2011年09月16日
鹿児島を旅する(上)~2011夏、鹿児島から東へ①~
1か月ほど、更新せずすみません。この夏はいくつか旅に出てきました。また、更新していきたいと思います。
7月中旬、スカイマークで羽田空港から鹿児島へ向かいました。上旬に夏風邪をひいて、治りきらず、体調的にはつらい日々でしたが、旅は一回つぶすと、同じ旅はできないので、決行することにしました。その日は鹿児島で1泊。
2日目の朝、鹿児島中央駅へやってきました。今回買った切符は東京から、行きは飛行機、帰りはJRの周遊きっぷの鹿児島ゾーン券でした。この切符だと、鹿児島県内のほとんどのJRに乗り放題なので、十数年ぶりに吉都線というローカル線に乗り、知らない町に降りてみたいと思います。今日は鉄道ファン的行動になりそうです。
最初に乗り込んだ特急「きりしま4号」は3月までは北九州を走っていた特急「有明」の車両でした。まだ車体にもARIAKEの文字が残っています。九州新幹線の開業で、こちらに転勤してきたんですね。

鹿児島を出て、車窓からは錦江湾越しに桜島が見えます。

最初に降りたのは、国分駅。ここで見たかったのはここ。

これは1987年に廃止された国鉄大隅線の跡。国鉄大隅線はここから大隅半島を越えて、志布志まで走っていました。この写真の右側、草が生い茂っている場所が0番線のホームの跡です。廃止後、24年もたっていますが、かろうじてホームの端に白線が埋め込まれているのが見えます。現在走っている鉄道にはほとんど乗ったので、最近は乗ることのできなかった鉄道に興味が湧いたりします。
列車を乗り換えて、北の方へ向かいます。夏の九州を旅して思うのは、緑が濃いなと言う事です。

かつての鉄道の町、吉松を超え、吉都線に入りました。合わせて県境を越えて、宮崎県へ入ります。車窓には今年の1月、噴火した霧島連山の新燃岳が見えてきました。

時刻表とにらめっこして、小林市の小林駅に降り立ちました。

色褪せた駅名標でした。町の中心駅であるだろうに、降りたのはおばあちゃん1名という寂しさ。それでも駅員が1名いるのが町の中心という事なんでしょう。

駅前に降り立つと、誰もおらず、ローカル線の現状を表しています。熱い日射しだけが照りつけています。平日の日中とはいえ、これだけ人が乗らないとねぇ。ここの人たちにとって鉄道は本当にいるのかななんて思います。確かにいろいろな論議はあるだろうけれど、これだけ使われていないと、鉄道好きでも費用対効果、必要性みたいなことを考えますね。
そのあと、もう一駅、別の駅に降りて、西都城駅へやってきました。ここでレンタカーを借ります。まず見たかったのはここ。

旧都城市市民会館。最近では江戸東京博物館を作った菊竹清訓という建築家が設計した建物で、建物の斬新なデザインを雑誌で見て、はるばるこの地までやって来たのでした。1966年建築のため、老朽化で閉鎖され、今は大学の施設として貸し出されているとのことですが、行ってみると空き家でした。


ここからは車で鹿児島へ戻ります。せっかくの車なので、寄り道しながら電車では行けないところへ行ってみます。
まずは地図と格闘して、いろいろ迷いながら到着。

これも旧国鉄志布志線今町駅の跡です。志布志線も大隅線と同じ時期に廃止になりました。もし廃止されずに残っていたら、乗りに来ていたと思うし、この駅に降りたかもしれないことを思うと、残念ですね。さっきの吉都線の時とは矛盾するけど、無くなると残念だし、駅や線路は外の世界とつながっているんだなと思います。この駅は比較的きちんと整備されていて、みんなに大切にされているようでうれしい限りです。

さてここからは観光の旅。
有名な霧島神宮へ。

残念ながら、豪華な社殿は改装工事中でした。残念。
この霧島神宮はもともと山の上の方にあったらしいのですが、度々の噴火で焼けてしまい、この地へ移ったそうです。昔の宮跡へ行こうと、車を走らせます。でも降りてくる車は沢山あるのですが、登る車は私の車のみ。おかしいなと目的地の高千穂河原に着いてみると。

ただ今17時15分。そりゃだれもいなくなるわけだ。
ここも新燃岳の噴火の影響で、立ち入り制限があるのでした。それなら降りてくる車の1台くらい、言ってくれればいいのに。

ここは、すっきりした感じのいい場所のようなので、また来ることにします。
ちなみに向かい側には、

どうやらここまで噴石が飛んでくるようです。さっさと帰ることにします。
夜は鹿児島市内でヨロンマラソン以来の友人と夕食。ついでに泊めてもらいました。
さすがは鹿児島。焼酎うまし。いろいろ呑ませて貰いました。
「砂ずり」知ってます?

ちょっとボケてますが、これは砂肝のこと。こちらでは砂ずりって言うそうで。
桜島の見える友人宅で深夜まで飲ませていただきました。
7月中旬、スカイマークで羽田空港から鹿児島へ向かいました。上旬に夏風邪をひいて、治りきらず、体調的にはつらい日々でしたが、旅は一回つぶすと、同じ旅はできないので、決行することにしました。その日は鹿児島で1泊。
2日目の朝、鹿児島中央駅へやってきました。今回買った切符は東京から、行きは飛行機、帰りはJRの周遊きっぷの鹿児島ゾーン券でした。この切符だと、鹿児島県内のほとんどのJRに乗り放題なので、十数年ぶりに吉都線というローカル線に乗り、知らない町に降りてみたいと思います。今日は鉄道ファン的行動になりそうです。
最初に乗り込んだ特急「きりしま4号」は3月までは北九州を走っていた特急「有明」の車両でした。まだ車体にもARIAKEの文字が残っています。九州新幹線の開業で、こちらに転勤してきたんですね。

鹿児島を出て、車窓からは錦江湾越しに桜島が見えます。

最初に降りたのは、国分駅。ここで見たかったのはここ。

これは1987年に廃止された国鉄大隅線の跡。国鉄大隅線はここから大隅半島を越えて、志布志まで走っていました。この写真の右側、草が生い茂っている場所が0番線のホームの跡です。廃止後、24年もたっていますが、かろうじてホームの端に白線が埋め込まれているのが見えます。現在走っている鉄道にはほとんど乗ったので、最近は乗ることのできなかった鉄道に興味が湧いたりします。
列車を乗り換えて、北の方へ向かいます。夏の九州を旅して思うのは、緑が濃いなと言う事です。

かつての鉄道の町、吉松を超え、吉都線に入りました。合わせて県境を越えて、宮崎県へ入ります。車窓には今年の1月、噴火した霧島連山の新燃岳が見えてきました。

時刻表とにらめっこして、小林市の小林駅に降り立ちました。

色褪せた駅名標でした。町の中心駅であるだろうに、降りたのはおばあちゃん1名という寂しさ。それでも駅員が1名いるのが町の中心という事なんでしょう。

駅前に降り立つと、誰もおらず、ローカル線の現状を表しています。熱い日射しだけが照りつけています。平日の日中とはいえ、これだけ人が乗らないとねぇ。ここの人たちにとって鉄道は本当にいるのかななんて思います。確かにいろいろな論議はあるだろうけれど、これだけ使われていないと、鉄道好きでも費用対効果、必要性みたいなことを考えますね。
そのあと、もう一駅、別の駅に降りて、西都城駅へやってきました。ここでレンタカーを借ります。まず見たかったのはここ。

旧都城市市民会館。最近では江戸東京博物館を作った菊竹清訓という建築家が設計した建物で、建物の斬新なデザインを雑誌で見て、はるばるこの地までやって来たのでした。1966年建築のため、老朽化で閉鎖され、今は大学の施設として貸し出されているとのことですが、行ってみると空き家でした。


ここからは車で鹿児島へ戻ります。せっかくの車なので、寄り道しながら電車では行けないところへ行ってみます。
まずは地図と格闘して、いろいろ迷いながら到着。

これも旧国鉄志布志線今町駅の跡です。志布志線も大隅線と同じ時期に廃止になりました。もし廃止されずに残っていたら、乗りに来ていたと思うし、この駅に降りたかもしれないことを思うと、残念ですね。さっきの吉都線の時とは矛盾するけど、無くなると残念だし、駅や線路は外の世界とつながっているんだなと思います。この駅は比較的きちんと整備されていて、みんなに大切にされているようでうれしい限りです。

さてここからは観光の旅。
有名な霧島神宮へ。

残念ながら、豪華な社殿は改装工事中でした。残念。
この霧島神宮はもともと山の上の方にあったらしいのですが、度々の噴火で焼けてしまい、この地へ移ったそうです。昔の宮跡へ行こうと、車を走らせます。でも降りてくる車は沢山あるのですが、登る車は私の車のみ。おかしいなと目的地の高千穂河原に着いてみると。

ただ今17時15分。そりゃだれもいなくなるわけだ。
ここも新燃岳の噴火の影響で、立ち入り制限があるのでした。それなら降りてくる車の1台くらい、言ってくれればいいのに。

ここは、すっきりした感じのいい場所のようなので、また来ることにします。
ちなみに向かい側には、

どうやらここまで噴石が飛んでくるようです。さっさと帰ることにします。
夜は鹿児島市内でヨロンマラソン以来の友人と夕食。ついでに泊めてもらいました。
さすがは鹿児島。焼酎うまし。いろいろ呑ませて貰いました。
「砂ずり」知ってます?

ちょっとボケてますが、これは砂肝のこと。こちらでは砂ずりって言うそうで。
桜島の見える友人宅で深夜まで飲ませていただきました。
Posted by さがるまーた at 22:00│Comments(0)
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