2013年06月14日
さよなら屋代線と古い町を歩く~信州電車いろいろ日帰りの旅③~
天ざる食べて、須坂駅へ戻ってきました。今度は屋代線に乗ります。

主に屋代線を担当している車両は3500系の電車。この電車もおさがりで、東京の旧営団地下鉄日比谷線の3000系の電車を譲り受けたそうです。正面の顔がクジラに似ているとのことで、「マッコウクジラ」という愛称があったそうです。仕事で日比谷線に乗ったりするので、個人的には感慨深いものがあります。
車内はこんな感じ

ドアの窓が上のほうに小さくあるので、小さいころは外が見えない嫌な車両だと思っていたものです。

昭和38年前後の製造なので、冷房などがついていない車両が多く、車内は扇風機ですが、扇風機には、営団地下鉄のSのマークがまだ残っていました。

車窓はこんな感じ。空が広いですね。窓を開けて風を感じることができるのが素敵です。

途中駅も古い駅舎が多いです。ここは綿内駅。

信濃川田駅

20分ほどで松代駅へ。

ここは江戸時代、松代藩、真田氏の城下町でした。

松代城、復元された橋と門です。

真田氏の屋敷として残っている真田邸

レンタサイクルで回りました。静かな町という印象でした。
松代駅へ戻ってきました。

駅舎には午後の日差しが指していました。

ここでも切符を購入しましたが、ここの駅員さんはあまり商売気がなく、めんどくさそうに切符を売ってくれました。これじゃ廃止はしょうがないのかななんて思いました。

反対方向の列車で1駅戻って金井山駅へ。
無人駅で静かな駅でした。

屋代行の列車がやってきました。

列車に乗ると、夕立が降り始めてきました。雨降る車窓を眺めながら、いよいよ、この車窓も見納めなんだなあと感傷的になりました。そう、須坂から屋代までの屋代線は来年2012年の3月限りで廃止がほぼ決まっていました。乗っている人が少ないのでしょうがないのですが、昔は上野から志賀高原、湯田中へ向かう列車も走っていたのを知っているだけに切ない気持ちもありました。
終着駅、屋代駅は大雨でした。

行きは青空だった長野盆地も、帰りは雨でした。なんとなくさみしい感じのする最後となりましたが、一日充実した旅でした。

(終わり)
主に屋代線を担当している車両は3500系の電車。この電車もおさがりで、東京の旧営団地下鉄日比谷線の3000系の電車を譲り受けたそうです。正面の顔がクジラに似ているとのことで、「マッコウクジラ」という愛称があったそうです。仕事で日比谷線に乗ったりするので、個人的には感慨深いものがあります。
車内はこんな感じ
ドアの窓が上のほうに小さくあるので、小さいころは外が見えない嫌な車両だと思っていたものです。
昭和38年前後の製造なので、冷房などがついていない車両が多く、車内は扇風機ですが、扇風機には、営団地下鉄のSのマークがまだ残っていました。
車窓はこんな感じ。空が広いですね。窓を開けて風を感じることができるのが素敵です。
途中駅も古い駅舎が多いです。ここは綿内駅。
信濃川田駅
20分ほどで松代駅へ。
ここは江戸時代、松代藩、真田氏の城下町でした。
松代城、復元された橋と門です。
真田氏の屋敷として残っている真田邸
レンタサイクルで回りました。静かな町という印象でした。
松代駅へ戻ってきました。
駅舎には午後の日差しが指していました。
ここでも切符を購入しましたが、ここの駅員さんはあまり商売気がなく、めんどくさそうに切符を売ってくれました。これじゃ廃止はしょうがないのかななんて思いました。
反対方向の列車で1駅戻って金井山駅へ。
無人駅で静かな駅でした。
屋代行の列車がやってきました。
列車に乗ると、夕立が降り始めてきました。雨降る車窓を眺めながら、いよいよ、この車窓も見納めなんだなあと感傷的になりました。そう、須坂から屋代までの屋代線は来年2012年の3月限りで廃止がほぼ決まっていました。乗っている人が少ないのでしょうがないのですが、昔は上野から志賀高原、湯田中へ向かう列車も走っていたのを知っているだけに切ない気持ちもありました。
終着駅、屋代駅は大雨でした。
行きは青空だった長野盆地も、帰りは雨でした。なんとなくさみしい感じのする最後となりましたが、一日充実した旅でした。
(終わり)
Posted by さがるまーた at 18:00│Comments(0)
│2011,8 信州電車いろいろ日帰りの旅
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