2011年05月15日
ユリと鍾乳洞の島~奄美群島南下紀行③~
奄美旅行3日目、早起きして5時50分のフェリーで沖永良部島へ向かいます。奄美大島の名瀬港は早朝に沖縄行き、夜に鹿児島行きが出ます。

徳之島を経て、11時40分に沖永良部島へつきました。早速、ビジネス旅館に荷物を置き、島探索に出ます。沖永良部島は和泊町と知名町の2町からなり、人口は1万5千人前後とのこと。以前行った与論島より都会らしく、こんな店もありました。与論島はもっと田舎ですね。

24時間1000円という素敵な原付を借りて島1周です。印象に残った場所を上げてみます。この島は石灰岩でできている島なので、鍾乳洞が多いのですが、それ以外にも島の水汲みの為の穴が多くあります。ここは住吉暗川と呼ばれる洞窟です。

昭和30年代にポンプでくみ上げるまで、住民がカメで毎日水を汲み上げるという重労働だったそうです。
途中でこんなものが。

よく見たらコンビニでした。

ここはフーチャ。サンゴ礁が波で浸食された洞窟だそうで、ここでぶつかった波が霧になって陸上の農作物に被害をもたらしたために、ここだけ残して壊したそうです。激しい波が、なかなかの眺めです。
小学校にある「日本一のガジュマル」

結構な大きさでした。それよりも挨拶をしてくれた子どもたちの歓声が耳に残ります。
ここ沖永良部島は幕末、西郷隆盛が流されていたそうで、復元ですが西郷が入れられていた牢がありました。

博物館を造るそうで工事中でした。流されて始めの頃は吹きさらしの牢に入っていたそうです。大変だったんですね。

これで1日目終わりです。ちょっと困ったのは泊まった和泊という場所に適当な夕食を取れる場所が無く、農協のスーパーで買い出しして、弁当を食べる羽目になりました。
さて二日目、沖永良部島随一の観光地、昇竜洞へ行きます。日本に秋芳洞はじめ数多くの鍾乳洞があるなれど、ここの鍾乳洞は日本でも有名なのです。でも行ってみると、お客は私一人。季節外れの観光地はこんなもんですね。ここの入場料は1000円。JALカード割引で1割引きでしたが、結構な金額でした。

やはり中は見事でした。





照明の力があるにせよ、なかなかの素晴らしさでした。良かったのは観光地でありながら、観光客用に鍾乳洞を削っていないこと。おかげでしゃがんで歩くこと数回でしたが、良かったです。
締めは和泊町歴史民俗資料館。

メンショーリはめんそーれの沖永良部方言なんでしょうね。

ここで沖永良部のことがいろいろわかりました。この島はユリの栽培で有名で、戦前から栽培していて海外に球根を輸出していたそうです。
時間もなく、慌ててフェリー乗り場へ。

午後の鹿児島行きに乗るようです。現代のドナドナですね。
こちらは反対の沖縄行きで与論島へ向かいます。


徳之島を経て、11時40分に沖永良部島へつきました。早速、ビジネス旅館に荷物を置き、島探索に出ます。沖永良部島は和泊町と知名町の2町からなり、人口は1万5千人前後とのこと。以前行った与論島より都会らしく、こんな店もありました。与論島はもっと田舎ですね。

24時間1000円という素敵な原付を借りて島1周です。印象に残った場所を上げてみます。この島は石灰岩でできている島なので、鍾乳洞が多いのですが、それ以外にも島の水汲みの為の穴が多くあります。ここは住吉暗川と呼ばれる洞窟です。

昭和30年代にポンプでくみ上げるまで、住民がカメで毎日水を汲み上げるという重労働だったそうです。
途中でこんなものが。

よく見たらコンビニでした。


ここはフーチャ。サンゴ礁が波で浸食された洞窟だそうで、ここでぶつかった波が霧になって陸上の農作物に被害をもたらしたために、ここだけ残して壊したそうです。激しい波が、なかなかの眺めです。
小学校にある「日本一のガジュマル」

結構な大きさでした。それよりも挨拶をしてくれた子どもたちの歓声が耳に残ります。
ここ沖永良部島は幕末、西郷隆盛が流されていたそうで、復元ですが西郷が入れられていた牢がありました。

博物館を造るそうで工事中でした。流されて始めの頃は吹きさらしの牢に入っていたそうです。大変だったんですね。

これで1日目終わりです。ちょっと困ったのは泊まった和泊という場所に適当な夕食を取れる場所が無く、農協のスーパーで買い出しして、弁当を食べる羽目になりました。
さて二日目、沖永良部島随一の観光地、昇竜洞へ行きます。日本に秋芳洞はじめ数多くの鍾乳洞があるなれど、ここの鍾乳洞は日本でも有名なのです。でも行ってみると、お客は私一人。季節外れの観光地はこんなもんですね。ここの入場料は1000円。JALカード割引で1割引きでしたが、結構な金額でした。

やはり中は見事でした。





照明の力があるにせよ、なかなかの素晴らしさでした。良かったのは観光地でありながら、観光客用に鍾乳洞を削っていないこと。おかげでしゃがんで歩くこと数回でしたが、良かったです。
締めは和泊町歴史民俗資料館。

メンショーリはめんそーれの沖永良部方言なんでしょうね。

ここで沖永良部のことがいろいろわかりました。この島はユリの栽培で有名で、戦前から栽培していて海外に球根を輸出していたそうです。
時間もなく、慌ててフェリー乗り場へ。

午後の鹿児島行きに乗るようです。現代のドナドナですね。
こちらは反対の沖縄行きで与論島へ向かいます。

Posted by さがるまーた at 10:09│Comments(0)
│2011春 奄美群島南下紀行