2017年07月26日
風景と歴史と~タウシュベツ川と狩勝峠の旅4~
宿で朝食をとり、チェックアウトして上士幌方面へ南下します。糠平には何回も来ていて、この周辺は何度も観光しているので別のところへ行こうと思いました。空は晴れて気持ちの良い日です。
まずは東側へむかい、本別町の道の駅「ステラ★ほんべつ」へ。
ここは廃止された旧ふるさと銀河線の本別駅の跡に作られた道の駅です。駅名標も残されています。
駅舎とこの木造跨線橋以外の線路などはいったん撤去されて、再度復活されたようです。
<
木造の跨線橋は味のある建物で残ってよかったです。
人が通るだけであった跨線橋は今は憩いの場としてよみがえっていました。
駅舎はそのまま道の駅として売店や休憩所として使われています。
簡易郵便局もありました。
そして一駅北上します。ふるさと銀河線は2006年に廃止になったので、まだ新しく、沿線には路線跡がきれいに残っています。
到着したのは仙美里駅。ここにも駅舎は残っていました。
バスの待合室として使われていましたが、一部分は資料館として開放されていました。
中は様々な展示がされていました。
また、この地は戦前は陸軍の軍馬補充部の牧場があり、この地で馬を育て、この駅から各地の部隊へ軍馬を収めたのでした。
そして太平洋戦争前には戦前のロス五輪の馬術競技でで金メダルを取り硫黄島の戦いで戦死したバロン西こと西竹一がこの地の軍馬補充部で勤務していたそうで、その説明もされていました。
当然ですが、どの土地にも歴史があるものですね。改めて感じます。
本別市街に戻って本別町立歴史民俗資料館にも行ってきました。
資料館にも仙美里駅関係のいろいろな展示があり、こんなものもあったそうです。
南下して岡女堂駅跡へ。
レールは撤去されていますが、ホーム部分は以前のままのようです。
岡女堂駅の時刻表も廃止当時のまま残っていました。
岡女堂は神戸の甘納豆の老舗企業で、岡女堂r期は豆の生産地である本別町に作った工場の前に1995年に開設した駅でした。駅の裏には岡女堂の工場と売店がありました。神戸の岡女堂の本店は駅が廃止になるころに経営破綻し、この工場だけ、別会社として存続したそうです。羊羹を買ってみました。
ちょっと高台に上がって、大地を眺めてみました。
きれいな景色ですが、歴史を少し知るとまた違うきれいだけでない景色が見えてきました。
次は十勝の食を堪能に行きます。
5へ続く。
まずは東側へむかい、本別町の道の駅「ステラ★ほんべつ」へ。
ここは廃止された旧ふるさと銀河線の本別駅の跡に作られた道の駅です。駅名標も残されています。
駅舎とこの木造跨線橋以外の線路などはいったん撤去されて、再度復活されたようです。
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木造の跨線橋は味のある建物で残ってよかったです。
人が通るだけであった跨線橋は今は憩いの場としてよみがえっていました。
駅舎はそのまま道の駅として売店や休憩所として使われています。
簡易郵便局もありました。
そして一駅北上します。ふるさと銀河線は2006年に廃止になったので、まだ新しく、沿線には路線跡がきれいに残っています。
到着したのは仙美里駅。ここにも駅舎は残っていました。
バスの待合室として使われていましたが、一部分は資料館として開放されていました。
中は様々な展示がされていました。
また、この地は戦前は陸軍の軍馬補充部の牧場があり、この地で馬を育て、この駅から各地の部隊へ軍馬を収めたのでした。
そして太平洋戦争前には戦前のロス五輪の馬術競技でで金メダルを取り硫黄島の戦いで戦死したバロン西こと西竹一がこの地の軍馬補充部で勤務していたそうで、その説明もされていました。
当然ですが、どの土地にも歴史があるものですね。改めて感じます。
本別市街に戻って本別町立歴史民俗資料館にも行ってきました。
資料館にも仙美里駅関係のいろいろな展示があり、こんなものもあったそうです。
南下して岡女堂駅跡へ。
レールは撤去されていますが、ホーム部分は以前のままのようです。
岡女堂駅の時刻表も廃止当時のまま残っていました。
岡女堂は神戸の甘納豆の老舗企業で、岡女堂r期は豆の生産地である本別町に作った工場の前に1995年に開設した駅でした。駅の裏には岡女堂の工場と売店がありました。神戸の岡女堂の本店は駅が廃止になるころに経営破綻し、この工場だけ、別会社として存続したそうです。羊羹を買ってみました。
ちょっと高台に上がって、大地を眺めてみました。
きれいな景色ですが、歴史を少し知るとまた違うきれいだけでない景色が見えてきました。
次は十勝の食を堪能に行きます。
5へ続く。
Posted by さがるまーた at 12:00│Comments(0)
│2017,6タウシュベツ川と狩勝峠の旅
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