2014年05月01日
きっぷをつなげて白鷺城へ(下)~2013、12年末年始帰省の旅ども9~
「天空の白鷺」を降りて城内散策に向かいます。修理工事中なので見学できる場所は限られますが、久しぶりなので、できるだけ見学してみようと思います。
乾小天守側から見た天守群です。姫路城の天守群は「連立式天守」といい、現在修理中の大天守を中心に、大天守向かい側にある乾小天守、それをつなぐ角にある東、西の小天守で一つの曲輪を作っています。
姫路城は2014年の大河ドラマの主人公「黒田官兵衛」の出身の城でも有名です。キリシタンであった官兵衛にちなむのか、「にの門櫓」の屋根の鬼瓦には十字紋が彫られています。
実際には官兵衛がキリシタンに入信したのは、姫路城を出た後であり、この門櫓も官兵衛とのかかわりがあった時代に建てられたのかはわかりませんが、キリシタン禁制だった江戸時代にも取り替えられずに残っているのは凄いことですね。
そのまま西の丸へ。西の丸は城主が池田氏の次の本多氏になった時に作られた曲輪だそうで、本多忠刻に輿入れした徳川家康の孫、千姫が住むために化粧櫓や御殿が作られたとのことで、今の城郭ではほとんど残っていない多くの渡櫓で曲輪を囲んでいるのが現存しています。
渡櫓に入ってみます。中はこんな感じ城外側が廊下になっていて、戦いのときに見渡せるようになっています。
写真右側の城内側には数多くの部屋があります。今は中はがらんとしていますが、昔は千姫につかえる侍女たちの部屋であったとのこと。
上の写真の部屋は立ち入り禁止でしたが、入ることのできた別の部屋の窓からは天守閣が見えます。
長い渡り櫓の終点が「化粧櫓」です。「化粧櫓」は千姫の輿入れ時に幕府から化粧料として与えられた10万石で建てられたものだそうで、櫓ではありますが、中は御殿の感じもありました。
窓からは歩いてきた渡櫓が見えます。
奥にはお姫様と侍女がかるた遊びをしている様子が再現されています。往時を感じることができていいですね。
城を出るころにはもう夕暮れ。城郭をめぐるのは好きですが、もう少し勉強して訪問したいなと思います。歴史を知るのは楽しいことです。そんなことを思った一日でした。
10へ続く
乾小天守側から見た天守群です。姫路城の天守群は「連立式天守」といい、現在修理中の大天守を中心に、大天守向かい側にある乾小天守、それをつなぐ角にある東、西の小天守で一つの曲輪を作っています。
姫路城は2014年の大河ドラマの主人公「黒田官兵衛」の出身の城でも有名です。キリシタンであった官兵衛にちなむのか、「にの門櫓」の屋根の鬼瓦には十字紋が彫られています。
実際には官兵衛がキリシタンに入信したのは、姫路城を出た後であり、この門櫓も官兵衛とのかかわりがあった時代に建てられたのかはわかりませんが、キリシタン禁制だった江戸時代にも取り替えられずに残っているのは凄いことですね。
そのまま西の丸へ。西の丸は城主が池田氏の次の本多氏になった時に作られた曲輪だそうで、本多忠刻に輿入れした徳川家康の孫、千姫が住むために化粧櫓や御殿が作られたとのことで、今の城郭ではほとんど残っていない多くの渡櫓で曲輪を囲んでいるのが現存しています。
渡櫓に入ってみます。中はこんな感じ城外側が廊下になっていて、戦いのときに見渡せるようになっています。
写真右側の城内側には数多くの部屋があります。今は中はがらんとしていますが、昔は千姫につかえる侍女たちの部屋であったとのこと。
上の写真の部屋は立ち入り禁止でしたが、入ることのできた別の部屋の窓からは天守閣が見えます。
長い渡り櫓の終点が「化粧櫓」です。「化粧櫓」は千姫の輿入れ時に幕府から化粧料として与えられた10万石で建てられたものだそうで、櫓ではありますが、中は御殿の感じもありました。
窓からは歩いてきた渡櫓が見えます。
奥にはお姫様と侍女がかるた遊びをしている様子が再現されています。往時を感じることができていいですね。
城を出るころにはもう夕暮れ。城郭をめぐるのは好きですが、もう少し勉強して訪問したいなと思います。歴史を知るのは楽しいことです。そんなことを思った一日でした。
10へ続く
Posted by さがるまーた at 18:00│Comments(0)
│2013,12 年末年始帰省の旅ども
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