹線が開業した昭和57年から平成5年までだそうで、もともとは上野から直江津まで運行していた準急列車から始まり、最盛期は6往復まで増えた上野~長野、直江津の急行列車の名前だったそうです。名前の由来はこの先の妙高山から取っているのですから、まあ直江津まで行くのは当たり前ですね。そう考えると、今の運転区間(長野~直江津)はこの列車にピッタリな区間です。この「妙高」号も北陸新幹線開業と同時に、この区間がしなの鉄道とえちごトキめき鉄道に移管されることにより、その歴史にピリオドを打つことになりました。
妙高高原駅へ到着。ここはもう新潟県です。新幹線開業後は、ここで運営会社が分かれます。ここで外国人が数人降りていきました。スキーをしに来たのでしょうか?
妙高高原駅を超えると、列車は直江津へ向けて下っていきます。相変わらず景色は真っ白。そして雪が強く降り始めました。
そして二本木駅到着。ここは最近では数少なくなったスイッチバックの駅。後程降りますが、とりあえず停車時間があったので、写真をパチリ。結構鉄道ファンがいました。
14時05分、南高田駅に到着。ここで下車します。降りたのは私一人。列車は直江津まで行きますが、ここから信越本線乗り降りの旅をするので、列車を見送ります。
「妙高」号は雪の中へ消えていきました。
4へ続く。
「妙高」号は普通列車ですが、特急列車の車両189系を使用しています。この189系は長野新幹線が開業する前に信越本線を走っていた特急「あさま」号などに使われていた車両で、そのころ66,7‰と勾配が一番きつかった碓氷峠を越えるための設備を備えていた車両でした。その末裔がこの「妙高」号に使われているのでした。
車両を見てみると、だいぶ痛みが激しくなっていました。北陸新幹線が開業したら、この車両も廃車になるのでしょうね。後日調べてみたら、この車両は3か月後の4月2日付で廃車になっていました。本当にお疲れ様でした。
向かいのホームで撮影してから、乗車ホームへ向かいます。
国鉄時代から続くこの形は私にとっては特急列車の代名詞ですね。普通列車になっても高級感を感じます。
まあ車内はだいぶくたびれていますが、私はこの車内の雰囲気が大好きです。製造年を見ると、昭和51年!39年も使われてきたんですね。いい歳です。
発車を待つ「妙高」号です。この光景も見納めですね。
12時45分、定刻に長野駅を発車しました。発車すると、すぐ右手に長野総合車両センターが見えます。ここは廃車になって解体を待つ車両が留置されていることが多く、この日も、南武線から廃車になった205系や、かつて東海道本線を走っていた2階建てのグリーン車、いわゆるスカ色と言われると横須賀線で使われていた色を残した115系などが解体を待っていました。
「妙高」号は豊野で飯山線を分かれて山地へ入ると、雪深くなります。牟礼駅ではこんな感じです。
沿線は雪世界です。その中を「妙高」号は進んでいきます。
私のイメージで「妙高」号といえば、上野~長野間の夜行列車だったイメージが強いのですが、それは上越新幹線が開業した昭和57年から平成5年までだそうで、もともとは上野から直江津まで運行していた準急列車から始まり、最盛期は6往復まで増えた上野~長野、直江津の急行列車の名前だったそうです。名前の由来はこの先の妙高山から取っているのですから、まあ直江津まで行くのは当たり前ですね。そう考えると、今の運転区間(長野~直江津)はこの列車にピッタリな区間です。この「妙高」号も北陸新幹線開業と同時に、この区間がしなの鉄道とえちごトキめき鉄道に移管されることにより、その歴史にピリオドを打つことになりました。
妙高高原駅へ到着。ここはもう新潟県です。新幹線開業後は、ここで運営会社が分かれます。ここで外国人が数人降りていきました。スキーをしに来たのでしょうか?
妙高高原駅を超えると、列車は直江津へ向けて下っていきます。相変わらず景色は真っ白。そして雪が強く降り始めました。
そして二本木駅到着。ここは最近では数少なくなったスイッチバックの駅。後程降りますが、とりあえず停車時間があったので、写真をパチリ。結構鉄道ファンがいました。
14時05分、南高田駅に到着。ここで下車します。降りたのは私一人。列車は直江津まで行きますが、ここから信越本線乗り降りの旅をするので、列車を見送ります。
「妙高」号は雪の中へ消えていきました。
4へ続く。
Posted by さがるまーた at 18:00│Comments(0)
│2015,1 さよなら列車の旅in信越、会津
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