2013年09月13日
広島落穂ひろい~松山、広島落穂ひろいの旅⑤~
最終日は広島県内の落穂ひろいです。呉の朝は夏らしい快晴で、透き通った素敵な青空でした。

呉でレンタカーを借りて、まずは広島市内へ。ちょうど東京メトロとJR西日本でスタンプラリーをやっており、スタンプを押すためだけに広島駅へ寄りました。
さっさと押して、高速道路に乗ります。山陽道から広島道をへて、中国道へ出ます。高田ICで降りて向かったのは安芸高田市歴史民俗博物館。

安芸高田市は最近の市町村合併でできた市で、それまでこの辺りは吉田町でした。ここは戦国大名毛利元就の出た地で、博物館の横が居城吉田城でした。吉田城は山城なので、落穂ひろいで登るには時間がないので断念。
代わりにこちらへ。

戦国大名毛利元就の墓所です。元就よりも先代の当主の墓もありました。
それにしても、この地に墓があるのは不思議です。関ヶ原の合戦後、毛利氏はこの地を追われ、萩へ移りました。ここは福島氏、そして浅野氏の広島藩の領土になります。先祖の墓が自分の領土にないことに毛利氏はどう思っていたのでしょうか?他藩では墓ごと移転することもあったらしいです。不思議ですね。
近くの毛利隆元の墓にも寄りました。隆元は元就の長男。元就よりも早くに亡くなったため、歴史上にはあまり名前が出ませんが、有能だったといわれています。有能だとしても偉大な父親がいると、2代目はいろいろ比べられて大変なのはいつの時代も同じようです。

隆元の墓所から見た吉田の城下町。山間に囲まれたこの地から毛利氏は中国地方の覇者になっていたのですね。

その後、車を走らせて、西条でスタンプを押しながら、尾道へ。一人で車を走らせるのは退屈だったりします。これが、北海道や沖縄だとまた違うのですが。
約2時間くらい走らせて、尾道へ。
尾道は大林宣彦監督の映画の影響で高校生のころから何度も歩いていたのですが、今回は新しい場所へ。

おのみち映画資料館です。尾道は大林映画だけではなく、古くは世界にとどろく小津安二郎監督の「東京物語」のロケ地でもあります。今回は近くのおのみち歴史博物館とともに「小津安二郎と尾道」展をやっていました。昭和28年制作時の尾道でのロケの内容が書かれた雑誌の記事など興味深く見ました。
映画資料館の前には上映機材が置かれてました。

尾道水道に出ました。

目の前に見える新尾道大橋は何度も通りましたが、尾道の地は10何年ぶりの再訪になりました。やはり何度来ても、良い場所です。そして懐かしさを感じます。場所もそうだし、自分の学生時代の思い出も甘酸っぱく思い出されました。
そんな思い出立ちと尾道水道の風を感じつつ、今回の旅を終えることにしました。
(おわり)

呉でレンタカーを借りて、まずは広島市内へ。ちょうど東京メトロとJR西日本でスタンプラリーをやっており、スタンプを押すためだけに広島駅へ寄りました。
さっさと押して、高速道路に乗ります。山陽道から広島道をへて、中国道へ出ます。高田ICで降りて向かったのは安芸高田市歴史民俗博物館。

安芸高田市は最近の市町村合併でできた市で、それまでこの辺りは吉田町でした。ここは戦国大名毛利元就の出た地で、博物館の横が居城吉田城でした。吉田城は山城なので、落穂ひろいで登るには時間がないので断念。
代わりにこちらへ。

戦国大名毛利元就の墓所です。元就よりも先代の当主の墓もありました。
それにしても、この地に墓があるのは不思議です。関ヶ原の合戦後、毛利氏はこの地を追われ、萩へ移りました。ここは福島氏、そして浅野氏の広島藩の領土になります。先祖の墓が自分の領土にないことに毛利氏はどう思っていたのでしょうか?他藩では墓ごと移転することもあったらしいです。不思議ですね。
近くの毛利隆元の墓にも寄りました。隆元は元就の長男。元就よりも早くに亡くなったため、歴史上にはあまり名前が出ませんが、有能だったといわれています。有能だとしても偉大な父親がいると、2代目はいろいろ比べられて大変なのはいつの時代も同じようです。

隆元の墓所から見た吉田の城下町。山間に囲まれたこの地から毛利氏は中国地方の覇者になっていたのですね。

その後、車を走らせて、西条でスタンプを押しながら、尾道へ。一人で車を走らせるのは退屈だったりします。これが、北海道や沖縄だとまた違うのですが。
約2時間くらい走らせて、尾道へ。
尾道は大林宣彦監督の映画の影響で高校生のころから何度も歩いていたのですが、今回は新しい場所へ。

おのみち映画資料館です。尾道は大林映画だけではなく、古くは世界にとどろく小津安二郎監督の「東京物語」のロケ地でもあります。今回は近くのおのみち歴史博物館とともに「小津安二郎と尾道」展をやっていました。昭和28年制作時の尾道でのロケの内容が書かれた雑誌の記事など興味深く見ました。
映画資料館の前には上映機材が置かれてました。

尾道水道に出ました。

目の前に見える新尾道大橋は何度も通りましたが、尾道の地は10何年ぶりの再訪になりました。やはり何度来ても、良い場所です。そして懐かしさを感じます。場所もそうだし、自分の学生時代の思い出も甘酸っぱく思い出されました。
そんな思い出立ちと尾道水道の風を感じつつ、今回の旅を終えることにしました。
(おわり)
Posted by さがるまーた at 18:00│Comments(0)
│2013,7 松山、広島落穂ひろいの旅
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