2016年01月07日
種子島紀行(2)~種子、屋久の旅4~
島間港からさらに県道75号線を南下します。
時刻は15時を回り、とりあえず郵便局で旅行貯金のできる16時まで、観光は後回しにして郵便局巡りです。途中の西海簡易郵便局は個人の家の一部を使っていて簡易郵便局らしい建物でした。
ここは南種子町ですが、途中の簡易郵便局のはり紙の管轄局が、南種子郵便局ではなく、隣の中種子町の中種子郵便局になっていたので、聞いてみたら、南種子町の簡易郵便局の担当管轄局は中種子郵便局に変わったそうです。以前ならば、各自治体に一つその自治体内の簡易郵便局を管轄する郵便局があったものですが、今はまとめられているのですね。集配担当の郵便局も中種子郵便局だそうで、交通が発達した現在であれば、種子島に3つも集配郵便局がある必要はないのでしょう。ただ集配郵便局にあったゆうゆう窓口(時間外窓口)は種子島内にはなくなったため、土休日に種子島の宇宙センターでロケット打ち上げがあった場合、打ち上げ記念の風景印(南種子局の風景印にはロケットが描かれているのです)を打ち上げ当日の日付で押すことができなくなり、郵趣愛好家は困っているなんて言う話もほかの局で聞きました。赤字の郵便事業を考えれば、効率化が進むのはやむを得ないこととはいえ、寂しいものです。
16時に茎永郵便局で今日の分に貯金が終わり、観光に回ります。まずは来る途中に見えたたねがしま赤米館へ。
種子島の水田では古来から赤米から栽培されてきたそうで、その栽培種がほかの地域の赤米がジャポニカ種であるのに対して、ここの種は東南アジアからインドネシアの古い品種ジャバニカ種なのだそうで、古代に海流に乗ってきた人々が持ってきたものなのかもしれませんね。
この辺りは赤米栽培や独特の民族芸能が受け継がれているそうで、その影響は近くの宝満神社のお祭りにも見られるそうです。宝満神社にも行ってみました。
神武天皇の母である玉依姫を祀っているそうです。静かな神社でした。
そして、種子島といえば有名な「種子島宇宙センター」へやってきました。
まずは「宇宙科学技術館」へ。
世界のロケットが展示されていました。
実際の打ち上げの場所に近づくことはできませんが、1日3回ほど見学ツアーがあるそうで、それに申し込むと良いのかも知れませんが、もう閉館時間です。また次回ですね。
帰りに自由に見ることのできる竹崎射場へ。
1991年から98年まで小型ロケットの打ち上げ用に使われたそうです。
ここから、今の打ち上げ場所である大崎射場を遠くに望めます。
そして種子島最南端の門倉岬へ。その途中に七色展望台から宇宙センター方面を見ます。
門倉岬にたどり着きました。
ここには「鉄砲伝来紀功碑」がありました。
説明版によれば、上の写真の岸近くに1543年の8月25日に異国船が漂着し、地元の者が船に近づこうとした時に、威嚇のためか、船の者が鉄砲を撃ったそうで、それが日本で初めての鉄砲を撃った場所だそうです。ここから鉄砲が日本中に広まっていくきっかけになったそうです。
ホテルへ向かう途中に高台の道を通ると、海の先に屋久島の光が見えました。
泊まったホテル「 Hotel SANDAL WOOD」はいい部屋でした。風呂も温泉だそうで気持ちよく過ごせました。
夕食も地元の者を使った料理でおいしゅうございました。
南種子町で1泊。
5へ続く。
Posted by さがるまーた at 12:00│Comments(0)
│2015.10 種子、屋久の旅
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